【「能登半島地震」での『液状化現象』】「東日本大震災」時の<映像と証言> 避難の障害にもなる『液状化現象』 私たちにできる備えとは?
避難する際の障害にもなる『液状化現象』。
震災当時の証言と私たちにできる備えを取材した。
(動画の一部で、津波の映像が流れる。ストレスを感じる方は視聴をお控えください)
石川県内灘町。
発災から1か月、爪痕が残る町を、ミヤギテレビ・柳瀬キャスターが取材した。
柳瀬キャスターリポート
「こちらは液状化が激しかった内灘町です。車庫でしょうか床が浮き上がってしまっていますし、ここはアスファルトが大きくめくれ上がってしまっています。道路もねじれるようにゆがんでいて、歩いていると平衡感覚が失われたような感覚になります」
噴き出した砂に、波打った道路が続く。
震度5弱を観測した内灘町。
死者・安否不明者は確認されていないものの、建物やインフラ設備の被害は深刻で、今も一部で断水が続いている。
復旧の妨げの一つとなっている『液状化現象』。
「東日本大震災」では、宮城県内でも確認されていた。
インターネット関連の会社を営む齋藤邦男さん。
13年前、宮城・亘理町荒浜で暮らしていた。
震災当時住んでいた家の近くで、『液状化』の瞬間を目の当たりにした。
手持ちのカメラが、その様子を捉えていた。
「震災」で揺れてから10分後の午後2時52分。
避難先の荒浜小学校に向かう道路を見に行くと、舗装された道路一面に泥水が広がっていた。
これは津波ではない。1台の車が立ち往生している。
『液状化』を撮影した齋藤邦男さん
「水は長靴履かないと歩けないくらいの水かさ」
齋藤さんは、徒歩では時間がかかると考え、車で避難することを決めた。
逆方向の南側の道路や別の砂利道からの脱出を試みるが―。
その先には、前輪が泥に埋まってしまい進むことができない車が、あった。
『液状化』を撮影した齋藤邦男さん
「もう何台か車が立往生していた、その時には。右はダメ、左はダメ、どっから逃げようかなというので、完全に閉じ込められたような状況で。防災無線で避難しなさいって言うんだけれども、避難できないんですよ。要するに行けないんですね、 どこからも逃げるところがないんで」