×

中越地震20年 土砂崩れ現場には献花台 住宅が水没した集落では住民らが集まる《新潟》

2024年10月23日 16:29
中越地震20年 土砂崩れ現場には献花台 住宅が水没した集落では住民らが集まる《新潟》

68人が犠牲となった中越地震から10月23日で20年です。 各地で追悼の催しが開かれています。


2004年10月23日午後5時56分……。

最大震度7の激しい揺れが中越地方を襲いました。

住宅の倒壊も相次ぎました。 そして、頻発する余震……。

ビニールハウスの中に避難する人たちも……。

冷え込みが特に厳しかったこの日……。

着の身着のまま逃げ出した住民たちは不安な夜を過ごしました。

一夜明けると住み慣れたまちは変わり果てていました。

長岡市妙見町では大規模な土砂崩れが起き、車に乗った親子3人が巻き込まれました。

地震から92時間後……。

2歳の男の子が奇跡的に助け出されました。

救われた小さな命……。 しかし、母親と3歳の姉は犠牲になりました。

10月23日の朝……。

メモリアルパークには献花台が設けられました。

〈献花に訪れた人〉
「レスキューの人たちが一生懸命やっている所の映像をじっと見ていまして、助かってくれたらいいなという気持ちしかなかったですし。忘れちゃいけない、辛い記憶」

中越地震では68人が死亡し、12万棟を超える住宅が被害を受けました。

地震で甚大な被害を受けた旧山古志村。

〈長島忠美村長(当時)〉
「壊滅的なダメージを受けてしまいました。新潟県で初めて全村避難しなければならない 状況でございます」


住民約2200人は村を離れる“全村避難”を強いられました。
地震により旧山古志村ではいたるところで土砂崩れが発生。

集落を流れていた川がせき止められて土砂ダムができ住宅が次々と水没しました。

木籠集落では24世帯のうち14世帯の住宅が水没……。 集落の高台を造成し、地震から3年後に集団移転しました。


木籠集落にある交流施設・郷見庵(さとみあん)。
施設を運営する松井智美さんはことし、住民のもとをまわり中越地震の証言を集めました。 

〈郷見庵 松井智美さん〉
「20年前、木籠集落がどんな被害を受けたかをみなさんにお伝えしたい」

山古志の人口は約720人まで減りました。
高齢化も進むなか、地域コミュニティの維持が課題となっています。

木籠集落の拠点として訪れた人たちをもてなしてきた郷見庵……。
23日は住民や仲間が集まり活気に包まれました。

〈松井智美さん〉
「おじいちゃんおばあちゃんが頑張って頑張って耐え抜いてきたこの努力、守って来たこの土地はかけがえのない大事な宝物、これは未来に伝えていっていいもの、なくしちゃいけないと感じます」

中越地震から20年……。

地震発生時刻の午後5時56分に合わせて各地で黙とうが捧げられ鎮魂の祈りに包まれます。