【特集】生まれつき左手がなくても…ソフトテニス全国大会に出場した15歳 この夏の挑戦(宮城)
生まれつき左手がない宮城・石巻市の高橋聖さん(15)について、お伝えする。
20歳までの選手が出場する高等専門学校のソフトテニス全国大会に、15歳ながら出場したこの夏の挑戦を追った。
仙台高等専門学校 名取キャンパス。
ソフトテニス部には、1年生~5年生までおよそ20人が所属している。
チームが掲げるのは「主一無適」。
心をそらさず打つことを、目標に掲げる。
練習の前には、一球一球丁寧に空気圧を調整する。
「あと何球ですか」
1年生の髙橋聖さん(15)。
期待のルーキーだ。
中学時代は、宮城県代表にも選ばれた実力者。
しなやかな身のこなしが持ち味で、同じフォームから長短、鋭いボールを打ち分ける。
聖さん
「楽しいです、雰囲気が良くて。めちゃめちゃやりやすい空気感で」
先輩
「ボール渡すときも丁寧で、送りますと言ってきます」
聖さんは、上級生からも好かれる存在だ。
高校進学にあたっては、強豪校からの誘いもあったという。
それでも、得意な理系の勉強がしたいと高等専門学校を選んだ。
毎日、石巻市の自宅から片道2時間をかけ通学し、文武両道を目指している。
そんな聖さんは、生まれつき左手首から先がない。
お母さんのお腹の中にいる時、赤ちゃんを包む羊膜が左手に絡まり、成長が止まった可能性があると、医師から説明を受けたという。
最初に気づいたのは、出産に立ち会ったお父さんだった。
聖さんのお父さん
「最初何がなんだかわかんなくて『ん?』って目をつぶった。あれ?と思って。そうしたら先生に『よく見なさい、手ないよ。お父さん、ちゃんと見なきゃダメだよ』って言われて。出産ですごい大変だったので、その時は(妻に)言えなかった」
両親は、自立した生活ができるようにと、様々なことに挑戦させた。
そして、聖さんもハンディキャップをあまり感じることなく成長してきたという。
この日、聖さんと両親は、車で仙台空港に向かっていた。
聖さん)空港って、中は広い?
ソフトテニス部は、この夏 3年ぶりに全国大会出場を決め、聖さんも1年生ながらメンバーに選ばれた
大会開催地は、北の大地。北海道旭川市。
大会初日はあいにくの雨。
屋内での競技実施となった全国高等専門学校体育大会には、予選を勝ち抜いた12チームが集まった。
選手発表
「オーダー行きます。一番が、髙橋・中野です」
聖さんは2年生の先輩とペアを組み、一番手を任された。
中野さん)一番で出るから、次につなげるような試合を。僕がミスしなければ…
聖さん)いや、僕がミスしなければ…
初戦の相手は、開催地・旭川の学校。
聖さんのペアは、次々ポイントを重ねて4対1で勝利。
続く2番手も勝利し、高専名取は難なく初戦を突破した。
聖さん
「声出ていたからよかったと思います」
ベスト4をかけた試合の相手は、香川県の学校。
この大会のシード校の一つ・強豪校だ。
円陣)絶対勝ぞー!オー!
大接戦のゲームになった。
聖さんの両親も、応援に駆けつけていた。
聖さんのお父さん
「まだちょっと硬さはありますけれど、徐々にですね」
聖さんには、この大会にかける思いがあった。
聖さん
「自分自身が上級生をめっちゃ好きで、悔いないようにがんばりたい」
先輩(5年生)
「粘るぞ」
奮闘する聖さんの姿に、チームは一体となる。
逆転して迎えたゲームポイント。
接戦をものにした。
続く2番手は、4年生・5年生のペア。
5年生は、これが最後の大会になる。
勝負の行方は、3番手の5年生ペアに。
決めれば、メダル確定だ。
見事、勝利をつかみ取った。
高専名取は準決勝で敗れたものの、過去最高成績となる『ベスト4』という結果をおさめた。
翌日は、個人戦。
ハンディキャップがありながらも、常に前を向く聖さんを両親はずっと応援してきた。
聖さんのお父さん
「勝つとか負けるとかじゃなくて、出遅れないようにやらせたい。みんなと溶け込んで、楽しそうにやっていると見ていた」
大好きなことに、打ち込める。
それは、見守ってくれる家族がいて、信じあえる仲間がいるからこそ実現できるー。
「よっしゃー!2人で一本の武器があれば、もっと楽に点が取れたんじゃないか」
個人戦は、1回戦敗退となった。
聖さん)もっと練習しよう。がんばります
先輩)来年も、再来年もあるし
聖さん)あと4回あるんで…
先輩たちと戦ったこの夏の経験は、聖さんを一回り大きくした。