横田めぐみさん拉致47年 母校で桜が咲き誇る 父・滋さんが残した“桜の写真”が伝えることとは 《新潟》
北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさん。47年前の春、新潟市の寄居中学校に入学する際に撮影された写真があります。そこには満開の桜が写っていましたが、その木がいま伝えることとは。
満開の桜の木の前でポーズを撮る少女。
その姿に目をほそめカメラを向ける父親。
47年前の春、微笑ましい親子の光景がここにありました。
しかし、その7か月後の11月15日、最愛の娘は北朝鮮に拉致されました。
〈池田正樹さん〉
「捜査の時に使われて全国誰でもこの写真を見せると横田めぐみさんですね ってわかるようになってしまって拉致の象徴になってしまった」
新潟市中央区の寄居中学校。横田めぐみさんが拉致されるまで通っていた母校です。
めぐみさんの同級生・池田正樹さん。
風疹にかかって入学式を欠席しためぐみさん。
1977年、日曜日の4月10日、池田さんは部活のため登校した際に父親の滋さんとめぐみさんを見かけたといいます。
〈めぐみさんの同級生 池田正樹さん〉
「横田、日曜日なのに制服着て何してるんだろうなってみんな言っていましたから。それで嫌がってですね、見ていただくとわかるのですが滋さんが笑顔で『めぐみ横を向いてくれよ』とか『斜めになってくれよ』とか『足を横にして立ってくれよ』とか笑顔で楽しそうにおっしゃっていて」
カメラが趣味だった滋さん。
大切な家族との思い出を写真に収めてきました。
〈横田早紀江さん〉
「もう好きでずっと撮っていましたよ。分娩室まで入ってきたんだから、(めぐみの)写真を撮りに。それで『あなたは新聞記者ですか』って言われちゃって。『いえ、そうじゃないんですけれども』って言ったら『もう出てください』って言われちゃって」
中学入学を祝うため撮影したこの写真はめぐみさんの失踪後警察の公開捜査に使われました。
滋さんはめぐみさんとの再会を果せないまま4年前に亡くなりました。
母・早紀江さんもことし2月に88歳に。
池田さんは4月10日、早紀江さんに電話をかけ、桜の木の様子を伝えました。
〈早紀江さんに電話〉
「きょうは1人で寄居中学の前に来て早期帰国をと思ってですね」
「ありがとうございます。みんなが覚えていてくださってもうどうしたら解決するかわからないでしょ」
「みんなが一緒に声を出してくれるといいんだけどね」
めぐみさんの拉致から47年。
〈めぐみさんの同級生 池田正樹さん〉
「桜の季節は切ないですよね。この写真を思い出すので。たぶんこの桜が一番大きくてこのめぐみさんの後ろに咲いていたのもこの桜なので。もうこんなに朽ちてしまって」
過ぎ去ったあまりに長い年月。
朽ちゆく桜の木はときの重みを静かに伝えます。