海街リポート【馬の学校~ホースセラピー~】釜石・三陸駒舎 馬とふれあい子どものからだと心育む
月に1度、東日本大震災の被災地のいまを伝える海街リポートです。釜石市に、馬とふれあうことで子どものからだと心を育もうと震災後にホースセラピーを始めた男性がいます。そこにはさまざまな困難を抱えた子どもが集まってきます。
江口キャスター
「釜石市の山間の民家には、馬に会いに多くの子どもたちがやってきます」
馬とのふれあいで、子どものからだと心を育む「ホースセラピー」を行う三陸駒舎です。馬場を案内するのは、9年前、県内で唯一のこの「常設」のホースセラピー施設を立ち上げた黍原 豊さん47歳です。
黍原豊さん
「馬に乗れば(馬の)背中が揺れるので、その上でバランスを取るとか体幹がきたえられるとか身体的な効果もありますし、あとはお世話する中で、馬にとって僕って必要とされてるんだという感覚、自分はここにいてもいいんだなって心理的な面もあったりとか」
毎月のべ200人の子どもが通っています。その多くは、困難を抱えた子どもたちです。
馬に水をやっているのは、小学3年生の村谷 晴也くん(9)です。大船渡市から来ています。
父 正人さん(50)
「ADHDという発達障がいの一種らしいんですけど、パッとみた感じはそんな風には思わないんですけど、見ていると急に動き出したり立ち上がったりするんで、知らない人がみたらえっと思うようなことも」
動物が好きな晴也くんは、5年前にお母さんにすすめられこの場所を訪れ、それからずっと来ています。はじめは馬の上に乗るだけで精一杯でしたが、最近は自分から「やりたい」と言ってやぶさめをはじめました。やぶさめの経験がある黍原さんが教えています。
父 正人さん(50)
「からだ的に言えば、体幹が強くなりました。もうぶれないですからね、やっぱり動物と接することによって、心が穏やかになったっていうんでしょうかね、優しい感じになってきたような気がします」
晴也くん
「(馬にさわり)ありがとうございました。」
黍原さんは馬場のそばにある築100年の古民家に、妻と娘、馬4頭と暮らしています。古くから馬の産地だった岩手に多く残る、南部曲がり家です。愛知県の団地で生まれ育った黍原さんは、豊かな自然をもとめて岩手大学農学部に進学しました。岩手での暮らしに魅了され、地域の未来を担う子どもを育てたいと児童館などに勤めていました。馬と出会ったきっかけは、東日本大震災です。
当時黍原さんは内陸部に住んでいましたがいてもたってもいられず、妻の実家がある被災地・釜石市に移住して支援活動に取り組みました。そこで目にしたのは、避難生活を余儀なくされた子どもたちでした。
黍原さん
「抑え込まれている状態で子どもたちが生活してて、街が復興してく中で、そんな状態で過ごしてて、子どもたちはなんか、この街にいたいって思えるのかなって思ったっていうのはありました」
被災地の子どもの心を癒したい。ボランティア仲間から、ホースセラピーの話を聞き、馬を連れてきてもらいました。
黍原さん
「馬と子どもが出会ったら、子どもたちが、すごい元気になるというかぱっか~んってなんか馬に(心を)開くみたいな。かなわないなって思いました馬には負けたというか、や~これはすごいな~って」
黍原さんはすぐに家族と相談し、馬屋のある曲がり家を探して馬を飼いました。震災の5年後から始めたホースセラピーは口コミで広がり、津波で親を亡くした子どものほか、障がいのある子どもなどが多く通うようになりました。
黍原さん
「その子が持っている種みたいなものが芽吹いて、その子らしく生きていけるような感じになったらいいなと思っています」
黍原さん「おはよう」
大船渡市から通っている、双子の山﨑迅くんと郷くん(10)です。黍原さんは、この場所に来ても馬と無理にふれあってもらおうとは思っていません。2人はこの日、寒さで気分がのらなかったようです。
主屋にはたくさんの遊具があり保育士のスタッフが遊んでくれます。迅くんと郷くんの母、友里絵さん(36)です。
友里絵さん
「産まれた時から双子で小さく生まれて、知的障がい以外にも身体の障がいがあって」
2人は3歳まで歩くことができず、公園でも寝そべって過ごしました。でも、毎月ここに来て馬に乗ったり部屋で自由に遊んだりするうち、うまく歩けるようになりました。他にもいいことがありました。
友里絵さん
「居場所がないんで、障がい児が土日遊ぶ場所とか、普通にイオンとかにもいけないしいろいろなことしでかすから。親も癒されに来てます。親もほかの動物もいるんでふれあうし、ここだったら穏やかに過ごせる。自分の心が安定すると、子どもたちも伝わるから、自分のためにも来ている」
黍原さんはこれからも子どもたちの成長を見守ります。
黍原さん
「自分の心が自分だけのものじゃなくて、一緒にいる人たちと共有していくような感覚になっていくことがあって、子どもが笑うとこっちもうれしくなる」
黍原さんの相棒は何も言いません。それでもいのちのぬくもりは伝わっています。