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台湾はなぜ親日家多い?現地では―

2017年9月7日 17:59
台湾はなぜ親日家多い?現地では―

 日本で災害が起こると、台湾から多額の支援がある。親日家が多いという台湾だが、その感情の背景には何があるのだろうか。諏訪中央病院・鎌田實名誉院長が解説する。

 「(印象は)悪くないよ。(日本統治時代には)いじめられたこともあったけど、私たちの生活面とか面倒を見てくれた」――こう話すのは日本の統治時代には、日本人から差別を受けたこともあったという89歳の洪さん(女性)。しかし、東日本大震災の時には、1万台湾元、現在の為替レートでは約3万6千円の寄付をしたという。

 寄付は都市部に住む人からだけではない。畑が広がる台湾北東部の町「五結郷」。人口4万人ほどにもかかわらず、日本への寄付の総額は94万台湾元(約340万円)にものぼった。鎌田氏がその理由を聞くと―

 「台湾と日本は家族のように思うし、家族が災難にあったとき、心から痛みがあふれてきて(五結郷・簡松樹郷長)」「今の台湾があるのは、日本が当時(統治時代に)たくさん建設してくれたから、今の台湾がある。日本をすごく尊敬しています(陳さん・84歳)」

 日本は統治時代、鉄道やダム、学校などのインフラを整備。今でもその時代に造られた建物などが数多く残されている。日本と台湾の交流に詳しく、去年まで台湾の最高司法機関のトップだった、頼浩敏さんはこう話す。

 「日本と台湾は歴史的・地理的にも非常に緊密な関係がありまして、いざ日本が災難にあったとわかったら、直ちに感情的に反応を起こしますね」――日本と同様、地震の多い台湾。その苦労がわかるからこそ、日本に被害があれば、手を差し伸べるのは当たり前だと話す。

 1999年9月に起きた台湾大地震では、マグニチュード7.7の地震によって2400人以上が命を落とした。この時の日本からの救助隊に対する感謝の思いも東日本大震災の支援につながったという。

 台湾赤十字・王清峰会長「あの震災の時に日本からたくさんの支援がありました。今度は助ける側です」

 こうした台湾からの支援によって建てられた病院がある。鎌田氏が震災1か月後に訪れていた志津川病院。津波にのみ込まれた病院は、震災から4年9か月後、南三陸病院として再開した。総工費約56億円のうち、4割にあたる約22億円が台湾赤十字からの寄付金だった。また支援の手は、病院の他にも災害公営住宅や保育所にも及んだ。

 王さんが見せてくれたのは、日本から届いた数多くの手紙や感謝状。岩手県山田町の小学校から送られたという横断幕もあった。王さんは「子供たちに安心して学べる環境をつくるのも私たちの願いです。とてもうれしいです」と話す。

 今回のポイントは「海を越えて支え合う心」。今回、お互いを思いやる心が日本と台湾をつないでいるということがわかった。いま、日本には台湾だけでなく、あらゆる国や地域からお客さんがたくさん来ている。台湾の人たちに対する気持ちと同じように僕たちは心を開いて外国の人を迎えたい。