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元サッカー日本代表 野人・岡野雅行、選手時代のモチベーションとなった歴代の愛車を振り返る

2023年3月25日 22:00
元サッカー日本代表 野人・岡野雅行、選手時代のモチベーションとなった歴代の愛車を振り返る
これまでの愛車を振り返った岡野雅行さん

元サッカー日本代表の岡野雅行さん(50)が、歴代の愛車とともにこれまでのサッカー人生を振り返りました。

岡野さんは、持ち前の俊足とロングヘアから“野人”のニックネームで親しまれ、1997年に開催されたサッカーワールドカップアジア最終予選では決勝ゴールを決め、日本をワールドカップ初出場に導く大活躍。20年間の現役生活ののち41歳で引退し、現在はガイナーレ鳥取の代表取締役GM(ゼネラルマネジャー)を務めています。

■初めて手に入れた愛車は“父のおさがり”

父親が三菱自動車に勤務、さらに岡野さん自身も三菱自動車サッカー部が前身の浦和レッドダイヤモンズに入団。そんな三菱自動車に縁がある岡野さんは18歳で免許を取得。19歳で初めて手に入れた愛車が『三菱 パジェロ』でした。

1982年に登場した『三菱 パジェロ』は、“JEEP”を販売していた三菱が一般層向けの四輪駆動乗用車として開発。抜群の悪路操作性で『パリ・ダカールラリー』では総合優勝12回を果たし、日本が世界に誇る名車の一つと言われています。さらに、4WD車として国内初のサスペンションシートとなっており、車の振動をシート自体が吸収する仕組みになっています。

久しぶりに『パジェロ』を運転した岡野さんは「やっぱり軽いですね、ハンドルが。懐かしいのと、ハンドルに遊びがありすぎるんだという感覚。乗り心地はなんとなく思い出しました」とコメント。

さらに「すごい乗りました。遠征行くときもみんな乗せて行ったりとか、海もこれでみんなで遊びに行ったりとか、渋谷に買い物行くときとかもこれでみんなで行ったりとか。これでナンパしにも行って」と、当時の思い出を振り返りました。

■浦和レッズから意外なお誘い

日本大学に進学した岡野さんは、当時大学最強と言われていた筑波大学との試合で5人抜きから決勝ゴールを決めるなどの大活躍。
その年に開幕したJリーグの6チームからスカウトの声がかかったそうで「浦和レッズだけが“中退して来てくれないか”って言ってくれたんです。そんなこと言ってもらえたことがないので、それはもう行くしかないなと思って。夢のような話でした」と、浦和レッドダイヤモンズに入団した当時の裏話を明かしました。

■こだわりのカスタムは“苦い思い出”がきっかけ

岡野さんが23歳の時に乗っていた4代目の愛車は『シボレー アストロ』です。GM(ゼネラルモーターズ)が手掛けた初のミニバンで、耐久性に優れた頑丈なボディーに、4.3リッター V6エンジンを搭載しています。さらにヘッドライトが特徴的で、日本に正規輸入されていたのは1灯バージョンでしたが、ビッグマイナーチェンジ以降のものから2灯バージョンが入ってきました。

岡野さんはアストロを選んだ理由について「Jリーガーってみんなポルシェとかゲレンデとかで、やっぱりちょっと変わったのがいいなって思って、アメ車見たときにかっこいいなって思って、これにした」とコメント。続けて「相当いじりました。埼玉に改造してるちょっとやんちゃなお兄ちゃんがいて、そこに持って行ったら“じゃあ俺風に変えていいですか?”って言われて、それでフルスモークで黒塗装でハンドルもシルバーにして、内装も全部変わっていて、すごく気に入りました」と、約700万円をかけたカスタムのこだわりを明かしました。

しかし、この愛車には苦い思い出も。「ちょうどこれを買ったときに今の嫁にフラれまして。1回フラれているんです。だから、1人なので好きなの乗ろうかなと思って…。アメ車のいいところは、自分の車に、オリジナルにできるところ。そういうのが楽しかった」と、アメ車の魅力を語りました。

