【特集】人気ラーメン店で修業中!ふるさと思う18歳 きっかけは東日本大震災後の記憶 岩手
月に1度、東日本大震災の被災地の今を伝える海街リポートです。津波で大きな被害を受けたふるさとに賑わいをつくりたいと、将来ラーメン店のオープンを夢見る18歳の男性がいます。高校を卒業したことし4月から人気店での修業が始まりました。
陸前高田市出身の佐々木 逢釉人(あゆと)さん18歳です。津波で大きな被害を受けたふるさとにラーメン店を開きたい。夢に向かって、有名店での修業が始まりました。
半年前までは、大好きなラーメンの研究に明け暮れる高校生でした。
佐々木 逢釉人さん(18)
「1年生でスープを作って2年生で鹿肉チャーシュー、あと自分のラーメンに足りないものは何かって考えた時に卵だっていう形になって3年生は(煮)卵を研究しました」
その研究を大船渡市主催の「ビジネスプランコンテスト」で発表し、2年連続で高校生の部・最優秀賞に輝きました。
「ラーメンどんなところがいい?」
佐々木 逢釉人さん
「あったたかい、熱いじゃないですか、食べてて心も熱くなる」
震災当時の記憶がラーメンへの思いを強くしました。
全国有数のさんまの水揚げ量を誇る大船渡市。
江口アミキャスター
「18歳の佐々木逢釉人さんが修行しているのは、大船渡市の有名ラーメン店です」
平日も多くの客でにぎわう人気ラーメン店「大船渡 秋刀魚だし 黒船」です。
看板メニューは、「秋刀魚ぶし」でだしをとったコクのある醤油スープが食欲をそそる「秋刀魚だしらーめん(税込み800円)」です。
店主の岩瀬 龍三さんは22年前に黒船を開業し、県内外の人がその名を知る有名店に育て上げた、逢釉人さん憧れの人です。
高校の時のラーメン研究で、岩瀬店主を訪ねてアドバイスをもらった縁で「黒船で働かせてください」と直談判しました。岩瀬店主は、熱意をかってくれました。
営業前、逢釉人さんは具材の準備をしていました。
これまでほとんど包丁を使ったことがありません。
岩瀬龍三店主
「あまり器用じゃないです、逆にそれがいいのかなって。一生懸命やるじゃないですか。そうするとやっぱり覚えて行くだろうし、向いてる向いていないっていうよりも好きか嫌いか」
岩瀬店主は逢釉人さんのひたむきさと、ラーメンへの思いに期待を寄せています。
フォローに入ったのは、東京の料亭で板前をしていた経験がある、先輩の吉田匠平さん(20)です。
佐々木逢釉人さん
「差はひしひしと感じます」
それでも…。
「諦めずに明るく前向きにどんどんやっていこうっていうのは自分の長所だと思います」
開店と同時に厨房はあわただしくなります。先輩の吉田さんは「麺場」と呼ばれるラーメン作りを主導する役割です。最高の一杯を提供する技術はもちろん、客の注文状況から麺を茹でるタイミングなどを的確に判断する広い視野が必要です。
助手の逢釉人さんも、いずれは麺場を担当したいと思っています。
平日のランチは、ラーメンにチャーハンがつくセットが人気で、逢釉人さんは鍋を振り続けます。
ピーク時には、てんてこまいです。
逢釉人さん
「おねがいします・・・」
岩瀬店長
「まわらないときは自分でいくんだよ」
逢釉人さん
「はい」
佐々木逢釉人さん
「自分、力とか結構ない方なんで動き回ると、足がつることもあるんですけど、めっちゃ楽しいですねやっぱりラーメン屋になるっていう夢があったんで」
なぜ、ラーメン屋を夢みたのでしょうか。
陸前高田市で産まれた逢釉人さん。5歳になる3日前に、東日本大震災が起きました。陸前高田は津波で大きな被害を受けました。家族や家は無事でしたが、通っていた保育所が流され「街が暗くなった」と感じました。
初めてラーメンを食べたのは、震災後、家族に連れて行ってもらった、仮設店舗の中華料理屋でした。
佐々木逢釉人さん
「震災の当時とかみんな暗い話題とかいっぱいあったんですけど、みんなご飯を食べている時はやっぱり自然と笑顔になると思う。他の麺類と違うのってやっぱりあったかいし熱いじゃないですか。なんか食べてて心も熱くなるみたいな感じですかね、そんな気持ちで好きですねラーメンは」
人を笑顔にする一杯をつくりたい。営業後の「まかない」の時間が、逢釉人さんの貴重な修行の場です。ラーメンはまだお客さんに出したことがありませんが、毎日練習を重ねています。
「いただきます」
逢釉人さん
「まだまだかなって感じですね。スープの量でしたりスープの味を決めるかえしの量でしたり、麺茹でた後の湯切りの仕方でしたり…。それだけで味が変わってくるのでそれがやっぱり100点満点中120点になると、お客様に出して喜ばれるラーメンになると思うので、自分もそこを目指して頑張ってます」
岩瀬店主にも運びました。
逢釉人さん
「どうですか」
岩瀬店主
「いいんじゃないですか」
逢釉人さん
「ありがとうございます」
岩瀬店主
「チャーハンは本当にへたくそだったんですよ最初本当に、感動レベルでね、上手になったなと思います」
逢釉人さんの努力は、おいしそうにほおばるお客さんの表情からも伝わってきました。
