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【特集】『仙台空襲』で焼けた仙台城<大手門> 飾り金具を新たに発見 写真や文献しか残されていなかった当時の状況が明らかにー

2024年7月9日 19:37
【特集】『仙台空襲』で焼けた仙台城<大手門> 飾り金具を新たに発見 写真や文献しか残されていなかった当時の状況が明らかにー

『仙台空襲』から、7月10日で79年になる。
その空襲で焼けた『仙台城大手門』の飾り金具が、新たに発見された。

写真や文献しか残されていなかった当時の状況が、少しずつ明らかになろうとしている。

今からおよそ400年前、仙台藩主・伊達政宗が築いた仙台城。
その正門として建てられたのが『大手門』だ。
高さおよそ12メートル、幅およそ20メートル。
城の門として日本最大級の大きさを誇った『大手門』は、仙台空襲で焼失した。

これまで、その痕跡は当時の写真や文献だけ。
しかし、空襲から79年が経とうとする今、新たな発見があった。

東北大学災害国際研究所・佐藤大介准教授
「(Qどんなものが発見されたのか教えてください)こちらの大小さまざまな金具類なんですけれども、仙台城『大手門』に使われていた金具の一部です」

今回みつかったのは、当時の『大手門』に使われていた「飾り金具」や「釘」などおよそ20点。
なかでも、釘を覆うように配置する「釘隠し」は、当時撮影された写真でみると『大手門』で使われていた部分が推測できる。

この金具が『大手門』のものだと解き明かしたのが、東北大学・災害科学国際研究所の佐藤大介准教授。

もともと、津波で被災した古文書をクリーニングする活動を行うなか、すでに亡くなった仙台市内の男性が集めていた歴史コレクションを調査することに。
そこで目にしたのは、「大手門昭和20年7月10日戦災焼失」の文字だった。

〝まさか〟の思いから、文献を元にした調査を進めていた仙台市と一緒に検討した結果、金具は当時の『大手門』に使われていた‘実物’であるという結論につながったという。

東北大学災害国際研究所・佐藤大介准教授
「私自身も『大手門』焼失は知っていたが、『大手門』の遺物が現在まで伝わっているというのは考えていなかった。正確な復元をするときに貴重な史料となっていくもの」

もともと、授業の一環として始まった今回の調査。
携わった学生は〝歴史的な瞬間〟に立ち会うことになった、

東北大学文学部2年・長谷川真奈さん
「ものすごく重い箱が出てきて何だろうと確認したら、箱書きに仙台城門遺宝と書かれていて、中身に金具が入っていて、これはとても貴重なものではないかとわかって、その現場のみんなも興奮して盛り上がった」

そして、伊達政宗の没後400年となる2036年に向けて『大手門』の復元を目指す仙台市は、今回の発見に大きな価値があると評価している。

仙台市文化財課・谷川蔵人課長
「現物がないものについては、写真や文献で推測をするしかないけれど、実物があれば材質などもきちんと調べることができますし、より正確な復元に資するもの」

見つかった金具類など今回『大手門』の金具を保管していた男性のコレクションのうち、解析が進んでいるのはまだほんの一部。

これから先、およそ2万点と言われるコレクションの調査が進む中に、「仙台城大手門の知られざる手がかり」があるかもしれないと、佐藤准教授は考えている。

東北大学災害国際研究所・佐藤大介准教授
「『大手門』の跡地は、私自身も学生時代から何千回と通ってきた場所で、その『大手門』の遺されたものに自ら出会うという機会が巡ってきたというのは、個人的に縁を感じている。復元される『大手門』が、仙台城を身近に感じて歴史を学ぶきっかけになると共に、新しい仙台のシンボルとして仙台城全体が市民に愛されるものになっていって欲しい」

伊達政宗が築いた『仙台城・大手門』。
長い時を経て、より鮮明となった当時の姿が私たちの前に現れるかもしれない。