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山形市の文翔館建築の4年前に建てられた「旧吉池医院」 設計秘話や貴重な建物継承したい

2024年6月24日 17:02
山形市の文翔館建築の4年前に建てられた「旧吉池医院」 設計秘話や貴重な建物継承したい

山形市の中心部に大正時代から100年以上にわたって地域の医院として使われてきた建物があります。この貴重な近代建築の保存、継承を願い、活動している人々の思いにせまります。

山形市の中心部、十日町の国道112号沿い。ビルの間でひときわ存在感があるのが旧吉池医院です。建てられたのは今から112年前。当時の山形では珍しかった洋風建築です。

実家が山形の女性「ここは子どものころからバスで通ることがあって見てて、中に何があるかすごく不思議な建物だったので、中を見て感動した。こんな古い建物があるということもすごいなと思ったし」
東京から来た男性「これほど昔のまま残っているのは非常に驚いた」

受付には右から読む案内板が残っています。
大きな窓がある診察室には、かつて医師が使っていた机があります。

天童の女性「とても懐かしく感じた。この病院は私が小さいころに通った病院でもあったので。具合が悪くなったらなんとかしてくれる医師というイメージで」

大正元年、1912年に眼科として開業した吉池医院。その後、小児科や皮膚科の診療所として、長年、市民らの健康を守ってきました。
しかし、去年1月末に閉院し、その半年後に院長の吉池章夫さんが亡くなりました。

近代建築山形ミュージアム委員会熊坂俊秀 代表「去年『1月31日をもちまして閉院しました』という貼り紙を見たため、これは危ないと」

閉院、そして院長の死去により、建物が失われるかもしれないー。元県職員で県景観地域づくりアドバイザーの熊坂俊秀さんは危機感を抱いた1人です。熊坂さんは、旧吉池医院など市中心部に残る近代建築の保存と活用を目指し、建築関係者や大学教授らとともに「近代建築山形ミュージアム委員会」を立ち上げ、代表となりました。そして、院長の親族に建物活用の許可を得た上で、去年11月に一般公開を実施したのです。

熊坂代表「山形の街の“個性”としてものすごく大事だと思った。なんとか残して使い続けるような形にならないかと活動を始めた。私が一番気に入っているのがこの階段。材料もすごく良い材料を使っている。100年以上経っているように見えない。仕上げも全部曲線を使って手すりも造るのが大変だっただろうと思うくらいきれいな曲線を使っている。階段そのものが芸術品みたいなもの」

建物の2階には応接室も。

熊坂代表「大事な部屋は円形の窓で、アール(曲線)を使った大きな窓になっている」

吉池医院を設計したのは、米沢市出身の建築家、中條精一郎です。20世紀前半の近代建築を全国で数多く設計した中條。委員会のメンバーで、かつて高校教師として建築を教えていた宮野悦夫さんは、明治から大正に変わる時期に吉池医院を設計した中條の思いをこう推測します。

近代建築山形ミュージアム委員会宮野悦夫さん「国家を観点にした建築のあり方から、1人1人の人間や社会生活の中でどういう建築を設計したらいいかという思いを強くした建築家。新しい時代の生活や社会に向けてこういう洋館で何か示したかったのでは」

吉池医院が開業して4年後の1916年、旧県庁、いまの文翔館が建てられました。この山形を代表する近代建築にも中條は設計顧問として関わっていました。

熊坂代表「大事なのは文翔館の設計顧問だった中條精一郎が、その4年前に吉池医院を設計したこと。いろいろなデザインを吉池医院で試したと言われていることが面白い」

旧吉池医院のことし3月の一般公開。東北芸術工科大学の学生による花や竹などの展示も取り入れ、10日間で1800人以上が来場しました。こうした反響もあり、当初は3月までとされていた建物の活用が9月まで延長されました。2階の和室には、今後の保存や活用を望む来場者の声が多く寄せられています。

来場者「本当にこれだけ凝っている良い建築というのも貴重ですよね」
熊坂代表「なんとか残せるように」
来場者「残していただけるように応援しております」

6月の一般公開で行われたのは、有志が演奏する日本歌曲のコンサートです。診察室だった部屋に歌声や楽器の音色が響き渡りました。

熊坂代表「この建物を使ってどんな取り組みができるかという、いろいろな使い方、利用の仕方についての提案をしている」

一方、旧吉池医院は個人が所有する建物であり、現状、保存するためには、所有者が税金などを負担しなければなりません。また、公共の建物とは違い、保存のために公的な支援を受けることが困難です。

熊坂代表「誰かだけがそれを負担するのではなく、これは私たち、これは民間の企業、この部分は行政、これは一般の市民の方とか、いろんな形の役割分担をすることで、街の“個性”“魅力”として旧吉池医院が活きる形になるかなと思っている」

山形市の中心部には、旧吉池医院も含め、近代建築が点在しています。熊坂さんたちは、これらの建物を貴重な文化財として捉え、街歩きで巡る取り組みなどを企画してそれぞれの価値を高めていきたい考えです。

熊坂代表「この建物がこれから街のためにいろいろな形で力を出すと確信して活動している」

旧吉池医院の一般公開は、9月まで毎月、1週間限定で行われる予定です。山形の「かけがえのない個性」を未来に継承していくための模索が続いています。

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