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鑑定医の診断 “妄想”は犯行に影響したのか【連載:京アニ事件ー傍聴席からの考察ー第4回】

2024年1月25日 7:00
鑑定医の診断 “妄想”は犯行に影響したのか【連載:京アニ事件ー傍聴席からの考察ー第4回】
青葉真司被告

 京都アニメーションのスタジオに放火し36人を殺害したなどの罪に問われている男の裁判が、一つの山場を迎えた。最大の争点となっている“刑事責任能力の有無と程度”について、被告の精神鑑定を行った2人の医師への証人尋問が行われ、検察と弁護側の双方が本裁判の核心に迫る法廷論争を激化させた。京アニ裁判をめぐる連載、今回は、“精神疾患と責任能力”について考える。(報告:尾木水紀 阿部頼我 藤枝望音)

■責任能力とは

 刑事裁判において度々耳にする「責任能力」。京都大学で責任能力について専門に研究する安田拓人教授は、次の2つの要素から構成されると説明する。

 ①認識能力:悪いことを悪いことだと思う能力
 ②制御能力:犯行を思いとどまる能力

 そもそも刑罰とは、“犯罪行為に対しての非難”であり、「なぜ、そんなことをしてしまったのか」というように非難を加えられる場合にしか科すことができないという。

 安田教授は例として、「ピストルを突きつけられた状態で犯行を強制された場合」を挙げる。この場合、抵抗することができず自分の意思に反して罪を犯していると評価できるため、非難を加えることはできない。

 責任能力の観点からは、②の制御能力が無いと判断されるため、罪に問われないと結論付けられるという。また、精神疾患と責任能力について、精神疾患があればただちに責任能力無しと判断されるわけではない。

 精神の障害が圧倒的な影響を及ぼし、①と②の少なくとも片方が欠けている場合を心神喪失、そして、どちらかの能力が著しく減少している場合を心神耗弱と呼び、責任能力がない、または限定的と判断される可能性があるのだ。

■青葉被告の鑑定結果…2人の医師で診断分かれる

 青葉被告について、起訴前と起訴後にそれぞれ別の医師によって精神鑑定がなされている。起訴前については検察側の請求で、起訴後については弁護側の依頼により裁判所の請求で行われた。鑑定内容は、①犯行時の精神障害の有無及び内容、②精神障害が犯行に与えた影響の有無及びその程度、の大きく2つである。

■起訴前の医師の意見

 起訴前に鑑定を行ったA医師は青葉被告を「妄想性パーソナリティー障害」と診断した。妄想性パーソナリティー障害とは、人格障害の一種で精神疾患には位置づけられていない。他人が自分に敵意を向けているなど、根拠のない疑いを持つなどが症状の特徴だ。

 そのうえで、妄想は犯行に至った補足的な理由に過ぎず、「精神疾患の影響はほとんど認められない」と意見を述べている。

■起訴後の医師の意見

 起訴後に鑑定を行ったB医師は青葉被告を「妄想性障害・重度」と診断した。妄想性障害とは長期にわたり妄想が存在する精神疾患で、妄想以外の症状がないことや、妄想が現実でも起こりえる内容である点で、統合失調症とは区別される。

 そのうえで、「妄想は犯行の動機を形成している」と意見を述べ、妄想の与えた影響を指摘した。

■ポイントは「犯行に及ぼした影響」

 2人の医師の鑑定結果を比べると、診断名は「妄想性パーソナリティー障害」と「妄想性障害」であり、異なるものとなっている。そして、最も大きな違いは、精神疾患と位置づけられるかどうかだ。

 「妄想性パーソナリティー障害」はあくまで人格的な問題の一種で精神疾患としては扱われない一方、「妄想性障害」というのは、精神疾患の一つとされている。似て非なる診断名といえるが、証人尋問ではこの診断名の違いについて、弁護側が厳しく追及する様子も伺えた。

 ただ、裁判官らが責任能力の有無を判断する際の最大のポイントは、診断名の違いや精神疾患であるかどうかではなく、あくまで“疾患が犯行に与えた影響の有無やその程度”である。

