【戦後80年】ノーベル平和賞授賞式に出席した被爆者の男性 次の世代に思いを継承しともに核兵器廃絶へ
■中村国利さん(81)
「多くの死傷者を出したあの惨状を、私たち被爆者は忘れることはありません。」
2月、福岡市で「平和のつどい」が開かれました。被爆者や平和活動に携わる人たちおよそ70人が集まる中、日本被団協九州ブロックの代表理事、中村国利さん(81)が登壇しました。
日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)は1956年に結成され、被爆者への支援や核兵器廃絶を世界に訴え続けてきました。
「核兵器が二度と使われてはならない理由を、身をもって実証してきた」と評価され、2024年、ノーベル平和賞を受賞しました。中村さんも代表団の一員としてノルウェーでの受賞式に出席しました。
■中村さん
「歴史的な日を、目に焼き付けることができました。これも、日本被団協の先達が一生懸命、被爆者の思いを世界に訴え続けた賜物(たまもの)です。感謝でなりません。」
1945年8月9日、中村さんは1歳の時、長崎市の爆心地からおよそ2.5キロの所で被爆しました。
■中村さん
「僕のところは、僕と両親と3人家族。ちょうど原爆を落とされたところから山の陰になって難を逃れた。1歳の時だから覚えていない。覚えていないし、特に話も聞いた記憶もないし。」
中村さんに当時を語れるほどの記憶はありませんが、会社勤めが一段落したことから、被爆者としてできることはないか考え始めたといいます。
証言集を発行したり朗読劇に参加したりと、継承に力を入れてきました。
■中村さん
「生かされている身だから、被爆者の運動に関わるのも必然。みんなが平和や核のことを考えてくれる、口にしてくれる、そういうことが増えていけばいいなと思う。」
ノルウェーでの受賞式の翌日、中村さんは現地の高校を訪れ、受け継がれてきた被爆の実相を語りました。
■中村さん
「横たわる真っ黒焦げの死体。ずるむけの皮膚を肩から手首まで垂らしてトボトボと歩き、バタバタと倒れる人。キノコ雲の下はこの世のものとは思えない、まさに地獄図でした。」
二度と繰り返してはならない。中村さんは集まった200人の若者に呼びかけました。
■中村さん
「皆さん声を上げてください。核兵器廃絶、そして戦争は絶対にしないと。」
■中村さん
「高校の生徒さんと一緒になって交わって、人とのつながりを大切に核兵器のない世界へ、みんなと一緒に進もうと決意しました。」
未来を担う若い世代と手を取り合い行動することこそが、核なき世界につながる。そんな思いを強くした瞬間でした。
ただ、もどかしい現実も。
3月、アメリカで開かれた核兵器禁止条約の締約国会議で、日本政府は「核兵器国を交えずに核軍縮を進めることは難しい」などとしてオブザーバー参加を見送りました。
ノーベル平和賞を受賞しても、唯一の被爆国である日本では核兵器廃絶に向けた機運が高まっているとは言えず、中村さんは焦りも感じています。
■中村さん
「こういうところに出てくる人は、前向きに平和について考えている人たちです。問題はその外にいる人。いかにそういう人に我々の考えを伝えていけるかが大きな課題だと思っています。」
「平和のつどい」の参加者も同じ問題意識を抱えていました。
■参加者
「証言者を呼んで平和の授業をすることが、今は少なくなってきていると思います。」
「平和活動にそんなに力を入れなくてもいいでしょ、平和活動をするのを嫌うという会話が入ってきます。」
関心が薄い人たちにも、どうすれば声が届くのか。若い世代につなぐ役割を担おうと、行動を起こした高校生がいます。
■直方高校1年・中村心優さん(16)
「本日はお忙しい中、講演していただき、ありがとうございました。ここに来られた高校生は少ないですけど、高校生に広げて小中学校でも学んだことを伝えていこうと思います。」
直方高校1年の中村心優さん(16)です。心優さんは現在、全国で選ばれた高校生とともに「高校生平和大使」として、核兵器廃絶を求める署名活動や、小中学校での出前授業などに取り組んでいます。
■心優さん
「高校生平和大使を知ったのは中学1年生の時。自分が同世代の高校生から話を聞くことに衝撃を受けて、頭にすごく入ったし年が近い人が話していて興味も湧きました。」
自分にも伝えられることがあるはず。心優さんは今、発信する立場として、被爆者の思いに触れる機会を積極的に増やしています。
■心優さん
「聞く機会を与えられていることに感謝して、この話を自分たちの周りや小中学校のみんなにもっと関心を持ってもらえるよう、伝え方も工夫していきたいと思っています。」
■中村国利さん
「若い世代は、若い世代から伝えることが一番いいと思う。打ち解けやすい。平和や戦争、原爆とは何かを自分ごととして受け止めて考えられる、そういう人たちがたくさんいてほしい。ただ僕らもそのためには、被爆の実相を伝えることはやっていきたい。」
核兵器も戦争もない未来を決して諦めない。世代を超えて、険しい道のりを歩みます。
※FBS福岡放送めんたいワイド2025年3月12日午後5時すぎ放送