漫画家・楳図かずおさん、自らの人生語る “ライバル”は「たとえば手塚治虫さん、鳥山明さんも」
“グワシ”のポーズをとる楳図かずおさん(写真:日刊スポーツ/アフロ)
10月28日に88歳で亡くなった、漫画家・芸術家の楳図かずおさん。自身の著書で、“漫画との出会い”や“ライバルの存在”について明かしていました。
■“絵”との出会いは、母の『実験』
1988年に発売された書籍『恐怖への招待』(楳図かずお著/河出書房新社刊/現在品切れ中)。その中で楳図さんは、『生まれた時から絵に夢中だった』と記し、 絵を描くようになったきっかけについて、「ほとんどまだ歩けない頃、歩行器をたよってホニャホニャ言っている頃に、母はこういう子はもし紙と鉛筆を与えるとどんな絵をかくだろう、実験してみようなんていって、紙と鉛筆だったかクレヨンを持たせて、それでああかけ、こうかけといって三角だの丸だのをかかせた。母は、ああ、こんな子供でもやらせればできると思って、それでいろいろ教えていったらだんだんかくようになったんだと言うんだよね」と、つづっています。
■手塚治虫の作品で漫画に目覚める 友達から漫画を借り「これなら僕にもかけると」
その後、楳図さんが漫画に目覚めたのは、小学4年生の頃に出会った“漫画の神様”と言われる巨匠・手塚治虫さんの『新宝島』だといいます。
同時期に、友達から借りた漫画を読んだ楳図さんは「これなら僕にもかけると、一瞬思ってしまったんだよね。だから、すぐさま藁(わら)半紙綴じて、『魔法のつぼ』というのをかいちゃったんだけれど」と衝動的に描いた作品を明かし、「忘れてしまったけど、主人公がペーターという男の子だったというのだけは、よく覚えているのね」と当時を回顧しました。
さらに、手塚さんの漫画以外も読み進めた楳図さんは、東京で出版されている作品より大阪の作品の方が面白いと感じるようになったといいます。その理由を「東京のは、本のタイトルは忘れたけど、倉金章介とか、大城のぼるとか、わりときれいなマンガで、大阪のっていうのは、どぎついんだけども、そこがすごく魅かれる、マンガはこうじゃないとおもしろくないと子供ながら思うものだった」と明かしています。
同時期に、友達から借りた漫画を読んだ楳図さんは「これなら僕にもかけると、一瞬思ってしまったんだよね。だから、すぐさま藁(わら)半紙綴じて、『魔法のつぼ』というのをかいちゃったんだけれど」と衝動的に描いた作品を明かし、「忘れてしまったけど、主人公がペーターという男の子だったというのだけは、よく覚えているのね」と当時を回顧しました。
さらに、手塚さんの漫画以外も読み進めた楳図さんは、東京で出版されている作品より大阪の作品の方が面白いと感じるようになったといいます。その理由を「東京のは、本のタイトルは忘れたけど、倉金章介とか、大城のぼるとか、わりときれいなマンガで、大阪のっていうのは、どぎついんだけども、そこがすごく魅かれる、マンガはこうじゃないとおもしろくないと子供ながら思うものだった」と明かしています。
■楳図さんが明かした“ライバル”
また、ライバルについて楳図さんは「そのときに一番売れている人というのは、ある意味ではライバルにはなるけれど、またしばらくすると売れてる人は変わっていくから、個人的にこの人がライバルというのはあまりないよね」と明かしました。
その理由について、“負けてはいけない”と思うことがあるとして、有名漫画家である手塚さん、鳥山明さんがライバルであると明かし、「あまり一生懸命読み過ぎると(中略)相手と同じようなことをかいているときに、かけなくなる」と明かし、「似ていたよと言われても、へえそうですか、ですんじゃうけど、読んでいるとそうはいかなくなる」とつづっています。
その理由について、“負けてはいけない”と思うことがあるとして、有名漫画家である手塚さん、鳥山明さんがライバルであると明かし、「あまり一生懸命読み過ぎると(中略)相手と同じようなことをかいているときに、かけなくなる」と明かし、「似ていたよと言われても、へえそうですか、ですんじゃうけど、読んでいるとそうはいかなくなる」とつづっています。
最終更新日:2024年11月6日 21:40