次の目標は、麺場を任されること。そして、いつかふるさとでラーメン店を開くその日まで、修業は続きます。
陸前高田市出身の佐々木 逢釉人(あゆと)さん18歳です。津波で大きな被害を受けたふるさとにラーメン店を開きたい。夢に向かって、有名店での修業が始まりました。
半年前までは、大好きなラーメンの研究に明け暮れる高校生でした。
佐々木 逢釉人さん(18)
「1年生でスープを作って2年生で鹿肉チャーシュー、あと自分のラーメンに足りないものは何かって考えた時に卵だっていう形になって3年生は(煮)卵を研究しました」
その研究を大船渡市主催の「ビジネスプランコンテスト」で発表し、2年連続で高校生の部・最優秀賞に輝きました。
「ラーメンどんなところがいい?」
佐々木 逢釉人さん
「あったたかい、熱いじゃないですか、食べてて心も熱くなる」
震災当時の記憶がラーメンへの思いを強くしました。
全国有数のさんまの水揚げ量を誇る大船渡市。
江口アミキャスター
「18歳の佐々木逢釉人さんが修行しているのは、大船渡市の有名ラーメン店です」
平日も多くの客でにぎわう人気ラーメン店「大船渡 秋刀魚だし 黒船」です。
看板メニューは、「秋刀魚ぶし」でだしをとったコクのある醤油スープが食欲をそそる「秋刀魚だしらーめん(税込み800円)」です。
店主の岩瀬 龍三さんは22年前に黒船を開業し、県内外の人がその名を知る有名店に育て上げた、逢釉人さん憧れの人です。
高校の時のラーメン研究で、岩瀬店主を訪ねてアドバイスをもらった縁で「黒船で働かせてください」と直談判しました。岩瀬店主は、熱意をかってくれました。
営業前、逢釉人さんは具材の準備をしていました。
これまでほとんど包丁を使ったことがありません。
岩瀬龍三店主
「あまり器用じゃないです、逆にそれがいいのかなって。一生懸命やるじゃないですか。そうするとやっぱり覚えて行くだろうし、向いてる向いていないっていうよりも好きか嫌いか」
岩瀬店主は逢釉人さんのひたむきさと、ラーメンへの思いに期待を寄せています。
フォローに入ったのは、東京の料亭で板前をしていた経験がある、先輩の吉田匠平さん(20)です。
佐々木逢釉人さん
「差はひしひしと感じます」
それでも…。
「諦めずに明るく前向きにどんどんやっていこうっていうのは自分の長所だと思います」
開店と同時に厨房はあわただしくなります。先輩の吉田さんは「麺場」と呼ばれるラーメン作りを主導する役割です。最高の一杯を提供する技術はもちろん、客の注文状況から麺を茹でるタイミングなどを的確に判断する広い視野が必要です。
助手の逢釉人さんも、いずれは麺場を担当したいと思っています。
平日のランチは、ラーメンにチャーハンがつくセットが人気で、逢釉人さんは鍋を振り続けます。
ピーク時には、てんてこまいです。
逢釉人さん
「おねがいします・・・」
岩瀬店長
「まわらないときは自分でいくんだよ」
逢釉人さん
「はい」
佐々木逢釉人さん
「自分、力とか結構ない方なんで動き回ると、足がつることもあるんですけど、めっちゃ楽しいですねやっぱりラーメン屋になるっていう夢があったんで」
なぜ、ラーメン屋を夢みたのでしょうか。
陸前高田市で産まれた逢釉人さん。5歳になる3日前に、東日本大震災が起きました。陸前高田は津波で大きな被害を受けました。家族や家は無事でしたが、通っていた保育所が流され「街が暗くなった」と感じました。
初めてラーメンを食べたのは、震災後、家族に連れて行ってもらった、仮設店舗の中華料理屋でした。
佐々木逢釉人さん
「震災の当時とかみんな暗い話題とかいっぱいあったんですけど、みんなご飯を食べている時はやっぱり自然と笑顔になると思う。他の麺類と違うのってやっぱりあったかいし熱いじゃないですか。なんか食べてて心も熱くなるみたいな感じですかね、そんな気持ちで好きですねラーメンは」
人を笑顔にする一杯をつくりたい。営業後の「まかない」の時間が、逢釉人さんの貴重な修行の場です。ラーメンはまだお客さんに出したことがありませんが、毎日練習を重ねています。
「いただきます」
逢釉人さん
「まだまだかなって感じですね。スープの量でしたりスープの味を決めるかえしの量でしたり、麺茹でた後の湯切りの仕方でしたり…。それだけで味が変わってくるのでそれがやっぱり100点満点中120点になると、お客様に出して喜ばれるラーメンになると思うので、自分もそこを目指して頑張ってます」
岩瀬店主にも運びました。
逢釉人さん
「どうですか」
岩瀬店主
「いいんじゃないですか」
逢釉人さん
「ありがとうございます」
岩瀬店主
「チャーハンは本当にへたくそだったんですよ最初本当に、感動レベルでね、上手になったなと思います」
逢釉人さんの努力は、おいしそうにほおばるお客さんの表情からも伝わってきました。
次の目標は、麺場を任されること。そして、いつかふるさとでラーメン店を開くその日まで、修業は続きます。
最終更新日:2024年9月27日 19:43