【中越地震20年】 地震発生時刻に合わせて各地で追悼の祈り “あの日を忘れない” つなぐ記憶と教訓 《新潟》
中越地震から20年となった10月23日。各地で地震発生時刻に合わせて犠牲者へ祈りが捧げられました。震災を乗り越えてきた遺族や住民。それぞれが節目の日に思いを新たにしていました。
街中を彩る黄色い旗。長岡市の旧川口町です。
2004年10月23日に発生した中越地震。震源地の旧川口町は震度7を観測、約1400棟の住宅が被害を受けました。
多くの住民が避難生活を送る中、支えとなったのが全国からの支援物資でした。
感謝の思いを形にしようと、黄色いフラッグにメッセージをつづり掲げるようになったのです。
そして、地震発生時刻に合わせて開かれた追悼式。地元の中学生などがつくった手作りのキャンドルに火が灯されました。
〈中学生〉
「大震災の悲惨さや困難さを聞くことで理解を深め将来へつないでいきます」
地震で6人が犠牲となった旧川口町。
震災の記憶を継承しようと毎年追悼式を開いていましたが、高齢化や人口減少で継続するのが難しくなったとしてことしで最後にすることが決まっています。
〈住民〉
「うちの村でも2人ぐらい亡くなったのかな、それを思い出して黙とうしました。災害のない世界になってほしいなって願っていました」
被災地を照らすやさしい光。
小千谷市の塩谷集落では雨の中、住民たちが慰霊碑の前に集まっていました。
〈住民〉
「20年も21年も変わらない。10月23日という日は忘れられない日です」
地震で多くの住宅が倒壊した塩谷集落。3人の小学生が住宅の下敷きになり命を落としました。
住民たちは犠牲者を悼み祈りを捧げていました。
地震で失われた幼い命……
〈住民〉
「うちの娘と(亡くなった)娘さんも同級生だったので、自分の子どものように感じますし、今になってもまだあの時の事を思い出すとつらくて涙が出ます」
〈亡くなった小学生の同級生〉
「これだけ成長したよとそういうことは伝えていけたらいいかなと思います」
地震当時、集落は約50世帯ありましたが今では18世帯に…。時間の経過とともに、中越地震を知らない世代も増えています。
追悼式は長岡市の旧山古志村でも開かれ、当時の人口にちなみ約2200個のキャンドルに火が灯されました。
地震で甚大な被害を受け、すべての住民がムラを離れる“全村避難”を余儀なくされた旧山古志村。
〈子ども〉
「中越地震の時は支援や応援をしてくださりありがとうございました」
全国からの支援もありムラの復興は進みました。
人口は地震当時から3分の1ほどにまで減少。過疎と集落の維持。大きな課題に直面しています。
〈旧山古志村の住民〉
「改めてこの地域に貢献していかないといけないなと感じます。いまこういう姿で元気にやってますと伝えることが自分ができる貢献なのかなと」
多くの悲しみ、そして困難をもたらした中越地震。それでもたくさんの支援もありました。
みんなで支え合いながら乗り越えてきました。
〈旧山古志村の高校生〉
「山古志は私たちのお父さんやおばあちゃんの世代の方たちや山古志以外の方たちから支えられて今の山古志がある、これからも感謝の気持ちを忘れずにいきたい」
〈住民〉
「毎年毎年、この日だけは普段の生活に感謝してまた隣の誰かがもし傷ついていたら私も手を差し伸べてあげられる ような、そんな生活したい」
いままでも…これからも「あの日」を忘れない。
住民たちは節目の日に、震災の記憶と教訓を見つめ直していました。