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武藤敬司、壮絶プロレスラー人生で愛車に依存 師匠・アントニオ猪木さんとの師弟愛を明かす 

2023年2月25日 22:00
武藤敬司、壮絶プロレスラー人生で愛車に依存 師匠・アントニオ猪木さんとの師弟愛を明かす 
歴代の愛車を語った 元プロレスラー・武藤敬司さん
2月21日にリングから退き、39年間の現役生活に幕を下ろした元プロレスラーの武藤敬司さん(60)が、これまでの愛車とレスラー人生を振り返りました。

武藤さんは1984年、21歳の時にアントニオ猪木さんが率いる『新日本プロレス』の門をたたきました。そして、同期の蝶野正洋さん、橋本真也さんと“闘魂三銃士”を結成。新日本プロレスのニュースターとして頭角を現し、瞬く間に日本を代表するレスラーとなりました。類い稀な才能とプロレス愛を併せ持ち、誰もが口をそろえて“天才”と称した武藤さんは、2月21日に惜しまれながらも39年間の現役生活にピリオドを打ちました。

武藤さんの現在の愛車、『メルセデス・ベンツ S400 ハイブリッド』は、メルセデスのブランドを象徴するフラッグシップモデル。高級感とスポーティーさを併せ持つ、ラグジュアリーサルーンです。2013年に購入したという『ベンツ S400』はすでに、現在の流行にもなっているメーターを、ステアリング越しに視認できる液晶ディスプレーが装備されていました。

武藤さんの『ベンツ S400』の左後方には、敬司・武藤の名前を元にしたエンブレム“K610”がカスタマイズされていました。武藤さんは「蝶野は、“CHONO”とやっていたんですよ」と盟友のエンブレム事情にも一言。

愛車を走らせながら、武藤さんは少年時代の車事情について、「俺、山梨の田舎で生まれて、実家が造園業をやっていたんですよ。高校を卒業して車の免許を取って、自家用車は造園業で使うトラックだった」と明かしました。

■元々は、国家資格“柔道整復師”を目指して…

プロレスラーを目指すきっかけについて、武藤さんは「プロレスに入る前、柔術の技術を応用して治療を行う“柔道整復師”(ほねつぎ)の国家資格免許を取りに行った。インターンしている時に、当時『新日本プロレス』の選手が、ケガをしたら必ず行く接骨院があって、そこの院長先生に(新日本プロレスを)紹介された。俺は、ほねつぎの仕事は向いていないと思っていた時で、“治す方より、壊す方がいいな”と思って入門した」と冗談を交えて振り返りました。

■武藤敬司「入門して3日で辞めようと思った」

武藤さんは、蝶野正洋さん、橋本真也さんと同日に、新日本プロレスに入門。過酷すぎた新弟子時代の思い出について、「ヒンズースクワットを午前中に1000回やらされて、夜に2000回やらされた。俺は田舎からきて、まじめにやっていたけど、蝶野は要領がいいから俺が3回やった時に1回やって、ごまかすのがうまかった」と笑いを誘いました。

続けて武藤さんは、「入門して3日で辞めようと思っていた。鬼軍曹の山本小鉄さんが、他の人が辞めるときには『じゃあな』だったけど、俺の時には『もう少しだけガマンしろ ガンバってみろ』と引き留めてくれたんです。それが、すごくうれしくて」と恩人の言葉を懐かしみました。

■アメリカでの武者修行

入門から、わずか半年でリングデビューを飾った武藤さん。1年後にはアメリカ・フロリダへの武者修行を命じられたそうで、「山梨から上京して、東京はすげえ、ビルばかり並んでって思った。アメリカは、もっとすごいだろうと勝手にイメージしていたけど、山梨よりだだっ広いだけだった」と苦笑いで懐古。

修行地で生活するために、アメリカの自動車免許を取得したという武藤さんは、「ペーパーテストが(通常は)英語なんだけど、スペイン語、フランス語、中国語(バージョン)はあるんだけど、日本語のがなかったんですよ。だけど辞書を持って試験をやってよかったんだけど、中には引っかけ問題もあって、3回目の試験で合格した」と苦戦したことを明かしました。

