【山元町】3月11日、祈る人々の思い「毎日のように思い出す」県南唯一の震災遺構、中浜小学校

山元町によると、死者は637人(遺体未発見の死亡届16人および震災関連死20人を含む)。
住家は全壊が2,217棟、半壊が551棟の被害にあった。
山元町にある高さ3点11メートルの東日本大震災慰霊碑「大地の塔」。
全国から集まった学生ボランティアが献花台や竹灯籠を設置していて、3月11日も慰霊碑に手を合わせる人たちがいた。
当時、山元町内の医療機関に勤めていた女性は「患者さんの多くが一瞬にして亡くなってしまったので寂しい。いまだに地震が怖くて毎日びくびくしながら過ごしている。」と話した。
山元町に住む90歳女性は高台に逃げて家族も無事だったが、近所の人たちが亡くなった。
「逃げ遅れた人は亡くなった、12人。毎日のように思い出す。」という。
近くにある山元町の震災遺構・中浜小学校は、県南エリア唯一の震災遺構として被災当時のまま保存されている。
海岸線から400mの位置にあった山元町立中浜小学校には、発災当時校舎内に、児童や避難していた地域の方々計90名がいた。
津波到達予想時刻が迫る中、内陸の指定避難所まで移動して避難するか、校舎の屋上に避難するか、という2つの選択肢のうち、当時の校長は後者を選択。
津波は校舎2階の天井近くまで到達し、中浜小学校は津波の海に孤立状態となったが、屋上に避難していた90名は全員が無事だった。
震災遺構では、被災した校舎に立ち入ることができ、児童や地域の方々が一夜を過ごした屋根裏倉庫を見学できる。
また、語り部による解説や津波の痕跡、当時を振り返る映像などを通じて、災害に対する備え、意識の大切さを学ぶことができる。
町内の徳泉寺にも、お墓参りに訪れる人の姿があった。
親戚を亡くした女性は「思い出すと毎日やり切れない思いです。特に大船渡でも震災があって、また重ねて火事があって亡くなっているいる方を見ると心苦しいです」と語った。