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【特集】泳げないカバと飼育員の愛情物語 日本初の人工哺育で育ったカバのモモ30歳に《長崎》

2024年3月8日 15:01
【特集】泳げないカバと飼育員の愛情物語 日本初の人工哺育で育ったカバのモモ30歳に《長崎》

日本初の人工哺育で育ち、“泳げないカバ” として全国的に有名になったカバのモモが、3月6日、30歳の誕生日を迎えました。

生まれて6時間後には瀕死の状態だったモモも、人間で例えると「還暦」の60歳。

親として寄り添って来た飼育員 伊藤雅男さんとの愛情に満ちた30年を振り返ります。

今から30年前の1994年3月6日、モモが生まれたのは、長崎バイオパークのカバ池でした。

本来、カバは水中で出産し、お乳を与えます。

ですが、この日は水が冷たく、生まれたばかりのモモを心配したのか、母カバは陸上で出産しました。

沼地だったので、思うように身動きが取れないモモ。

お乳も飲めず、次第に寒さで衰弱していきました。

“このままでは、死んでしまうかもしれない”

飼育担当の伊藤雅男さんは、母カバに代わってモモを育てることを決意しました。

▼日本初!カバの人工哺育に挑戦する飼育員

温かい湯で冷えた体を温め続け、近所の牧場から取り寄せた新鮮なミルクを与えます。

24時間、モモの命をつなぐ日々。

カバの子どもを育てるのは、日本で初めての挑戦。

参考にできる資料はほとんどありません。

生まれて2か月。徐々に元気になったモモですが、伊藤さんにはひとつ 気になることが。

池などない場所で生活しているモモが、果たして泳げるのか?

▼水を怖がる「泳げないカバ」

園内の池にモモを連れ出した伊藤さん。

一緒に池に入ろうとすると、悪い予感は的中。

モモは水を怖がり、泳ごうとしません。

この日から、人がカバに泳ぎを教える"水泳特訓”が始まりました。

モモを抱いた手をそーっと離すと、うまく泳げず、溺れそうにも見えます。

その姿はテレビなどに何度も取り上げられ、モモはいつしか「泳げないカバ」として全国の人に知られるようになりました。

(当時の飼育担当 伊藤雅男さん)
「鼻と目と耳まで、頭出しながら泳ぐのがカバだけど、モモは・・・」

特訓は3か月続き、モモができるようになったのは、バタフライのような泳ぎでした。

愛情たっぷり育てられ、すくすく成長していくモモ。

伊藤さんのそばを離れようとしません。

(伊藤雅男さん)
「調子に乗ると、こうやって甘噛みしてくる。ただ、じゃれてきているわりには身体が大きいから、これから体力勝負」

親に甘えたいさかりで、寂しがり屋。

でも、人に慣れすぎるのもよくないと、伊藤さんは少しずつ、一緒にいる時間を減らしていきます。

モモの親になってから、ずっと頭の中にあること。

"親カバの住むカバ池へいつか帰してあげたい”。

▼お引越しは大騒動 カバとしての第1歩

2歳になったモモ、体重は生まれた時の10倍以上の350キロに。

カバ池に設けたモモの部屋の準備も整い、親カバのもとへ帰すことにしました。

カバ池までの道のりは500メートル程度でしたが、モモは気乗りしないのか、急に走り出したり、止まってしばらく動かなくなってしまったり。

3時間かけ、やっとの思いで無事に到着。

ただ、互いに「親子」だと気づくことはできませんでした。

▼水を利用して生活するのがカバ

(伊藤雅男さん)
「モモ(がいた)池は、ほとんど浸かるだけなので」

カバ池は、足の届かない水深2.2メートル。バイオパークのお客さんたちも、モモの泳ぎを見守ります。

(取材記者)
「モモちゃん、今、大きな池に足を踏み入れました」

泳ぐのは、ほぼ2年ぶり。伊藤さんに押され、水の中に入っていくと、

楽しそうに泳ぐモモ。やっぱり自己流の豪快な泳ぎ方でした。

(伊藤雅男さん)
「もう波立っちゃって、バタフライ状態。でも水を怖がらず、すんなり泳げたからよかった」

カバとしての生活もすっかりなじみ、伊藤さんと一緒に過ごす時間はさらに少なくなりました。

それでもモモが、伊藤さんを “親” だと思う気持ちは変わりません。

うれしそうに左右にしっぽを振って見せるのは、伊藤さんにだけです。

▼人に育てられたモモが結婚 伊藤さん、花嫁の父になる

2000年3月。

6歳になったモモは、お年頃。ついに結婚することになりました。

(結婚式)
「モモちゃん、ムーくん、結婚おめでとう」

お相手は、埼玉県の東武動物園からやって来た3つ年下のムーくん。

花嫁の父として、伊藤さんも正装です。

(伊藤雅男さん)
「ようやく終わったなという感じ。花嫁の父親ってこんなに忙しいのかなというぐらいバタバタしたので。でもうまく2頭は寄り添っているので、ほっとした」

結婚から間もなく、モモは妊娠。

陣痛が始まり、苦しむモモを見つめる伊藤さんに、ある不安がよぎります。

“人に育てられたモモが、ちゃんと水中で出産できるのか?”

