×

【特集】巨石が眠る『酒船石遺跡』の謎 神秘の『亀形石造物』は王権中枢の神事が行われていた施設か?飛鳥時代の人々が石造物に込めたものとは―【後編】

2025年3月15日 12:35
【特集】巨石が眠る『酒船石遺跡』の謎 神秘の『亀形石造物』は王権中枢の神事が行われていた施設か?飛鳥時代の人々が石造物に込めたものとは―【後編】
『酒船石遺跡』の謎を巡る

 様々な古墳や遺跡が点在する奈良・明日香村。前編では、歴史を塗り替える大発見があった『飛鳥宮跡』の発掘現場と、不思議な文様が刻まれた謎の巨石『酒船石』を調査した作家・若一光司氏と読売テレビ・坂谷龍司プロデューサー。後編では、『酒船石遺跡』と『亀形石造物』の謎に迫ります。

■『酒船石』のある丘全体が巨大な人工施設と判明

 前編で、『酒船石』の謎に迫っていた作家・若一光司氏と読売テレビ・坂谷龍司プロデューサー。前編に続き、明日香村教育委員会・文化財課の西光慎治氏にもお話しを伺います。

 謎に包まれていた『酒船石』ですが、近年の“ある発見”をきっかけに、少しずつその全貌が見えてきました。

(明日香村教育委員会・文化財課の西光慎治氏)
「この丘陵、山全体が、人工的に盛られた丘であるとわかってきました」

(作家・若一光司氏)
「今、自然の丘・小山に上がってきた感じがしますけど、実は、この丘そのものが人工的に作られたもので、そこにこの巨石が意図的に置かれている可能性が高まったんです。これは凄いことでしょう?」

(読売テレビ・坂谷龍司プロデューサー)
「凄いですね」

(若一氏)
「ちなみに、巨石の周りにあるこの辺りの石は、何か関係あるんでしょうか?」

(西光氏)
「よく見ると、石と石の面が揃っているように見えませんか?この下に、石が敷いてあります。この石は、斉明天皇の時代の天理砂岩で、それが溝状になっています」

(若一氏)
「斉明天皇の時代に天理で切り出して、運河を造って、ここに運んできたということですか?」

(西光氏)
「その石の一部が、これです」

(坂谷氏)
「ということは、ここで何をしていたんでしょうか…?」

(西光氏)
「その謎を解くのが、『斉明天皇二年の条に宮の東の山に石を累(かさね)て垣(かき)とす』という、日本書紀の記述にあります」

(西光氏)
「宮とは、先ほど見ていただいた飛鳥宮跡のことですが、その宮の東側の山に石垣を作りました。その石垣を作るために、天理の石上山(いそのかみやま)から200艘の船を浮かべて、飛鳥まで運んできたと記録があります」

 1990年代の調査により、この丘を800mにわたって取り囲んでいる石垣が実際に発見され、酒船石のある丘全体が巨大な人工施設であることが判明しました。

■道路をつくろうとして発見!『亀形石造物』では様々な儀式が行われていたか

 そして、2000年にさらなる驚きの発見があった石造物へ。

(坂谷氏)
「凄い!水が流れていますね」

(若一氏)
「湧水施設があって、それが小判型の石に落ちて、そこから亀形の石に落ちてという形で、流れているんだということです」

(西光氏)
「元々、ここに道路をつくる計画があって、それに先立つ調査を行っていたところ、東の階段になっている石垣の上から見つかりました」

(西光氏)
「それをどんどん追いかけていくと、地面の中に階段がどんどん潜り込んでいくので、『この下には何か重要なものがあるんだろう』と掘り進めていくと、この亀が見つかりました」

(若一氏)
「これが2000年に発見されたときは、大ニュースになりましたよね。この発見によって、上の切り石の石垣、そして酒船石との関連性が問われ、今では全体を『酒船石遺跡』という見方をするようになってきています」

 では、これらの石造物は一体、何に使われていたのでしょうか―。

(西光氏)
「斉明天皇の時代に、石造物がたくさん造られています。日本書記の記述と合わせると、聖なる水を使った儀式が行われていたのだろうとみられています」

 さらに、『亀形石造物』の発掘現場は本来、石垣で覆われた神秘的な空間だったといわれ、そこで様々な儀式が行われていたそうです。

(若一氏)
「突然ですが、西光さんが我々のために飛鳥時代の衣装を用意してくださいましたので、着てみました(笑)こういう格好をした貴人たちがここに集って、重要な儀式をやっていた可能性があるということなんです」

(若一氏)
「その重要な儀式というのは、今でも天皇が代々引き継いでおられる『新嘗祭(にいなめさい)』や『大嘗祭(だいじょうさい)』など、そういう儀式と関係するものでしょうか?」

(西光氏)
「今見えているのはほんの一部で、もっと北のほうまで施設は広がっています。過去の調査で、そこで『黒木』という建物の部材が出たりしているので、儀式が行われていた可能性もあります」

(若一氏)
「天皇が即位されて最初にされる新嘗祭が大嘗祭で、その際に仮設の建物を造っていたといわれていますが、そういったものの跡があった可能性があるんですか?」

(西光氏)
「木材が出土しています」

(若一氏)
「正に、王権中枢の神事が行われていた施設だということですね。凄いですねぇ」

■復元された『亀形石造物』を間近で見られる飛鳥資料館へ 飛鳥時代の人々が石造物に込めたものとは―

 天皇が関わる祭祀の施設だったということが有力になる『亀形石造物』を復元し、間近で見られる施設があるということで、三人は飛鳥資料館へ―。

(若一氏)
「こちらが飛鳥資料館です。この庭は自由に無料で見られるんですが、その中に酒船石に関するものが復元されたりして、置かれています」

(若一氏)
「間近で見れば、どういうものかわかりますね」

(坂谷氏)
「思っていたより大きいですね」

(西光氏)
「よく見ると、水槽の上に穴が開いています。地下から水が沸き上がっていますから、不純物をこの水槽でろ過して、上澄みだけがこの上の穴を伝って亀の甲羅に入る。だから、水がたくさん溜まっています」

(若一氏)
「斉明天皇は重祚(ちょうそ)して、初めは皇極天皇でしたが、2回目の天皇・斉明天皇になってから6年間ぐらいで、こういった巨大な石造物をたくさん造っています。これは、どうしてでしょうか?」

(西光氏)
「乙巳の変の後、これまでの豪族中心から天皇中心の新しい国造りへと移行する中で、中国や朝鮮半島の国々と肩を並べるために、一早くこういった文化を取り入れて、飛鳥の都作り・日本の国家形成の基礎作りを表しています」

(坂谷P)
「時代の転換期の象徴みたいなことですか?」

(若一氏)
「かもしれませんね」

 いまだ謎が多い飛鳥時代の石造物―しかし、そこには国造りを担う人々の決意と、新たな時代への願いが込められていたのかもしれません。

(「かんさい情報ネットten.」2024年12月25日放送)

最終更新日:2025年3月15日 12:35