■グレート・ムタの誕生

1988年、武藤さんが25歳の時に、蝶野正洋さんと橋本真也さんの3人で“闘魂三銃士”を結成。翌年には武藤さんの悪の化身、グレート・ムタがアメリカデビュー。ヒール役として現地の人を魅了したそうです。武藤さんは、「俺の前にアメリカに行ったのが、ザ・グレート・カブキさん。カブキさんの息子という前提でデビューした。カブキさんには本当のお嬢様がいて、(カブキさんの娘が)『お父さん、私にお兄さんがいたんですか?』と責められたみたいです」と、カブキさんの逸話を明かしました。

またグレート・ムタ誕生の、きっかけについて武藤さんは「プロモーターから『童顔すぎるから、顔にペイントしてと言われた。顔を塗って最初は“武藤”と書こうと思ったけど、画数が多いからやめて、様になるのが“忍”と“炎”と言う字だった。鏡を見て自分で書いていたけど、日本から送られてきた雑誌を見て初めて、反対(鏡文字)になっているのに気づいた」と失敗のエピソードを明かしました。

■初愛車の“苦い思い出”と“幸せ”

18歳で自動車免許を取得したものの、世界各地で活動していたため愛車を購入する機会がなかったという武藤さん。しかし、ペーパードライバーではなかったそうで、「当時、新日本プロレスの道場にバスがあって、それで後楽園ホールに行ったりとか運転手をしていた。だから、たまに山梨の実家まで(バスを借りて)帰っていた」と告白。

そんな武藤さんが、28歳で初めて購入した愛車は『日産 フェアレディZ』でした。バブルの時代に沸く1989年に登場した日産を象徴するスポーツモデル。V6 3000ccのツインターボエンジンを搭載し、最高出力は国産車で初めて280psを達成。Zのキャッチコピーは、“スポーツカーに乗ろうと思う。”当時の車好きが憧れた名車中の名車です。

フェアレディZについて、武藤さんは「俺が'(ボディーカラー)赤に乗っていて、蝶野が黒に乗っていた。俺、顔(正面から見たZ)が好きだった」とコメント。初愛車の思い出について、「買って1か月くらいに、付き人に“ワックスをかけといて”と頼んだ。道場の前で作業してくれてたら、泡がだんだん赤くなってきて、泡を取り除いたら(車全体に)キズがついていた。研磨剤が入っているワックスだったようで、ショックだった」と苦い思い出を明かしました。

約30年ぶりにZのハンドルを握った武藤さんは、「(エンジンが)いい音だなあ。いまの女房と出会った時、この車に乗っていた。実は(妻は)蝶野の同級生なんですよ。(妻が)蝶野の試合を応援しに来ていて紹介してもらった」と、なれ初めを明かしました。

■伝説の対抗戦10.9

1995年10月9日、新日本プロレスと、髙田延彦さんが率いるUWFインターナショナルが、団体対抗戦を開催。会場の東京ドームで、6万7000人の観客が見守る中、団体対抗最終戦の大将戦に出場した武藤さんは、髙田さんとの決戦を制しました。しかし、当時の武藤さんは「いまだに語られたりするんだけど、試合が終わって猪木さんにスゲー怒られたんだよ。(猪木さんに)『お前しょっぱい試合をしやがって』と言われ、もっとケンカっぽい試合をしてほしかったらしい」と、伝説となった一戦の裏側を明かしました。

それまで武藤さんといえば、コーナーポストの最上段からバック転をしながら、倒れた相手にめがけてボディープレスを仕掛ける“ムーンサルトプレス”が必殺技でした。この技は、仕掛ける側にもリスクがあったそうで「膝が痛いのに(やっていた)この試合で(相手の足をつかんだ状態で回転し膝をひねる)“ドラゴンスクリュー”と、(相手の足を“4”の形でホールドして、膝にダメージを与える)“足4の字固め”を初めて使った。この技が(必殺技として)説得力を生んだことで、レスラー人生を延ばすことができた」と、プロレス人生を左右した一戦だったと明かしました。

■家族との絆を深めた渡米生活

2000年に武藤さんは、家族と一緒に渡米。そこでレンタルしていたという車が『キャデラック セビル』でした。ベンツやBMWなど、欧州車に対抗するべく誕生したアメリカ製のプレステージカーは、V8 OHVエンジンを搭載し、排気量4892cc、最高出力は200psで優雅にクルージングできる豪華なセダン車です。

