オスロから平和を叫ぶ特別な一日に「今、すべての人が核兵器について声を上げて」これから本当に正念場《長崎》
ノーベル平和賞の授賞式が10日行われ、「日本被団協」のメンバーである長崎の被爆者らに賞状とメダルが贈られました。
代表でスピーチした被爆者の田中 熙巳さんは、日本政府に対する批判と憤りをあらわにするとともに、核兵器や戦争のない世界に向けての決意を述べました。
原爆投下から79年。
歴史的な一日を迎えたナガサキ、ヒロシマの被爆者。
ノルウェー・オスロに世界の注目が集まりました。
授賞式は、オスロ市庁舎で日本時間の10日午後9時から、ノルウェー国王ハラルド5世も臨席して行われました。
(ノーベル委員会 フリードネス委員長)
「日本被団協と被爆者(広島および長崎への原爆攻撃の生存者)の絶え間ない努力が、核兵器使用から私たちを守るための道徳的・国際法上の防波堤を築く過程に強く貢献してきました」
授賞式に臨んだのは、日本被団協代表委員の田中 熙巳さん、田中 重光さん、箕牧 智之さん。
長崎市役所では、授賞式のパブリックビューイングが行われ、被爆者や鈴木長崎市長などをはじめ、多くの市民が3人を見守っていました。
受賞のスピーチを行ったのは、13歳の時、爆心地から3.2キロの長崎の自宅で被爆した田中 熙巳さん 92歳です。
原爆で親族5人を亡くしました。
2018年には長崎の平和祈念式典で「平和への誓い」をスピーチ。
日本被団協の代表委員として、核兵器廃絶に向けた運動をけん引してきた一人です。
(日本被団協 田中煕巳代表委員)
「想像してみてください。ただちに発射できる核弾頭が4000発もあるということを。
広島や長崎で起こったことの数百倍数千倍の被害がただちに現出することがあるということ。
皆さんがいつ被害者になってもおかしくない。あるいは加害者になるかもしれない」
演説では、1994年に制定された「被爆者援護法」に触れる中で、予定していた文案にはなかった場面も。
(日本被団協 田中煕巳代表委員)
「何十万人という死者に対する補償は全くなく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきている。
もう一度繰り返します。
原爆で亡くなった死者に対する償いは日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」
二度にわたって繰り返し訴えることで「被爆国・日本」の政府に対する批判と憤りをあらわにしました。
ノーベル平和賞受賞によって、世界に届けられた “被爆者の声”。
(日本被団協 田中煕巳代表委員)
「世界中の皆さん、核兵器禁止条約のさらなる普遍化と核兵器廃絶の国際条約の締結を目指し、原爆体験の証言の場を各国で開いてください。
とりわけ核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと『核兵器は人類と共存できない、共存させてはならない』という信念が根付くこと。
自国の政府の “核政策” を変えさせる力になることを、私たちは願っています。
人類が核兵器で自滅することのないよう、核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう」
演説へ向けられた拍手は、1分以上鳴りやみませんでした。
(日本被団協 田中煕巳代表委員)
「感動した。そのときに初めてこれでよかったのかなと思った。
これから(に期待している)。
メッセージを発しただけだもん。まだ届くわけない」
授賞式のあと、オスロの市街地では平和を願う「トーチパレード」も。
(パレード)
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」
「ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・ウォー」
オスロ市民、被爆者、高校生平和大使が一緒になって、核兵器のない世界の実現を訴えました。
(高校生平和大使 津田 凜さん)
「世界でも家族愛や誰かを思う気持ち、そしてそれを奪っていく核兵器の恐ろしさは伝わっていくものだと改めて思った。それをつないでいかないといけない」
(高校生平和大使 大原 悠佳さん)
「すごく素敵な1日だった。世界にはたくさん平和を願う人がいると実感できるとてもいい機会。
被爆地じゃない高校生も、日本じゃない高校生も、今、生きているすべての人が核兵器について声を上げていく必要があるからこそ、私たちはもっと多くの人にこの問題を伝えて、一緒に声を上げていこうというふうに巻き込んでいかないといけない」
被爆者が長年にわたって訴えてきた「核兵器廃絶」への願いは次の世代へ。
(日本被団協 横山 照子 代表理事)
「これからが本当に私たちの正念場。自分たちだけではできないので、日本国民、世界の人々一緒に運動をしていって、核兵器を一刻も早くなくすことをしていかないといけない」
(日本被団協 田中重光代表委員)
「長崎の山口(仙二)さん、谷口(稜曄)さん、渡辺千恵子さん、葉山(利行)さん(の思いが浮かばれた)。
責任が重くなった。若い人たちに私たちの運動をバトンタッチする活動を多くしていきたい」