■ニックネーム“野人”の誕生秘話

実は“野人”と呼ばれるきっかけはチームメートだったという岡野さん「浦和レッズに入ってオーストラリアのキャンプに行くときに、オーストラリアは暑い国なので、Tシャツ・短パン・サンダル・リュックサックで成田に行ったら(自分以外)全員スーツで。ゴールキーパーの土田尚史さんが“おまえなめてんのか? “野人みたいだな”ってポロッと言ったんです。それでたまたま一緒に来ていた記者さんが『浦和レッズに野人が入団』みたいな記事を出して。その当時浦和レッズすごい弱かったんですけど、僕が初めてレギュラーで出た試合で初めて浦和が勝ったんです。そしたらスポーツ誌に全部『野人』って書かれて、そこから勝手に野人になりました」と語りました。

そして岡野さんは、1997年に日本をワールドカップ初出場に導き『ジョホールバルの歓喜』を巻き起こしました。しかし、岡野さんはこのイラン戦を、サッカー人生で唯一出たくなかった試合だったと振り返ります。試合は2対2の同点で後半が終了し、延長戦から出場した岡野さんは、緊張のあまりシュートを打てるチャンスでパスを出して、カットされてしまったと言い「ゴール裏のサポーターが“バカやろー!”って言ってて、本当にサッカーやったことを恨みました。趣味でやってきて、それが仕事になって、そんな幸せなことはなかったんですけど、あのときだけは、何でサッカー始めちゃったのかなと思った」と、苦い思い出を語りました。

■10時間運転しても疲れない愛車は「見た目もいいし乗り心地もいい」

33歳の時に乗っていた8台目の愛車は『クライスラー 300C』。ダイムラー・クライスラー時代に登場し、2005年に『北米カー・オブ・ザ・イヤー』を受賞した大型セダン。全長5メートルを超える大型ボディーに、5.7リッター V8エンジンを搭載。重厚で安定した走りと快適な居住空間などで人気となっていました。ベンツEクラスのリアサスペンションとトランスミッションを流用しているので、乗り心地にも定評がありました。

家族が気に入っていたというクライスラーは、12年間所有したそうで「見た目もいいし乗り心地もいいし、(別の車に)買い替えるときに家族が泣いてましたからね。本当に静かですし、アメ車とは思えない。これで鳥取もしょっちゅう行きました、10時間かけて。3.4回休憩はしますけど、疲れないですね、楽なので」とコメント。さらに「アメ車が好きですね。顔が好きというか、ちょっといかついのが好き」と、アメ車への愛を語りました。

■車は“モチベーション” 「頑張らないとなと思わせてくれる存在」

岡野さんの現在の愛車が『ジャガー F-PACE』。2016年に登場したジャガー初のSUVで、2017年の『ワールド・カー・オブ・ザ・イヤー』にも選出されました。岡野さんは「色々な車が置いてある中、ちょっと横幅が大きくて、何の車なのかなと思ってディーラーに聞いたら、“ジャガーです”って言われて、そんなのあるんですねってなって、一目ぼれしました」と、愛車との出会いを語りました。

そして、ガイナーレ鳥取のGMとしての今後の目標を聞くと「まずJ2に昇格するということが1番みなさんが喜んでくれることですし、とにかく町おこしになるので、アウェーのお客様も増えますし。J2の時は経済効果が全然違いました」と、“野人”のイメージとは異なるビジネスマンとしての顔を見せた岡野さん。

最後に、“岡野さんにとって車とは?”と質問すると「車って選んで買えるっていうのは幸せですけど、頑張らないと選んでなんて買えないわけで、仕事頑張って好きな車を選べるようにしないとなって思わせてくれる“モチベーション”というか“ステータス”というか。それをずっと続けていけるように頑張らないとなと思わせてくれる存在」とコメントしました。

(3月25日放送のBS日テレ『おぎやはぎの愛車遍歴』を再構成)