約20年ぶりにセビルと対面した、武藤さんは「懐かしいなあ、(今でも)まだかっこいい。ずっとレンタルで(乗っていた)アメリカ車は滑るように走り出すから好き。(当時、テキサス州の)ダラスから、コーパス・クリスティ、約650キロの道のりを早朝に出発して、夜に試合があって翌朝に帰ってくることがあった。しかも、その時はお客さんの入りが悪くて試合が中止、むなしく寂しく帰ってきた」と苦笑いで明かしました。

また、アメリカでは災難が続いたという武藤さんは、「アメリカのWCWという大きなプロレス団体が、技術をうちのレスラーたちに教えてやって欲しいと呼ばれたんです。だけど、呼んでくれたボスが、渡米した時にはいなくなっちゃって、違うボスが来たら『お前なんか呼んでない』と言われた。だから仕事はそんなになくて」と明かしました。

しかし、武藤さんは家族と渡米したことについて、「下の子供が生後2~3か月で、どれだけの期間行くか分からなかったから家族皆で行った。仕事がないから練習ばかりしてコンディションが良くなったし、楽しかったですね。その時が、家族として一番濃密な時代だった」と家族の絆が深まったことを明かしました。

■師匠からもらった“最初で最後のビンタ”

2022年10月、武藤さんの師匠・アントニオ猪木さんが79歳でこの世を去りました。武藤さんは、猪木さんについて「プロレスの歴史をたどると、力道山さん、ジャイアント馬場さんというラインは保守本流、猪木さんはオリジナルを自分で作り出し、攻めるタイプのスタイルだった。しかし、新日本プロレスの思想が変わったことから、馬場さんが創設した全日本プロレスに移って、猪木さんとは疎遠になってしまった」と神妙な面持ちで明かしました。

2020年、武藤さんがプロデュースするレジェンド・プロレスラーが集った『プロレスリング・マスターズ』に、猪木さんも参加。当時のエピソードについて、武藤さんは「リング上で猪木さんにビンタをもらった。最初で最後のビンタをもらった」と明かし、続けて「最近になって知ったんだけど、2月21日に引退試合は決まっていて、猪木さんにコメントをお願いしようと思っていた。前日の20日は猪木さんの誕生日で、猪木さんに近い人から『(猪木さんが)80歳になって最初の仕事は、武藤の仕事か』と言っていたことを聞かされて、ウルッとした」と師匠からの愛に目をにじませました。

■武藤敬司にオススメ 最新メルセデス・ベンツ

引退後の武藤さんが、興味を持っているという電気自動車。メルセデス・ベンツが愛車の武藤さんにオススメしたのは、2022年9月に登場の『メルセデス・ベンツ EQS 450+』。メルセデスの電気自動車ブランド『EQ』シリーズに、ついにSクラスが登場。大容量バッテリーと、空力デザインを生かし、満充電で700キロメートルの航続距離を達成。新世代のラグジュアリーカーとなっています。

EQSのダッシュボードには、助手席まで広がる3枚の大型ディスプレーで構成されたMBUXハイパースクリーンを装備。またトランクは610リッターの大容量で、ゴルフバックが縦に4つも収まるサイズとなっています。武藤さんは、「スゲえ広い、これ住めるよ」と興奮した様子を見せました。初乗車した武藤さんは、「静かだなこれ、これいいっすね。欲しくなってくる。俺が乗っているSと機能操作が変わらない。この車に乗っていると、エネルギーが沸いてくる。引退するのは惜しかったかな」と興味を示しました。

そして、“引退後にやりたいこと”ついて武藤さんは、「いたわりたいですね。自分のこの体を、今までよく頑張ってくれたと。これで何もしなくなると、余計にボロボロになっていきそう。トレーニングは少し続けていこうかな」と現在の気持ちを明かしました。

最後に、“武藤さんにとって車とは?”と質問すると、「俺、本当に車は“依存しているよ”。足を痛めているから、ドア to ドアの生活でないと不自由、車がなければできない」と生活必需品であることを明かしました。

(2月25日放送のBS日テレ『おぎやはぎの愛車遍歴』を再構成)