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【特集】『霊山歴史館』で坂本龍馬を斬った刀の謎に迫る!体毛まで再現された“実物大”龍馬像に、西郷隆盛を斬った刀も 動乱の世に思いを馳せる京都歴史散策<中編>

2024年8月25日 12:01
【特集】『霊山歴史館』で坂本龍馬を斬った刀の謎に迫る!体毛まで再現された“実物大”龍馬像に、西郷隆盛を斬った刀も 動乱の世に思いを馳せる京都歴史散策<中編>
激動の幕末を巡る歴史散策へ<中編>

 作家・若一光司(わかいちこうじ)氏と、両親が大の龍馬好きだという『読売テレビ』プロデューサー・五十嵐竜馬(いがらしりょうま)の二人が、幕末の志士たちにまつわる貴重な資料が数多く展示されている京都『霊山(りょうぜん)歴史館』へ。前編では、龍馬を斬ったのに有名ではない男の正体を探りました。今回は、龍馬を斬るために“小太刀の達人”が送られた理由に迫ります。さらに、西郷隆盛を斬った刀も登場。幕末から明治維新への歴史を徹底調査します。

■龍馬を斬った刀が脇差だった理由を、模型でわかりやすく解説

 <前編>では、龍馬を斬った実行犯は“小太刀の達人”ともいわれている『京都見廻組』桂早之助だったという説が有力ですが、龍馬を斬った1か月半後に『鳥羽伏見の戦い』で戦死したため、有名ではないことが判明しました。

 では、なぜ龍馬を斬ったのは刃渡りの短い『脇差』だったのでしょうか?その理由が一目でわかる展示物が、『霊山歴史館』の2階にありました。

(作家・若一光司氏)
「こちらに、『近江屋事件(慶応3年/1967年)』の再現模型があります。『近江屋』は、土佐藩に関係の深い醤油商でした。そこに龍馬がいて、中岡慎太郎が訪ねて来た夜に、事件が起こったということです」

(若一氏)
「この入り口から、『見廻組』が入ってきたということですね?倒れているのは、山田藤吉ですか?」
(『霊山歴史館』学芸課長・木村武仁さん)
「そうです。相撲取りのね」
(若一氏)
「坂本龍馬のガードマンのようなもので、力士あがりの19歳の少年ですよね」

 『京都見廻組』の7人は、龍馬の知り合いになりすまして藤吉を背後から襲い、2階へ上がって、龍馬と中岡慎太郎が密談している部屋へ。そして、長刀ではなく脇差で龍馬を襲ったのです。その理由が―。

(木村さん)
「天井が勾配天井で、斜めになっていて低かったということから、脇差で斬りつけます」
(若一氏)
「龍馬がいる部屋は2階部分で、屋根が低いので長刀が使いづらいと、『見廻組』はわかっていたということですか?」
(木村さん)
「そうです」
(若一氏)
「そこで、桂早之助のような“脇差の名人”に任せた、ということになるんですかね」

(木村さん)
「刺客が頭に向かって斬りつけてきたところを、龍馬が刀で受け止めたのですが、刺客があまりにも素早かったので、刀を鞘から抜く暇なく受け止めました。それに対して刺客は、龍馬の受け止めた刀ごと斬り下ろして、龍馬の額を割ったんです」

(若一氏)
「この襲撃の日・1867年11月15日は、龍馬の誕生日です。満31歳の誕生日に殺された、ということになるわけです」

■「本当に血が流れているみたい」幕末・維新の志士らにまつわる貴重な資料

 志半ばにして殺された坂本龍馬と中岡慎太郎。貴重な資料をもとに、彼らの功績を振り返ります。

(若一氏)
「坂本龍馬の実像にどこまで迫れるか、ということで造られた『実物大のフィギュア』です」
(『読売テレビ』プロデューサー・五十嵐竜馬)
「これはリアルですね…凄い(笑)」

(木村さん)
「身長172cmと推定されていて(当時の平均身長は150cm台)、体重は80キロぐらいです。剣術をやっていましたから、腕が太いですよね」
(五十嵐P)
「血管が浮いているのも、ハッキリわかります」
(木村さん)
「あと、体毛が」
(五十嵐P)
「ほんとだ(笑)本当に血が流れているみたいですね」

(若一氏)
「そして、龍馬の性格・人柄が読み取れるのが、このお姉さんに宛てた有名な手紙です」
(五十嵐P)
「新婚旅行の手紙ですね?」

(木村さん)
「今では、手紙の中にイラストを入れるというのはたまにあると思うんですけど、当時は大変画期的なもので、普通の侍では発想できないことでした」

■龍馬は『薩長同盟』にも深い関り 今も残る歴史的な裏書

(若一氏)
「そして、こちらの赤い文字ですが、これは歴史的なものです」
(木村さん)
「桂小五郎(木戸孝允)が『薩長同盟』について内容を表に書いて、その裏に龍馬が『表に書かれていることは間違いないですよ』と証明するための裏書をしたものです」

(若一氏)
「『薩長同盟』の原点に近いものです。『薩長同盟』は、坂本龍馬と中岡慎太郎、この二人の働きがなければ成り立たなかったでしょうね」

 1864年『禁門の変』で武力衝突するなど、当時、厳しい敵対関係にあった薩摩藩と長州藩。そんな中、坂本龍馬と中岡慎太郎の仲介で、1866年『薩長同盟』が実現。その証人として、龍馬が裏書を記したのです。

■『西南戦争』で被弾した西郷隆盛を介錯した刀も現存

(若一氏)
「ちょっと龍馬を離れますが、私が来るたびに胸を打たれるのが、こちらの刀です。これも、日本の幕末の歴史に大きな影響を与えた刀です。西郷隆盛が自害する時に別府晋介が頼まれて、首を介錯する時に使った刀そのものです」

(木村さん)
「西郷は『西南戦争(1877年)』で、城山の岩崎谷という所を駆け下りていました。すると、2発の弾丸が下腹部に命中し、その時に西郷が『首をはねてほしい』とお願いして別府が首をはねた、といわれている刀です」

(若一氏)
「それが残っていて、ここにあるんです」
(五十嵐P)
「凄いですね、本当に…」

 他にも、常設展では、長州藩士・高杉晋作が漢詩を書いた鉄製の扇子や、『新選組』近藤勇が実際に使っていた刀・身に付けていた鎖帷子(くさりかたびら)なども…。

(木村さん)
「鎖帷子は6kgもあり、非常に重たいものです」

 次回、<後編>では幕末の志士らが眠る墓を巡ります。今、龍馬が見ている風景とは―。

(「かんさい情報ネットten.」2024年6月12日放送)