“悲劇を繰り返さないで” 核廃絶訴え半世紀以上「ノーベル平和賞受賞」先人たちから受け継いだもの《長崎》
※中継の様子や内容について、詳しくはVTRをご覧ください。
【NIB news every. 2024年10月14日放送より】
核なき世界の後押しになるのでしょうか。
ノーベル委員会は11日、今年のノーベル平和賞に「日本被団協」=「日本原水爆被害者団体協議会」を授与すると発表しました。
長崎原爆被災者協議会会長で、日本被団協の代表委員も務める被爆者の田中 重光さんに、生中継で今の思いを伺いました。
(桒畑笑莉奈アナウンサー)
長崎市の平和公園に来ています。
「ノーベル平和賞受賞」の影響もあるのか、3連休最終日の14日も、平和記念像の前にはは多くの人が訪れていました。
長崎原爆被災者協議会会長で、日本被団協の代表委員も務める被爆者の田中 重光さんに、受賞発表から3日経った今の思いを改めて伺いました。
発表のときは、日本被団協の会合で東京から戻る飛行機の中で受賞を知り、驚いてみんなで喜び分かち合ったそうです。
これまでの経緯をまとめました。
日本時間11日午後6時頃、ノルウェーのオスロで行われたノーベル平和賞の発表。
(発表)
「日本被団協に授与することを決定した」
1956年、被爆者の全国組織として結成された「日本被団協」。
長崎原爆被災者協議会は、全国に36ある構成団体の1つで、長年 核兵器廃絶を世界に訴え続けてきました。
【1982年 アメリカ ニューヨーク 国連本部にて】
(14歳の時 長崎で被爆 故・山口 仙二さん)
「ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ、ノーモアウォー、ノーモアヒバクシャ」
【2010年 アメリカ ニューヨーク 国連本部にて】
(16歳の時 長崎で被爆 故・谷口 稜曄さん)
「核兵器がこの世からなくなるのを見届けなければ、安心して死んでいけません。私を最後の被爆者とするため、核兵器廃絶の声を全世界に」
ノーベル委員会は、授賞理由を『核兵器のない世界を実現するための努力と、二度と使われてはならないことを証言を通じて示した』などとしています。
平和賞受賞を受け被団協は13日、会見を開き廃絶に向けた動きが高まることに期待を寄せました。
(日本被団協 和田征子事務局次長(1歳の時 長崎で被爆))
「被団協が、被爆者が何をしてきたかを伝える大きなチャンスになると思う」
(日本被団協 田中煕巳代表委員(13歳の時 長崎で被爆))
「ますます核兵器をなくすための大きな力になっていければ」
(日本被団協 木戸季市事務局長(5歳の時 長崎で被爆))
「人生の集大成、核兵器のない世界をつくりたい。最後の生き方が示されたことに感謝している」
(長崎原爆被災者協議会 田中重光会長)
ノーベル平和賞を受賞したことは、多くの先輩たちが被爆の実相を語り継いで訴えてきたことだと思います。
特に、長崎では谷口澄輝さん、渡辺智恵子さんたちが真っ先に会をつくって、被爆体験を話し合った。
それが長崎被災協の結成につながり、日本被団協の結成につながってきたということで、先日 墓前に報告にしてきました。
(長崎原爆被災者協議会 田中重光会長)
この受賞はあの日、亡くなった人、それから苦しみながら生活した全ての被爆者の人々、それから私たちを支援してくれた世界の人々に対しても受賞したものと私は思っております。
(桒畑笑莉奈アナウンサー)
ただ 今の世界情勢はかなり厳しいところにあると思います。そんな中、今回のノーベル平和賞受賞したというのは、どういった意味を持つのでしょうか。
(長崎原爆被災者協議会 田中重光会長)
今、世界は戦争をしている、ロシアはウクライナで、イスラエルはガザ地区に侵攻し、核兵器を使うぞと威嚇をしています。核兵器の使用の危険が迫っている時代だと思っております。
だから政治指導者に「お前たちは何をしているんだ。もっと平和を追及しろ」という警鐘にもなってるんだと思います。
(桒畑笑莉奈アナウンサー)
今後の活動のためには、やはり若い者の力も必要だと思います。若い世代に期待されること、どんなことでしょう。
(長崎原爆被災者協議会 田中重光会長)
私たち被爆者は、もうすぐ消えてなくなるわけですけれども、私たちの運動を若い人たちが引き継いでですね。
ねばり強く訴えていく、若い人たちはこの平和核兵器をなくす運動に勇気を持って参加してほしいと思っています。