【戦後80年】原爆の子の像のモデルになった少女 病室で折った鶴をオバマ元大統領に託した兄 福岡
くちばしはふやけ、薄い黄土色に色あせた折り鶴。広島で被爆した佐々木禎子(さだこ)さんが生前に折っていたものです。この“平和を願う象徴”が、アメリカのオバマ元大統領に手渡されました。
禎子さんの兄、雅弘さん(83)は、福岡県那珂川市で美容院を営んでいます。
■佐々木雅弘さん(83)
「これがオバマさんのところにいった折り鶴です。」
雅弘さんは去年12月、自宅の仏壇を整理していたときに父親の遺品の中から折り鶴を見つけました。
■雅弘さん
「飛び上がったよ。それぐらい感激した。(大きさは)これくらいだね。今回持って行ったのはね。」
80年前、当時4歳だった雅弘さんと2つ下の妹、禎子さんは、自宅があった広島で被爆しました。その10年後、禎子さんは白血病を発症しました。およそ8か月の闘病生活の間、禎子さんは生きたいと願いながら鶴を折り続けましたが、12歳で命を落としました。
■雅弘さん
「上下両方の穴が開いているというのは、これは折り鶴を折ったあとに自分の病室につるしていた折り鶴と、そこで分かった。」
見つかったのは禎子さんが闘病中に病室につるしていた折り鶴だと、禎子さんを知る人の証言などから分かりました。
2月25日、折り鶴は、雅弘さんの二男で禎子さんの甥(おい)にあたる祐滋(ゆうじ)さんが持っていました。
■禎子さんの甥・佐々木祐滋さん
「これなのですが、結構形が崩れている。」
祐滋さんがいたのは羽田空港。オバマ氏の元へ向かうためです。
2016年、現職の大統領だったオバマ氏は、広島の原爆資料館を訪れた際に足を止めて、禎子さんの折り鶴を見学しました。さらに、アメリカから持ってきた折り鶴を地元の子どもたちに手渡しました。
オバマ氏の行動に感謝の気持ちを伝え、いつか本物の折り鶴を贈りたいという思いを募らせていました。
■祐滋さん
「かつて日本とアメリカで敵国であった立場。これを80年たって乗り越えて、今戦争している国であったり、これからの世界の道しるべになればいいかなと思っています。」
ハワイに向かった祐滋さんは2月26日、オバマ氏の別荘で面会し、オバマ氏は禎子さんの鶴を受け取りました。
■禎子さんの兄・雅弘さん
「2人で撮っている写真を見て、素直に受け入れてくださったことに感激しました。」
妹の貴重な一羽を雅弘さんは手元に置いておきたいという思いもありましたが、世界で起きている現実に目を背けてはいけないと息子の祐滋さんに託しました。
■雅弘さん
「尊厳のある命を国の指導者の主義主張で毎日失われている現状は、とてもではないが見過ごすわけにはいかない。戦争が終わるようで終わらない。そんな状況でもあるので。」
折り鶴を受け取ったオバマ氏は「平和を伝えるため、一緒にできることがあれば協力したい」と感謝の言葉があったといいます。
■雅弘さん
「これ(見つけたの)は千載一遇のチャンスと思った。私が手元に持って『禎子、帰ってきたか』と思うよりは、平和の発信力がある方に持っていただくことはすごく意義があると思った。」
禎子さんの折り鶴がオバマ氏の元で日米の垣根を越え、世界に向けて命の大切さを伝え続けてほしいと雅弘さんは願っています。
※FBS福岡放送めんたいワイド2025年3月4日午後5時すぎ放送