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経済
2018年1月2日 18:53

エネルギー政策見直し 原発依存どうなる?

エネルギー政策見直し 原発依存どうなる?
(c)NNN

国の長期的なエネルギー政策の方針である「エネルギー基本計画」について有識者による見直し作業が進んでいる。福島第一原子力発電所事故後、焦点となっているのは、原発や再生可能エネルギーへの依存度をどうするかだ。

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■エネルギー基本計画から3年…原発を取り巻く状況は?

原発について今のエネルギー基本計画では、安全性が確認されたら再稼働させるほか、依存度を「可能な限り低減」させるとしている。また2030年度の目標として電力の20~22%を原発でまかなうとしている。

世耕経産相は今の基本計画ができてから3年しかたっていないため「骨格を変える段階ではない」としている。しかし、3年間で原発を取り巻く状況は本当に変わっていないだろうか。有識者の会議では、地球温暖化防止や原子力の技術を維持する観点などから、原発の維持や新設、建て替えの必要性を求める意見が出された。

■“ルールの形骸化”指摘も

一方で、今の基本計画の骨格を変えないという世耕経産相への異論もあがった。現在稼働している原発は5基。地元自治体が慎重姿勢であることなどから再稼働の進捗(しんちょく)は遅い。目標達成には30基程度の再稼働が必要になるが、原発には運転期間を40年に制限するというルールがある。そこで老朽化した原発を10基以上運転する必要が出てきていて、ルールの形骸化を指摘する声がある。

■もんじゅの廃炉決定…核燃料サイクルの予定は先が見えず

また日本の原発政策の柱でもある、使用済み燃料を再利用する核燃料サイクルをめぐっても、要に位置づけられていた高速増殖炉もんじゅがトラブル続きで一昨年、廃炉となることが決まった。核燃料サイクルの予定は先が見えなくなっている。

■原発の発電コストは本当に「安い」のか?

さらに2017年末には「核のゴミ」に関する説明会に、謝礼としてお金をもらった学生が出席していたことが分かった。政府は原発の発電コストを「安い」としているが、「核のゴミ」を捨てる場所のメドが全く立たない中では説得力がない。有識者会議でも原発コストの見直しを求める声があがっていた。会議では原発の必要性を訴える意見は多いが、多くの課題が指摘されている。

■“主力”になる道筋が見えない再生可能エネルギー

また、もう一つの焦点、再生可能エネルギーについて、今の基本計画では、導入を加速し中長期的に採算がとれることを目指す、としている。2030年の電源としては22~24%を占めることが目標になっている。ただし内訳を見ると、このうち約9%が水力で、太陽光約7%、風力約1.7%などとなっていて、政府が目指す“主力のエネルギー”になる道筋は見えていない。

再生可能エネルギー最大の課題はコストだ。気象や地形的な違いあるが、日本でのコストは世界と比べればまだまだ高い。国民負担に裏打ちされたFIT(=固定価格買い取り制度)により成り立っているのが現状だ。また、時間によって発電量が大きく変動して電源として安定しないことも乗り越えるべき課題だ。

送電容量の増強など電源系統の充実が求められるが、誰がその費用を負担するのかなど検討すべきことは多い。将来のエネルギー計画をめぐっては経産相の私的勉強会に位置づけられる有識者会議が2050年を見据えた議論を行っている。2050年も原発を電源として一定の比率を維持するならば、原発の新設や建て替えが必要となってくる。そうした議論も新たなエネルギー基本計画に反映される見通しだ。

このほか政府は2017年末、水素を新しいエネルギーの選択肢とする基本戦略をまとめた。2050年には天然ガス火力発電並みのコストに引き下げることを目指すとしている。ただ、水素の調達先の大部分は海外としていて、資源の輸入頼みの構造は変わらない。

■経産省の常識と国民の常識に「大きな乖離」が?

以上のように、将来のエネルギー計画をめぐっては、今後の技術の進歩にゆだねられることもあり、不確定な部分も多い。また、政府が基幹電源と位置づけている原発に対して国民のアレルギーが根強いのも事実で、有識者の会議でも「どう信頼を得るか」「地に足のついた議論を」という声が相次いであがった。

新しいエネルギー基本計画は2018年夏頃にもまとまる見通しだが、原発のことをなぜコストが「安い」と言い切れるのか。再生可能エネルギーのコストがなぜ「高い」構造になっていて、どうすれば乗り越えられるのか。経産省・資源エネルギー庁の「常識」が、国民の「常識」とはまだ大きな乖離(かいり)があると言えるのではないか。情報を十分に開示してオープンな議論を行い、国民が納得できるバランスの電源構成となるよう、国民目線で努力し続けることが政府には求められている。