陸から離れた場所に移動したモモ。しばらくすると、

(入園客)
「 生まれた!」

水中から顔を出したのは、小さな小さなカバの赤ちゃん。

伊藤さんはそっと涙をぬぐっていました。

お乳もしっかり与えました。モモはもう立派な母カバです。

赤ちゃんは、モモの名前をとって「ももたろう」と名付けられました。

ただし、ももたろうはオス。このカバ池でずっと一緒には暮らせません。

まもなく1歳を迎える頃。

(来園客)
「かわいそうだね、中国にいくのは」

(伊藤雅男さん)
「今この親子を引き離すのは、ぼくらもしのびないんですが」

オスのカバは自分の群れをつくるため、親元を離れるのが宿命。

ももたろうは中国の動物園に旅立つことが決まっていました。

▼オスの宿命 子孫を残すための試練

ついに、その日がやってきました。

モモ専任の飼育担当を離れていた伊藤さんも、気になってカバ池に駆けつけていました。

ももたろうがモモのそばを少し離れたその時、2頭の間に仕切りの柵が下り、

(伊藤雅男さん)
「檻の仕切りが下りた瞬間、もうその境は彼らにとっては永遠に(親と子の)境。まだモモは気づいてないみたいだけど」

1歳のカバは、まだ母親のお乳を欲しがるぐらいの幼さです。

母親のモモを探して、暴れ出しました。

どこかにぶつかってケガをしないよう、飼育員たちは板で誘導します。

そして、ももたろうが移送用の箱の中に。

伊藤さんはたまらず、その場で泣き崩れることしかできませんでした。

なるべく“穏やかに”送り出してあげたかった。

▼まだ生まれない⁉ 心配なのはモモの体も

ももたろうが去った翌年、カバ池からうれしい知らせが。

モモが、新たな命を宿したのです。

(伊藤雅男さん)
「女の子が生まれてくればいいなと思ってますけど」

出産予定日は5月15日です。

6月に入り、お腹もかなり大きくなりましたが、生まれる気配は一向にありません。

毎朝5時、仕事前にカバ池へに通い、かかってくる電話にも敏感になる伊藤さん。

(伊藤雅男さん)
「生まれました?」

「(知り合いの牧場で) ポニーが生まれたって」

家族との話題も、やはりモモ。

(伊藤雅男さん)
「明日生まれるかな」

予定日から2か月たったある日、モモがエサを食べなくなったと連絡が入りました。

初めての出産よりも、横になったりウロウロ動き回ったり、苦しむモモ。

陣痛は8時間に及びました。

(飼育員)
「あっ、生まれた」

(伊藤雅男さん)
「あまり長かったので、死んでないかなって。悪いほう、悪いほうに考えちゃうから」

伊藤さんの思いにモモが答えたのか、生まれたカバは女の子。

「ゆめ」と名付けられました。

▼立派な母カバ「モモ」 子どもたちも全国各地で活躍

その後もモモは、元気な子を次々と出産。

2009年に生まれた龍馬は、鹿児島の平川動物園に引き取られ、人気者に。

モモが17歳の時に生んだのが、甘えん坊でやんちゃな男の子、百吉です。

1歳になる頃、北海道の旭山動物園へ旅立ちました。

百吉には、"凪子”という子どもが生まれ、モモはついにおばあちゃんに。

幸せ続きのモモでしたが、最愛の夫 ムーが急死したあとはさみしそうにしていました。

▼いくつになっても モモはバイオパークの人気者

そんなモモのためにと、伊藤さん。

新たなお婿さん探しをはじめます。

選んだのは、神戸の王子動物園にいた出目太くん。18歳も年下です。

二人の間には息子テトが誕生。

人工哺育で育てられ、泳ぐこともできなかったモモですが、5頭の子を産み、立派な母カバになりました。

長崎バイオパークには「モモ」の姿を一目見ようと、今も全国から多くの人が訪れています。

さらに公式YouTubeに公開された「モモの家族」がスイカを食べる動画は、世界中の人に注目され、再生回数は、なんと1億回を超えました。

今年3月6日で30歳、人に例えると還暦を迎えたモモ。

バイオパークのアイドルは、これからも伊藤さんに支えられながら、みんなの笑顔をつくり続けます。

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