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【海街リポート】なぜ陸前高田に?アメリカ人のスティーブン先生「移住して幸せ」市民と育む絆

2024年11月29日 18:43
【海街リポート】なぜ陸前高田に?アメリカ人のスティーブン先生「移住して幸せ」市民と育む絆

 月に一度、東日本大震災の被災地のいまを伝える「海街リポート」です。
津波で大きな被害を受けた陸前高田市に5年前に移住したアメリカ人の男性がいます。生きがいになっている仕事や、その暮らしぶりは、被災地を明るく照らしています。

 ことし9月。震災で大きな被害を受けた陸前高田市の中心部でかつてのにぎわいを取り戻そうと市が開かれました。その中、両手いっぱいに買い物をした外国人男性がいました。

「カリフォルニアから陸前高田に住んでます6年目。全部子どもたちは私の【生徒】だから、だからあの~幸せ!」

 陸前高田に移住して幸せだと話すこの男性。名前はスティーブンさんだといいます。

 後日、彼が勤務しているという大船渡市の県立大船渡東高校をたずねました。

記者「スティーブンさんを探しに来たんですけど」
生徒「英語の授業とかで週に1回お話ししている」
生徒「めちゃくちゃ明るくて返事をしたら明るく対応してくれる人」

生徒と話していると…。

スティーブンさん
「ハロ~、ハ~イ」

 スティーブン・トーレスさん(34)は、外聰国語の指導助手をしています。
ことし3月までは陸前高田市内10か所の小・中学校で英語を教え、いまは大船渡と釜石の高校で教鞭を取っています。

宇夫方聰校長
「生徒に人気のある先生です」

「スティーブン先生」のトレードマークは笑顔です。

スティーブン・トーレスさん
「私がやりがいを感じるのは、毎日みんなを笑顔にすることです」

 アメリカ・カリフォルニア州で、生まれ育ったスティーブンさん。

 日本で働いていたことのある祖父の影響で、幼いころから日本の映画や音楽が大好きでした。

 大学を卒業後、自分に合う仕事が見つからず、7年間、飲食店で雑用仕事などをしました。

 もどかしさを感じる日々。気分も落ち込みがちでした。そんな自分を変えたいと、大好きな日本に行くことを決めました。

「This is Rikuzentakata~」

 5年前、日本で外国語の指導助手をすることが決まり、最初の赴任先、陸前高田に移住しました。

 ここは全く知らない土地でした。でも、市内のさまざまな場所に出かけるうちに、たくさんの友人ができました。

スティーブンさんは、いつでも笑顔で…。

「ハロ~!」


 陸前高田に来なければ、明るくいきいきとした自分になれなかったといいます。

中でも大きいのは、教え子たちの存在です。

スティーブンさん
「始める前は 少し緊張した。人前で話したことがなく大勢の前に立つのは銅だろうと思った。でも教室に入ったら何の問題もありませんでした。私はただ、元気に、満面の笑顔で、子どもたちの笑顔を確認するだけ。生徒が楽しい時間を過ごせるようにね」

天職だと感じ、自信がつきました。

文化祭の日。誇りに思っている教え子たちを紹介してくれました。

スティーブンさん 「生徒が育てた野菜」
生徒 「白菜とねぎと大根を売ってます。愛を込めて育ててます」

 生徒が育てた野菜は飛ぶように売れていました。

 スティーブン先生の働く大船渡東高校は農業・家庭・商業・工業の学科に分かれて学んでいて、文化祭は本格的な「実習の場」です。

 これは生徒が作ったUFOキャッチャーです。

スティーブンさん
「普通の学校じゃないね」
「生徒の多くはとてもプロフェッショナルで、高校生とは思えないほどエネルギッシュ。多くの子どもたちのスティーブン先生になれたことをとても嬉しく思う。アメリカでは決して実現できなかったことだ」

 生徒の成長や幸せがスティーブン先生の生きがいです。

 そんな彼がたびたび訪れている場所があります。

 もともと神社仏閣巡りが好きで、やがて陸前高田市内にある普門寺の存在を知りました。

 天井から吊るしてあるのは、永遠に散ることのないようにとの願いを込めて布でつくられた桜です。

 陸前高田市の1807人を含め、東日本大震災の津波で犠牲になった人の数と同じ1万8000以上の花が咲いています。

 苔むす境内にあるのは遺族らが石を打ってつくった「五百羅漢」。

 いまはもう会えない大切な人を想う場所です。

 彼がここに足を運ぶワケ…

スティーブンさん
「私も幼いころ母を亡くした」

 スティーブンさんは11歳の時に、母を不慮の事故で亡くしました。

 深く傷つきましたが、家族やきょうだいに支えられ、生きてきました。

 これまで勤務した学校には震災で親やきょうだいを亡くした子どもがいました。

 自分の境遇と重ね、家族のように温かく接したいと思っています。

スティーブンさん
「被災地の子どもたちは計り知れない悲しさを抱えてきたと思う。でも私も母を亡くしたので、彼らの気持ちを少しは理解することができる」
「私には自分の子どもはいませんが、教え子たちをとても愛している」

 この5年間、およそ1000人の子どもたちに愛を持って接してきました。

スティーブンさん 「彼は私の前の生徒」

 だからどこにいても教え子たちが寄ってきます。

生徒「すごい英語話すときはみんな笑顔でしたね。みんなから愛されるような先生」

 そんなスティーブンさんも、子どもたちから元気をもらってきました。

スティーブン・トーレスさん
「私を温かく迎え地域の一員にしてくれた陸前高田の人たちにとても感謝している。みんなは本当に家族みたい」

 移住して幸せだと感じるこの場所で家族のような人たちと生きている。
スティーブンさんはこれからも、「第二のふるさと」を笑顔で明るく照らします。

最終更新日:2024年11月29日 18:43