【終戦特集】「ああ、これで三回目…モチヅキサダオの名は見えない」1編の詩が伝える“ある家族の悲劇” 山梨県
終戦から79回目の夏を迎えます。山梨放送の記者の実家で見つかった古びた冊子。そこに載っていた1編の詩について取材を進めると、ある家族を襲った戦争の悲劇が明らかになりました。
記者の実家にあった一冊の古びた冊子。終戦の8年後…日本が独立国として再出発した翌年に発行された『冬休みの友』です。その中に1編の詩が載っていました。
【ああ、これで三回目 きょうの引揚者名簿にものっていない(中略)モチヅキサダオの名は見えない】
書いたのは当時中学3年生だった南部町の望月満保美さん。詩は終戦の5カ月後、一家が住んでいた中国・満州で連行され戻ってこなかった父・貞雄さんを思った詩です。大陸からの引き上げは多くの悲劇を生みました。
松永記者
「よろしくお願いします」
満保美さんは10年ほど前に亡くなっていましたが、2歳上の姉・満州美さん(89)は今も元気です。
望月満州美さん
「(詩には)びっくりした。一番下の妹は何でも俳句や詩にして残して、送ってよこしてあったけど、この子(二女・満保美さん)はなかった。(詩を読むと)その時の場面がほとんど浮かぶ」
当時は父の死が受け入れられず、大陸からの引揚者名簿が出るたびに名前を探したといいます。
望月満州美さん
「もしかしたら生きているかなとか、そんなあれだった」
一家が暮らしていたのは、現在の北朝鮮との国境にほど近い・柳河。
父・貞雄さんは警察官でした。一家には長女の満州美さん、詩を書いた満保美さん、三女の陽子さんが誕生し、幸せな生活を送ります。しかし、その暮らしは暗転します。
望月満州美さん
「終戦を聞いて(生活が)一変した。家に帰ったら満州の人たちがみんな攻めて来て、畳まで上げて持って行っちゃった」
見つかれば略奪され、日本人は殺されてしまう。みな、着の身着のまま逃げたといいます。
望月満州美さん
「校舎へみんな集まって一晩を明かした。男の人たちが守って部屋にみんな入った。赤ん坊が泣くんですよね。そうすると『殺せ、殺せ』ってみんな言ってね。子ども心にも本当にね。あんな思いはしてみないと分かんないですね」
一家はかろうじて多くの日本人が避難する街にたどり着きましたが翌年の1月、父・貞雄さんは突然、拘束されて戻ってくることはありませんでした。
望月満州美さん
「向こうは深い雪だったけど、お父さんが『きょうは街に遊びに行こう』って言って、みんな喜んで帰ってきたら連れていかれた」
父・貞雄さんは当時、一部の日本人の武装蜂起が失敗し報復された事件の混乱の中で、命を落としたと考えられています。
望月満州美さん
「男の人はみんな連れていかれた。うちのお父さんは牢屋に入れられたんだけど、四方の窓から機関銃でバーッと撃たれた。形もそんなに分からないくらいに。それをみんなダンプに載せて柳河に流した」
3人の姉妹を連れて弱い体に無理を重ねた母は引き揚げ船の中で倒れ、1年近く起き上がることができませんでした。
望月満州美さん
「船でお母さんがあす息を引き取るかもと思った時には(引揚先の)住所も知らないんですよ。どこにこの子(妹)たちを連れて行けばいいんだろうと悩んだ」
【「すぐ帰ってくるからね」(中略)真っ白な雪の上には はっきりとお父さんのくつあとも残っていたけれど……】
望月満州美さん
「やっぱりこの(詩の)通りだと思う。よくその場の風景を表しているなと思って感心した。2人とも何でも協力してくれて、いい姉妹でしたね」
現在も世界に戦火は絶えず、その火種は各地でくすぶり続けています。
望月満州美さん
「なんで戦争をしなきゃいけないのかと思って。毎日考えているけど。みんなに経験させてくないと思う。誰にもさせてくない、敵(かたき)にもさせたくない」
家族の名前を祈りながら探すような日常を、今をこれからを生きる人たちに経験してほしくない。満州美さんはそう考えています。
(YBSワイドニュース 8月13日放送)