東日本大震災から14年、内定蹴って気仙沼に移住…まちづくりに取り組む男性【知らないから、伝えたい】#知り続ける
宮城・気仙沼を拠点にしたまちづくり団体の代表を務める、加藤拓馬さん。
加藤拓馬さん
「これは会社に入って東京でスーツ着て働いている場合じゃないんじゃないか」
震災当時、大学生だった加藤さん。
東京での就職を蹴ってまで、気仙沼で来た理由があります。
震災で大きな被害があった気仙沼で、若い世代への支援などを行う加藤さん。
2011年3月11日、大学の卒業旅行で加藤さんは静岡にいました。
加藤さん
「ちょうど御殿場の富士山を見ながら、すごい揺れていた。テレビをつけて、津波の映像を見て東北が大変なことになっている(と知った)」
自分にできることはないだろうかー。
海外でのボランティア経験もあった加藤さんは、内定していた東京の会社ではなく、宮城・気仙沼に向かいました。
加藤さん
「がれきの片づけや避難所の支援。物資のニーズを聞いて持っていくとか。物が壊れることよりも、地域の人たちのもともとあったつながりが切られていくことの方が辛かった」
そして、縁もゆかりもなかった気仙沼に移住するまでになったのは、ホームステイ先の人の言葉でした。
加藤さん
「『ありがとう』と言う関係と言われる関係じゃなくて、これからは一緒にやっていこうと言われたことがあった。外者として地元の人と一緒にこれからやっていこう」
気仙沼に拠点を置くと、人のつながりを大切にしながら気仙沼のまちづくりに取り組むNPO法人を設立しました。
去年(2024年)は、大きな災害があった能登半島の高校生を気仙沼に招待するなど、被災地だからできる交流にも取り組む加藤さん。
どんなに大きな被害があっても復興することができると伝えたいのは、そこで生きる人の姿です。
加藤さん
「自分の20代をかけて、この10年で気仙沼がこういう風に復興してきたんだということを、外から来た人間として見させてもらったというのは誰でもできる経験ではない。大学生や高校生と一緒にほかの街に行って活動する。もしくは、能登から高校生とか大学生を気仙沼に呼んでくる。越境した人のかき混ざるものを作りたい。気仙沼で今までやってきたことを、気仙沼の外に伝える、つなげることをしたい」