“世界中の爆弾をすべて花火に” 長岡花火を支えた嘉瀬誠次さんを悼み「白菊」打ち上げ 《新潟・長岡》
鎮魂の花火「白菊」の生みの親、花火師の嘉瀬誠次さん。その死を悼み、18日夜、「白菊」が長岡市の夜空に打ち上げられました。花火を打ち上げたのは息子の晃さん。白い大輪の花にに込めた思いとは。
18日夜、長岡市の夜空に咲いた白一色の花火「白菊」。
鎮魂の花火「白菊」
亡き父に捧げる鎮魂の花火です。
【嘉瀬誠次さんの息子・嘉瀬晃さん】
「どんな思いでこの白菊を作ったか分かっていますので、父に見てもらいたいですよね」
12月14日、101歳で亡くなった花火師・嘉瀬誠次さん。戦後初めて正三尺玉を打ち上げるなど長岡花火の発展に貢献してきました。
戦友への思い込めた花火「白菊」
煙火工業を営む父親のもとで花火師になった嘉瀬さんは20歳の時に出征。終戦後にはシベリアに抑留され、強制労働を強いられました。極寒の中、多くの戦友の死を目の当たりにしたといいます。
【嘉瀬誠次さんの娘・泰子さん】
「やっと帰ってきて、でも戦後50年60年経ってもいつも頭の中にあったのは一緒に帰ってこられなかった戦友のこと」
戦友への思い込めた花火が「白菊」です。墓に手向ける白い菊の花を表す白一色。
毎年、長岡空襲が起きた8月1日に打ち上げられてきました。
【12月14日に死去 嘉瀬誠次さん】
「うまくずっと昇った先に。上がった、上がった、上がったと心の中で叫びながら。ばーんと開いた先に呼吸を止めて、最後まで見届けてぱっと消えたら、良かったと。終わったら天にも昇る思い」
1488人が犠牲となった長岡空襲。
長岡戦災資料館で語り部として活動する池田ミヤ子さんです。
【池田ミヤ子さん】
「ありがたい、嘉瀬さんに感謝の気持ちもある。これだけ死んだ人を大事にしてくださって一生懸命で作られたんでしょう。今までにない真っ白な花火ですもんね」
池田さんは空襲によって姉を亡くし、「白菊」を見るたびに妹思いの優しい姿を思い出すといいます。
【池田ミヤ子さん】
「普通の花火は『きれいだな』ですけど、(白菊は)しんみりと…私の場合は姉、とっても優しい姉でしたから姉を思い出すための花火です」
幼い命も奪われた長岡空襲。
長岡市の希望が丘小学校では毎年6年生が平和学習として学んでいます。
その集大成として創作劇にも取り組みことしは11月末に発表会を開催。
劇の終了後には慰霊と平和を祈る「白菊」も打ち上げています。
〈児童〉
「戦争は絶対ダメなんだよという意味を込めて大人になっても続けられるように、自分から世界中に発信していきたい」
〈白菊を見た児童〉
「(白菊を)きのう見て、すごい思いが…命の大切さの思いが伝わってきた」
18日、長岡市の夜空に咲いた3発の白菊。
嘉瀬さんの息子・晃さんです。
【嘉瀬誠次さんの息子・嘉瀬晃さん】
「白菊は俺の花火だと言っていましたので天国で見ていてほしいなという思いで上げました」
父の追悼…そして平和への願いを込めて白菊の打ち上げを決めました。
【嘉瀬晃さん】
「帰ってこられなかった戦友の魂を鎮めるために上げたのがこの白菊。その気持ちだけはずっと考えて感じてあげたいと思います」
嘉瀬さんが残した言葉があります。
“世界中の爆弾をすべて花火に変えたい。そして二度と空から爆弾が降って来ない世の中になってほしい”