小野寺昭「石原裕次郎さんは僕にとって永久のボス」 『太陽にほえろ!』で活躍した車たち
1972年から放送を開始した『太陽にほえろ!』は、個性あふれる刑事たちの活躍を描いた人気ドラマ。小野寺さんは、初期メンバーとして8年間、おしゃれで優しい・島公之(しま・きみゆき)、通称“殿下”を演じました。
■登坂能力が高い“マカロニ”の愛車
萩原健一さんが演じていた、“銃を撃ちたい”という理由で刑事になった“マカロニ”。イタリアの西部劇の総称、マカロニ・ウエスタンから名付けられたといいます。
そんな、“マカロニ”がドラマで乗っていた愛車は『スズキ ジムニー』。1970年に、初代LJ10が唯一の四輪駆動軽自動車として発売したこの車は、でこぼこ道やぬかるみなど、どんな悪路も走破するパワーを発揮。排気量360ccでありながら、傾斜を登る登坂能力は2000ccクラスと肩を並べるほどでした。
小野寺さんは、『ジムニー』を前に「僕とゴリさん(竜雷太さん)も、マカロニが乗らない時に乗りましたよ」と懐かしみました。さらに、久々にハンドルを握ると「ハンドルがすごく軽い。これは、どんな悪路も平気だね。エンジン音がバイクだね」と乗り心地を明かしました。
『ジムニー』に乗りながら、撮影当時を振り返った小野寺さん。萩原さんについて「役に入りこむと無鉄砲な感じでしたが、普段は口数も多くなくて物静かでした」と人柄を明かしました。
■“ゴリさん”が愛用 爽快な走りと安全性能
押しの一手、“ゴリ押し”で捜査を進めることから、名付けられた竜雷太さん演じる刑事・“ゴリさん”。そんな彼の愛車は、『トヨタ スプリンター』でした。姉妹車の『カローラ』よりも、上級かつスポーティーに設定され、短距離走者“スプリンター”の名がつく爽快な走りと、安全性能を両立していました。
実際に乗車し、アクセルを踏んだ小野寺さんは「いまの車と変わらない。ちょっと踏み込むとスピードが出そう。ハンドルも軽い。(ドラマに登場する)七曲署の車なので、僕が乗ることもあった」と振り返りました。
またゴリさんのキャラクターについて、「女性に弱いキャラで、女性を取り調べる時に“殿下、ちょっと代わってくれよ”と交代する場面があった」とドラマを回顧しました。
■“殿下”の殉職を飾ったファミリーカー
小野寺さんが演じたのは、いつもオシャレで優しく、どこかの国の貴公子を思わせる姿から名付けられたという“殿下”。そんな、“殿下“が愛用した車が『トヨタ コロナ』でした。“太陽の冠”を意味する『コロナ』は、明るく親しみが持てるファミリーカーになれるよう思いが込められたといいます。
久々となる『コロナ』の運転に小野寺さんは「これハンドル重い。(ドラマで)殉職した時に乗っていたのが強烈な思い出」と明かしました。
自身の殉職シーンは、ドラマのプロデューサーに自身の要望を伝えたそうで「新人刑事と同じではない殉職が、良いと思っていた。あっけなく“えっ、これ殿下死んだの?”という殉職の仕方をお願いしました。迫ってくる暴走トラックを、よけようとして崖から(車ごと)落ちて爆発。殉職を知った仲間の刑事たちの、1人ずつの顔のリアクションがものすごく良くて感動した、殿下の殉職が成立した」と、ドラマの降板で花を持たせてくれた出演者とスタッフに感謝していました。
■50年越しの初運転 憧れた“ボス”の愛車
石原裕次郎さんが演じた“ボス”は、エリートでありながら妥協を許さない性格が災いし、出世街道から外れた勇猛果敢な役柄。小野寺さんは「ボスは係長だった。署長とのシーンもボスの方が貫禄があった」と、石原さんの風格をたたえました。
そんなボスが、乗っていたのが『トヨタ クラウン』。劇中に登場した1974年発売の5代目は、ハードトップを名乗りながら安全性を考慮して、車側面でドアを保持する柱・センターピラーを残す“ピラードハードトップ”を採用。“王冠”を意味する『クラウン』の車名は、ボスが乗るにふさわしい車でした。
『クラウン』について、小野寺さんは「僕はなぜか、この車には乗っていない。(当時)クラウンに乗りたいなと思っていた」と明かしました。50年越しに憧れだったボスの愛車を初めて運転した小野寺さんは「ゆったりしていいですね。この車は運転手さんがいて、後部座席に乗りたい車ですよね」と乗り心地を実感していました。
石原さんとの撮影を振り返った小野寺さん。共演について「(石原さんは)若い役者に“ああしろ、こうしろ”と絶対に言わない。殿下がボスにつっかかるシーンでも“好きなようにやれ、俺は受けるから”と、自由にやらせてもらった。ダメ出しとかしないんですよ。現場で怒ったこともないし、穏やかで優しい人でした。僕にとって永久のボスです」と、石原さんの器の大きさと人柄を敬いました。
■役者人生のベースとなった『太陽にほえろ!』
最後に、“小野寺さんにとって『太陽にほえろ!』とは?”という質問に「自分の役者人生のベースとなった作品。偉大な先輩たちの背中を見ながら、優秀な後輩が入ってきて、色々な俳優さんたちと一緒に仕事が出来たことが、役者人生の糧の1つになったと思います」と明かしました。