「安全な対策に終わりはない」軽井沢スキーツアーバス事故から9年 大学生など15人死亡 亡き我が子たちと約束した“事故の再発防止”誓う
北佐久郡・軽井沢町でスキーツアーバスが道路脇に転落し、乗っていた大学生など15人が死亡した事故から15日で9年が経ちました。
事故現場の慰霊碑には遺族などが訪れ犠牲者を悼むとともに事故を風化させないことを誓いました。
最低気温が氷点下「1度」となった15日の軽井沢町。
肌を突き刺すような寒さの中、慰霊碑を訪れたのは事故の生存者の母親たちです。
「ちょっと地形が変わったかも」
生存者の母親 東京から(50代)
「(事故は)彼らの人生の1つになってしまったのですがいま(事故と)一緒に自分の人生を歩んでいるかなという印象です」
生存者の母親 仙台から(60代)
「9年経って日常を過ごしてきてやっぱりここに来ると、手を合わせて、亡くなった子供たちに生きている自分の息子たちはこのぐらいに成長して元気だよと」
この場所で事故が起きたのは2016年1月15日の午前1時52分ごろ。
軽井沢町の国道18号・碓氷バイパスで東京から走ってきたスキーツアーバスが制限速度を50キロ近く上回る、「時速96キロ」でガードレールを突き破り道路脇に転落。
乗っていた大学生13人と運転手2人が死亡し、「26人」が重軽傷を負いました。
この事故を巡って、長野地裁はおととし6月、業務上過失致死傷の罪に問われた運行会社「イーエスピー」の社長高橋美作被告に対し禁錮3年、当時の運行管理者・荒井強被告に禁錮4年の実刑判決を言い渡しました。
2人はその後、控訴しています。
事故当時、県警から一報を受けたとされる午前5時前、慰霊碑を訪れたのはバス運行会社社長の髙橋美作被告です。
およそ30秒間、犠牲者を悼みました。
バス運行会社社長 髙橋美作被告
「関係する全ての皆さまに心よりおわび申し上げます。誠に申し訳ありませんでした。当時となんら変わることなく時間の経過とともにむしろますます申し訳ないなという気持ちが増しております」
裁判の控訴審については言及せず現場をあとにしました。
若狭湾に面する京都・舞鶴市。
遺族会代表の田原義則さんは、事故で当時・大学2年生だった二男の寛さんを亡くしました。
命日を前に毎年、寛さんが眠る墓を訪れています。
二男・寛さんを亡くした田原義則さん
「9年経っても(事故を)忘れないでいていただいているっていうのもあるし、忘れないでもらえるような働きかけを私たちも遺族としてもやっていこうかなというふうに思いながら手合わせました」
事故から9年がたち、遺族が願うのは「2度と同じような事故が起きないこと」。
二男・寛さんの命日の15日、田原さんは慰霊碑を訪れました。
命日に必ず身に着けているのは生前、寛さんが愛用していたというマフラーです。
二男・寛さんを亡くした田原義則さん
「亡くなった子供の息子の親として息子が最期にいた場所ですので、9年前のことを思い出しながら、 悲しいことではあるんですけど、 もう一度それを思い出しながら。 9年間もうあの事故を無駄にしないように、息子と約束してやってきたことをちょっと考えながら、長めに手を合わせました。ので」
事故から8年が経った去年4月、国交省が貸切バスや観光バスの事業者に対して、点呼の記録を残すことを義務化しました。
一方、警察庁に対して求めている大型2種免許を更新する際、技能検査を導入することについてはまだ実現には至っていません。
15日午後には遺族のほか、国土交通省の古川康 副大臣など関係者が集まって意見交換会が開かれました。
事故を風化させないことやバス協会が貸し切りバス事業者の安全性を3つの星で評価する「安全性評価認定制度」をより厳しい「5つ星制度」に強化することなどが話し合われました。
その後、出席者たちは慰霊碑を訪れ、犠牲者を悼みました。
国土交通省 古川康副大臣
「このことを知らない世代の人たちが増えているということを考えると、具体的には関係業界と話をしていきながらやっていきたいと思いますが、決して何年たっても風化させることのないようにしていかなければならない、改めて強く思っています」
日本バス協会 清水一郎会長
「今のバスの人手不足、運転手不足は非常に深刻です。働き方改革も含めて、待遇改善、 バス事業者として人への投資をしっかりしていく。これが安全につながると考えているところでございます」
「今まで貸し切りバスの安全三つ星制度というのがございまして、今年の4月からこれを五つ星にするとともに、やはり人への教育でありますとか運行管理、ハードだけじゃなくてソフトも含めた制度に改めまして、この貸し切りバスの安全というものを徹底していきたいというふうに考えております」
息子・陸人さんを亡くした大谷慶彦さん
「早いものであっという間の9年間。陸人の思い出は19歳で終わっており私たち家族の中で陸人はそのままになっている。今ごろバスに乗ってるのかななんていうのを思いながら1月15日を迎えました」
娘・衣里さんを亡くした池田彰さん
「寒くないかというのがまず最初にありましたここに衣里がいるわけではないのでお父さんも頑張っているよということだけ 伝えたという形です。(控訴審は)いい形で結果が出てくれることを願っています。それによって衣里に最終的って ことではないですけども1つの区切りとして早く報告が 出来たらなと考えています」
二男・寛さんを亡くした田原義則さん
「遺族として再発防止への思いというのはさらに強くなっていると思います。これからも(事故を)風化させないように語り継いでいく取り組みに遺族としても少しでも貢献できればなと改めて思いました」
突然、愛する家族の命が奪われた事故から15日で9年。
遺族たちは亡き我が子たちと約束した“事故の再発防止”をこれからも訴え続けていきます。