藤井貴彦アナ 生出演「長崎とサッカー・14年間のキャスター人生・災害・戦争平和教育」への思い《長崎》
(佐藤肖嗣アナウンサー)
NIBのニューススタジオに、日本テレビの藤井貴彦アナウンサーをお迎えしております。
(藤井貴彦アナウンサー)
よろしくお願いします。
(佐藤アナ)
藤井さんは今回、長崎スタジアムシティの取材にも行かれましたが、長崎でサッカーでいうと、今は亡き、小嶺先生時代の国見高校も頻繁に取材されましたね。
(藤井アナ)
長崎の国見と言いますと、国立競技場の準決勝や決勝に上がってくるので、私が実況担当することは多かったですね。その時に一番助けになったのは、地元のアナウンサーである佐藤さん。やっぱりね小嶺さんって本音をしゃべってくれないんですよ。
それは、チームが勝つために、絶対にチーム情報は流さない。でもそこに佐藤さんが、地元のアナウンサーがいてくれたから、ほんの少しヒントくれたんですよね。
(佐藤アナ)
小嶺さんは怖い部分もあるんですけど、実は見た目と違って。
(藤井アナ)
本当に、心は・・・。
(佐藤アナ)
繊細な方でした。
(藤井アナ)
優しいですしね。ですからそんな思い出もあって、長崎に来ると高校サッカーのことを思い出しますね。小嶺さんのことも思い出します。
(佐藤アナ)
そんな中で、私も一緒にお仕事をさせていただいたことがあるんですが、その流れの中で14年間は「
news every.」を担当されていました。
(桒畑 笑莉奈アナウンサー)
ずっと気になってたんですが、キャスターとして心がけてきたことって何かあるんですか。
(藤井アナ)
もう心掛けるも何も、毎日毎日、実は関東ローカルでいうと3時間10分やっているんですよ。原稿がそろってスタジオに入ったことがなかったんですよね。ですから、いつでもアクシデントがあるものだと思って、先回り先回りしていると、アクシデントがアクシデントではなくなるんです。
その時にアクシデントに強いアナウンサーだと言ってもらえるようになってから、自分に自信がつきました。つまり、“一つの準備ができるなら、3つ準備しておきなさい”。これが心掛けていたことですね。
先回りしておくということ。それも、人生すべて共通していることだと思います。
(桒畑アナ)
この14年間の中で、一番印象に残っていることは何でしょうか。
(藤井アナ)
やはり災害取材ですね。東日本大震災が起きた時に、津波がここまで来るはずがないと思っていたからこそ、一回揺れた後、家に戻ってしまったんです、
そういう教訓というのは、今までにその地方では一つもなかった。