【2月15日は「国際小児がんデー」】最愛の息子を看取った夫婦が始めた支援活動 患者の子どもやその家族を支える(仙台)
2月15日は「国際小児がんデー」。
最愛の息子を看取った夫婦が始めた、患者の子どもやその家族への支援活動について、お伝えする。
大好きな野球を、高校時代はマネージャーとして続けた。仙台で生まれ育った葦名真矢さん。
がんの一種・脳幹グリオーマとの闘病の末、18歳で天国へ旅立った。
最愛の息子を亡くして2年半。
仙台市内でカフェを営む父・俊宏さんと母・淳子さん。
父・葦名俊宏さん
「(医師から)もう治療法がありませんと言われた時にどうしますか?考える間もなく判断をしなければいけない、それも命に関わる判断をしなければいけない」
母・葦名淳子さん
「親しい人には重すぎて言えない、当事者同士でないと分からない部分もたくさんあった。気持ちを吐き出す場が本当は欲しかった」
闘病生活で経験した葛藤。
夫婦は、小児がん患者やその家族を支援しようと、去年4月 公益財団法人「がんの子どもを守る会」の宮城支部としての活動を始めた。
「がんの子どもを守る会」は、1968年に小児がんで子どもを亡くした親たちによって設立された。
小児がんとは、15歳未満に見られるがんで、国内では年間2000人~2500人が診断されている。
会ではシンポジウムを開いたり、専門のソーシャルワーカーによる相談会や小児がん経験者たちが交流できるキャンプなどを行っている。
そして、2月15日は「国際小児がんデー」。
WHO=世界保健機関が提唱する2030年までの生存率60%の達成などを目的に、全国各地でキャンペーンが行われた。
仙台市で行われた活動では、葦名さん夫婦のほか病院関係者などボランティアで集まったおよそ20人が支援の呼びかけを行った。
その中には、亡くなった真矢さんの弟・琢矢さんの姿も。
「募金をよろしくお願いします」
元気いっぱいだった3兄弟。
二男の真矢さんは、嘘を付かない名前の通り真っ直ぐな性格。
少年野球では、選手宣誓を務めたこともあった。
病魔に襲われたのは高校1年の冬。
ステージ4。医師から余命宣告をされた。
真矢さんは、手術と抗がん剤治療に耐え、学校に復帰。
修学旅行にも、卒業式にも参加できた。
しかし、卒業式からおよそ2か月。急激に体調が悪化した。
母・淳子さん
「最後の家族の時間は、みんなで過ごすことができた。それは息子が自分の命を懸けて(私たちに)くれた時間」
自宅で、家族に看取られた。
支援活動を始めたのには、強い思いがある。
母・淳子さん
「7~8割が治るところだけクローズアップされて、残りの2~3割の人のことは…。小児がんを知ってもらうことで少しづつみなさんに理解いただけたら」
父・俊宏さん
「子どもを亡くした時の喪失感を和らげる、同じ立場の人はいっぱいいる。そういう人たちがただ話すだけでもホッとする。亡くした後のグリーフケアをこれからはやっていきたい」
俊宏さんは、去年11月に仙台市の中学校でがん教育講座の講師を務めるなど「がんの子どもを守る会宮城支部」としての活動を進めている。
すべては、広く小児がんを知ってもらうためにー。
小児がんへの社会全体の理解が進めば、闘病生活を送る子どもたちが学校に復帰した時や社会人になった時にー。
患者だけでなく家族のケアは、どうするのかー。
万が一、自分の子どもが小児がんになってしまったらー。
どんな時も、寄り添ってくれる世界になるのでは、と思うからー。
母・淳子さん「この活動自体は細くでも良いから、長く続けていけたら」
父・俊宏さん「支援が広がっていることを実感できる手ごたえを感じている。ありがたい。第一歩かな」
夫婦は、天国の息子への誓いを胸に、共に活動を続けていくー。