【特集】「天皇が住んでいた建物ではないか」大発見があった『飛鳥宮跡』発掘現場を緊急取材 山中に眠る謎の巨石『酒船石』との関係は?奈良・明日香村を徹底調査【前編】

奈良・明日香村は、様々な古墳や遺跡、そして数多くの石造物が点在しています。前編では、歴史を塗り替える大発見があった『飛鳥宮跡』の発掘現場と、不思議な文様が刻まれた謎の巨石『酒船石』へ。作家・若一光司氏と読売テレビ・坂谷龍司プロデューサーが調査します。
■飛鳥時代の中心『飛鳥宮跡』 蘇我入鹿が殺害された『乙巳の変』の現場へ
(作家・若一光司氏)
「今、私たちがいる場所は、飛鳥時代の都のド真ん中『飛鳥宮跡』です。国の史跡です。後ろに井戸の跡のようなものがありますが、これも飛鳥時代の宮殿の跡ということです」
(若一氏)
「この場所には、舒明(じょめい)天皇の『飛鳥岡本宮』、乙巳(いっし)の変で有名な皇極(こうぎょく)天皇がおられた『飛鳥板蓋宮』、天武天皇の『飛鳥浄御原宮』という、3つの宮殿が重なっています。飛鳥時代の国の中心でした」
(若一氏)
「そして、乙巳の変は、ここで起こりました」
(読売テレビ・坂谷龍司プロデューサー)
「ここで蘇我入鹿(そがのいるか)が殺されたんですね?」
(若一氏)
「そうです。正に、日本の古代史が大きく変わった現場です」
(若一氏)
「実は、すぐ傍に『酒船石遺跡』といわれる謎の巨石『酒船石』があって、今回はその謎に迫ってみたいと思います。が、その前に、なぜここに来たかというと、向こうに重機が見えますが、あの場所でびっくりするような大発見がありました」
(若一氏)
「飛鳥旧跡の発掘の中で、これまで発見されたことのないような、大型の建物が確認されたんです。まず、その現場を拝見したいと思います」
■「天皇が住んでいた建物ではないか」歴史を塗り替える大発見の現場へ
まずは、大発見があった『飛鳥宮跡』の発掘現場へ。
(若一氏)
「ここが、発掘調査の現場です。柔らかい地層・硬い地層がありますから、重なり方を考えて、元々の地形に合ったものを掘り出しています。凄いですね!」
ここからは、発掘調査に携わっている『奈良県立橿原考古学研究所』東影悠氏にお話しを伺います。
(若一氏)
「この場所で、飛鳥宮跡の中では最大規模の建物が発見されたんですね?」
(『奈良県立橿原考古学研究所』東影悠氏)
「ポールを刺した部分が、建物の柱跡を示しています。東西35m・南北15mの、非常に大きな建物が見つかりました」
今回発見された建物跡は、天武天皇・持統天皇の時代のものと思われ、飛鳥宮跡で見つかったものの中では最大規模。これまでの歴史を塗り替える大発見です。
さらに、その形状などから、ある一つの説が浮上しました。
(若一氏)
「どういった建物だったとみていますか?」
(東影氏)
「平城宮の天皇が住んでいた内裏(儀式や執務などを行う天皇の私的区域)の建物などと、構造が非常によく似ているので、恐らく飛鳥浄御原宮の天武天皇や持統天皇が住んでいた建物ではないかと」
(若一氏)
「驚かれたことはありますか?」
(東影氏)
「直径60cmぐらいの柱を全部抜き取って、恐らく藤原宮に持って行っていると思うんですが、その抜き取った穴に非常に巨大な石をたくさん詰めて、埋めていることがわかりました」
(若一氏)
「それは、どういう意味があるんでしょうか?」
(東影氏)
「石が何に使われていたのかは、まだわかっていません。これから考えていかないといけない状況です」
飛鳥宮跡の調査は現在も範囲を広げて進められていて、さらなる発見に期待が膨らみます。
■飛鳥時代からあった『酒船石』 何のために造られたのか―
若一氏と坂谷Pはいよいよ、そんな歴史的大発見の現場からほど近い『酒船石遺跡』へ。
(若一氏)
「酒船石が見えてきました。特徴は、一番上の面。掘り込みがあります」
山奥に佇んでいたのは、長さ5.5m・幅2.7m・厚さ1mの奇妙な巨石。一体、何のための石なのでしょうか―。
(若一氏)
「これは一体何なのかと、江戸時代から議論に上っていたんですが、いまだにはっきりしていません。坂谷さんは一見して、どんな目的で作られたものだと思いますか?」
(坂谷P)
「金属を流して武器を作る鋳造施設でしょうか…?」
(若一氏)
「一般的にいわれているのは、酒船石といわれる名前から『酒造』、または『水銀』『占い』『地図』など、いろんな説がありますが、ずっとわからないままで来ています」
(坂谷P)
「ミステリーサークルみたいにも見えますね」
(若一氏)
「見えますね。いろんな見方ができます」
ここからは明日香村教育委員会・文化財課の西光慎治氏と、巨石の謎に迫ります。今回の調査に合わせて、当時の貴族の衣装で来てくださいました。
(若一氏)
「この石は、いつ頃からここにあるという前提なんでしょうか?」
(明日香村教育委員会・文化財課 西光慎治氏)
「これまでの発掘調査の成果を考えていくと、飛鳥時代にまで遡るのではないかと」
(若一氏)
「当時と、石のサイズが違う可能性があるんですよね?」
(西光氏)
「横を見ると、楔の跡が両側にあります」
(若一氏)
「両端が割られて、欠けていますね。石の位置は、ずっと変わっていないんでしょうか?」
(西光氏)
「詳細は不明な点が多いですが、もしかすると、この場所ではなかったのではないかと。見ていただきますと、浮いているんです。だから、元々は山の中央ぐらいにあった石材を割って、引きずり下ろすときに運ばれた可能性もあります」
『酒船石』は飛鳥時代からこの丘の上にありましたが、中世に入り、高取城の石垣に使うため石が割られた際に、元々の場所から現在の場所へと位置がずらされたと考えられます。
次回、後編では、『酒船石遺跡』の謎と『亀形石造物』を深堀します。
(「かんさい情報ネットten.」2024年12月25日放送)