「この相撲一番にて千秋楽にござります」 立行司・木村庄之助さん 半世紀務めた行司人生に幕 相撲ファン・力士・地元からみんなに愛された行司 「反省の繰り返しというのが行司の人生だと思います」
島根県出雲市出身の立行司・木村庄之助さん。9月22日、大相撲 秋場所・千秋楽で定年を迎え50年の行司人生に幕を下ろしました。
大相撲の取り組みを裁く行司の最高位・立行司。第38代・木村庄之助、本名・今岡英樹さんは出雲市出身。大相撲 秋場所・千秋楽の9月22日、65歳の誕生日を迎え日本相撲協会の定年となり50年の行司人生を終えました。
木村庄之助さんは出雲第二中学校卒業後、15歳で高田川部屋に入門し1975年に初土俵。その後、行司として位を上げていき2018年には式守伊之助を襲名、翌年には立行司に就任しました。去年12月には、行司の最高位・木村庄之助に昇格。地元出雲での巡業開催に力を尽くすなど山陰の相撲文化の発展にも貢献してきました。
◇ ◇
9月21日本場所14日目。出雲の文字がデザインされた装束に身を包み、退職前の会見に臨んだ木村庄之助さん。
木村庄之助さん
「反省の繰り返し。達成感もたまにはありますけど、反省の繰り返しというのが行司の人生だと思います。厳しい。それ以上の言葉はありません。相撲界は厳しい社会。そのかわり、そのぶん温かみがあるから、これまで師匠や若いお相撲さんに支えられてやってこれた」
達成感もあればつらい時もある。半世紀務めた行司人生もあと一日。会見で厳しい世界を歩んでいけた理由を聞かれるとー。
木村庄之助さん
「めげるときもありましたけど(ふるさとには)拍手で送り出された。そこには(中途半端な形で)帰れないと思いました。拍手でみんなに送り出されたらそこにはもう帰れませんということです」
行司として50年。ふるさと出雲の存在が大きな原動力となっていました。
秋場所・千秋楽。最後の本場所を見届けようと東京・両国国技館に来ていたのはー。
木村庄之助さんの同級生
「出雲二中の同窓生です。15歳の時からね相撲界に入って、50年間頑張ったなということでみんなで応援しようと来ました」
なんと木村庄之助さんの中学校時代の同級生の皆さんが集まりました。土俵で見る同級生の最後の姿。応援にも力が入ります。
同級生
「最後に同窓生一同でこれをもって応援する。お疲れ様の一言をこれに集約しました」
地元出雲からの応援も準備万端です。
同級生
「ヒデさんが頑張っていると思うと仕事でつらい時にも私たちも『ヒデさんが頑張っているから私も頑張れる』となっていたので、本当に50年お疲れ様でしたという気持ちで、最後の日の軍配を私たちの目に焼き付けたい」
同級生一同
「ヒデさんお疲れ様!」
いつも応援していた友人の勇姿も今日で最後。感謝の気持ちと一緒に横断幕を掲げに国技館に向かいました。そしてー。
会場アナウンス
「行司は木村庄之助今場所最後の一番であります」
多くの人が立行司・木村庄之助の姿を見守ります。
木村庄之助
「この相撲一番にて千秋楽にござります!」
最後のさばきは琴櫻と豊昇龍、大関同士の取り組みです。
「ハッケヨイ!のこった!のこった!」から決着まで。最後のさばき、持ち前の大きな声を会場にとどろかせました。
この日、65歳の誕生日を迎えた木村庄之助さん。特別な誕生日となりました。自身を支えてくれた人たち一人ひとりに挨拶をしてまわります。最後の本場所を終えていまの気持ちはー。
木村庄之助さん
「ほっとしました。もっと大きい声を出したかったけどお客さんの声がいつにも増して庄之助コールが大きくて全然響かなかったかな」
所属する高田川部屋の高田川親方からもー。
高田川親方
「力士からも愛され、親方衆からも愛され、こんだけ愛された行司さんはいないんじゃないかと思います。所作もいいですし、声もいいですし、抜群の行司さんだったと思います」
相撲ファンからも力士たちからも地元からもみんなに愛された立行司・木村庄之助。
木村庄之助
「長く濃い道のりでした。土俵を網羅する包み込む包容力そういうことが求められるいい仕事だなと思います」
真剣勝負の土俵上では決して見せなかった素敵な笑顔で50年の行司人生に幕を下ろしました。
木村庄之助さん
「これからは、師匠や関取にもうお前うるさいから部屋に来るなと言われるまで“ズカズカ”と部屋に上がり込んで力士たちの指導をしていきたいと思います・・・千秋楽にござります」