 起訴前の鑑定を行ったA医師は、青葉被告が京アニに恨みを募らせ犯行に至った動機について、2つの主な要因をあげる。1つが、京アニ大賞への落選などという現実の出来事、もう一つが青葉被告の持つ“他人のせいにしがち”であったり“自分は特別な存在だと思い込みやすい”性格だ。

 青葉被告の抱いていた妄想の影響については、あくまで補足的な要因にすぎないと結論付け、「犯行対象を京アニに選んだことに影響した」と指摘している。

 一方、起訴後に鑑定を行ったB医師は、「妄想は犯行の動機を形成している」と結論付けた。ただ、犯行にどのように影響したかについてまでは言及がなかったため、裁判官からは、具体的な影響の及ぼし方について次のような質問が重ねられた。

 (裁判官の質問)
 「『動機を形成している』の動機とは、犯行の意思決定のことですか?」
 「ガソリンを撒いて火を付けることへの決意を指しているのですか?」

 やり取りを通してB医師は、「複雑な形で関係している」とのみ答え、明確な表現を避けた。最終的には、「犯行の組み立て(計画)には影響していない」と意見を述べた。

 つまり、“京アニをターゲットにする”という犯行の動機に、妄想が影響しているものの、“ガソリンを撒いて従業員を殺害する”という犯行の手段や計画そのものについては、妄想は影響していないと判断したのだ。

 程度の違いはあるものの、この点について、A医師とB医師の見解は一致しているといえる。

■医師の証言踏まえた法廷論争へ

 責任能力の有無をめぐり、2人の医師は青葉被告が抱いていた妄想についてそれぞれ異なる評価を示した。ただ、妄想が犯行に与えた影響については概ね一致していて、青葉被告の持つ本来的な性格や現実の出来事が大きな要素を占めていることを指摘している。

 心神耗弱や心神喪失によって罪に問うことができないとするには、妄想が動機の形成や犯行そのものに圧倒的な影響を及ぼし、正常な理屈では説明できないような状況が必要だ。

 その一つの例が、2017年に神戸市北区で、祖父母ら5人を殺傷した罪に問われた男性だ。30代の男性は、当時同居していた祖父母と近所に住む女性の3人を包丁で刺すなどして殺害したほか、母親ら2人も殺害しようとした罪などに問われていたが、「被害者は人間ではない哲学的ゾンビだった」と話すなどし、一審の神戸地裁は、「心神喪失状態にあった疑いが残る」として無罪を言い渡した。

 さらに、去年9月の控訴審の判決で大阪高裁は、「圧倒的な妄想の影響下で犯行に及んだ可能性が払拭できない」として一審の無罪判決を支持した。このように妄想が圧倒的な影響を及ぼしたかどうかがポイントとなるが、青葉被告の裁判では、弁護側は、「A医師よりもB医師が正しい」「妄想性障害はあった」といった内容の質問に終始し、妄想が犯行に与えた影響についての立証が不十分との印象を与えた。妄想の具体的な影響を指摘することへの難しさがあったように感じる。

 そして、去年11月6日は、責任能力に関しての中間論告・弁論が行われ、2人の医師の証言などをもとに、検察側と弁護側の双方が意見を述べた。

 検察側は、「青葉被告が事件前に抱いていた『自分の小説が盗まれた』などの妄想は、現実の出来事から青葉被告が独自に解釈して生まれたもので、いずれも命を狙われるなど差し迫ったものではなかった」と指摘。「せいぜい、京アニに対する怒りを強化した程度で、犯行の動機形成に与えた影響は大きくない」と結論づけ、「完全責任能力があった」と主張した。

 これに対し弁護側は、「青葉被告は10年以上にわたる妄想の圧倒的な影響に翻弄され苦しみ続けていて、『京アニ大賞への落選』という出来事だけでは本件犯行につながらない」と主張した。そのうえで、「妄想世界での体験や怒りが、善悪を区別し判断する能力を失わせた」と指摘し、「病気のない青葉被告を間違いなく責任が問えるとは言えない」などと反論した。

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