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「目標はオリンピックで優勝」男子フィギュア界の次世代担うホープ 仙台出身 ・佐藤駿選手に話を聞く

2025年2月8日 8:00
「目標はオリンピックで優勝」男子フィギュア界の次世代担うホープ 仙台出身 ・佐藤駿選手に話を聞く

7年前の2018年。

2018年の佐藤駿選手
「将来の目標はオリンピックで優勝することです」

羽生結弦さんがオリンピック連覇を果たしたこの年、大きな目標を口にした少年は、7年の時を経て 男子フィギュア界の次世代を担う存在に成長した。

佐藤駿選手
「出場することができたら、もちろん優勝を目指してがんばりたいと思っています」

ミラノ・コルティナオリンピックまであと1年。
宮城から羽ばたく今注目のスケーターに迫る。
仙台市出身、フィギュアスケートの佐藤駿選手。

今シーズンは、6か国での大会を経て成績上位6人だけが出場できるグランプリファイナルで銅メダルを獲得するなど飛躍。
世界ランクも、日本人2番手につけている(2025年2月時点)。

ミラノ・コルティナオリンピック開幕まで、1年。
今の心境を聞いた。

白壁アナウンサーリポート
「宮城から300キロ、埼玉県上尾市にやってきました。朝日がまぶしい午前7時半、まもなく練習が始まります」

朝8時。
佐藤選手の姿は、埼玉県内のホームリンクにあった。

白壁アナ)お疲れ様です。佐藤選手、お久しぶりです
佐藤選手)お久しぶりです

仙台市出身で、今は明治大学に通う佐藤駿選手。
2月6日が誕生日の21歳。

今シーズンは、中国で行われた世界大会で優勝。
グランプリシリーズと言われる世界各地での大会を経て、上位6人だけが出場できるファイナルでは鍵山優真選手に次ぐ3位となり、銅メダルを獲得した。

男子フィギュア界の次世代を担うホープとして、今 期待がかかる存在だ。

佐藤選手
「だいたい朝こういう時間に1時間。きょうは1時間半くらい練習して、夜練が1時間くらいあるという感じです。先生たちと色々相談して、4回転ルッツのコースを変えてみたり、良い練習になったかなと」

佐藤選手がスケートに出会ったのは、5才の誕生日。
お父さんに連れて行ってもらった仙台市内のスケートリンクだった。

佐藤選手
「その時いたおじさんに教えていただいて滑ったんですけれど、早いね上達が、と言ってもらって。練習すればするほどうまくなって、どの競技もそうなんですが滑れるようになった時の感動がすごかったので、それに惹かれました」

その後も成長を重ね、中学1年生以下を対象とした全日本ノービス選手権では4連覇を達成し、着実に階段を上がってきた佐藤選手。

オリンピックまであと1年となり、直接話を伺った。
まずは7年前のインタビューについてー。

白壁アナ)(2018年の動画見せて)この時のこと、覚えていますか?
佐藤選手)覚えています。今動画を見て思い出したんですけれど、懐かしいな。変わってないですね今と」

父親の転勤で埼玉に引っ越した中学2年生までは、仙台で技を磨いた佐藤選手。

佐藤選手
「この前ちょっとアイスリンク仙台にも寄ったんですけれど、工事中で中に入れなくて外で写真だけ撮って帰って来たんですけれど、埼玉よりも歴は長いので思い入れのあるリンクです」

そして、アイスリンク仙台ではあのスケーターとの出会いも。

佐藤選手
「練習の時に何度かお会いしたことはあります。頑張ってと応援のメッセージというか手紙をいただいて」

オリンピック連覇を果たし、いまはプロスケーターとして活躍する羽生結弦さん。

佐藤選手
「リンクに乗っただけでオーラがすごかったこと、すごく覚えています。誰も近づけないような雰囲気で、(練習で)ジャンプも4回転バンバン飛んでいたので印象に残っています。将来、羽生選手のようになれたらいいなと思いながら練習していました」

羽生さんの活躍が、どんな時も原動力になっていたという。

佐藤選手
「ソチオリンピックのショートプログラムが、印象に残っています。すごいな、僕もこういった舞台に立ちたいなという思いが強かったですし、より一層スケートに対して、がんばろうという気持ちが沸きました」

憧れの羽生さんも舞ったオリンピックの舞台へ。
カギとなるのは、4回転ルッツだ。

佐藤選手
「まだ4回転4本でノーミスの演技ができていないので、ノーミスの演技を目標に。課題はたくさんあると思うんですが、精神的なものかなと思っていて。(2024年12月の)全日本の舞台で力を出し切れなかったというのが、自分の弱い部分があったのかなと思うので、まずは一つでも多く試合に出て緊張感に慣れる、精神面を強くしていきたいと感じています」

課題をクリアにして臨む勝負の1年。
目標とするオリンピックに向けた思いとはー。

佐藤選手
「段階を踏む!全日本選手権での優勝を目指して。段階を踏んだ先にオリンピックの舞台があると思うので。メダルを取りたいと思いますし、もちろん優勝を目指してがんばっていきたいと思います」

最後に、生まれ育った宮城への思いも話してくれた。

佐藤選手
「(宮城は)僕が生まれ育った地ですし、お世話になった方々がたくさんいるので、恩返しの意味も込めて、オリンピックでのメダルをとりたいし帰りたいなと思います、いつか」

最終更新日:2025年2月8日 8:00