戦後80年 被爆2世の調律師が「被爆ピアノ」の音色で伝える平和 広島
2025年は被爆80年となる年です。
そのスタートとなる正月、平和公園では記憶を語り継ぐ決意とも言えるピアノの演奏会が開かれました。
企画したのは被爆2世のピアノ調律師の男性です。
今年の元旦。原爆ドームの背後から顔を覗かせた初日の出です。
被爆から80年。平和への誓いを新たにしました。
その原爆ドーム前では元日から演奏会が開かれました。
使われるのは原爆による熱線と爆風を受けた被爆ピアノです。
広島市の調律師・矢川光則(72)さんが企画しました。
■矢川光則さん
「今年は被爆80年という大きな節目。これからも記憶を継いでいくという意味で無念にも原爆で亡くなった被爆者を被爆ピアノで哀悼を捧げるという意味でこの場所でやっている」
矢川さんはこれまで、被爆した数々のピアノを引き取り修復してきました。
「被爆ピアノ」とともに、トラックで全国各地をめぐりピアノの所有者や家族の思いなどを伝えています。
被爆80年を前に、矢川さんが新たにはじめた取り組みがあります。
広島市内にある原爆犠牲者の慰霊碑の前で、被爆ピアノを演奏するというものです。
中には山道を登った先に作られ、存在が忘れられた慰霊碑もあるといいます。
■矢川光則さん
「被爆ピアノの音色を通して、79年前、80年前に起きたことをみなさんがまた思い出して、平和の尊さを考えてもらうきっかけにづくりになる」
そして、今年最初の演奏場所は原爆ドーム前でした。
★長島清隆解説委員リポート
「原爆が投下されたとき、原爆ドームの中には当時の内務省の職員が多数いました。こちらはその慰霊碑です。」
太平洋戦争末期、産業奨励館には木材を統制する会社や内務省の事務所があり、多くの職員が犠牲になりました。
周辺には、いくつもの慰霊碑があります。
演奏に使われたのは、爆心地から2.6キロの場所で、爆風を受けたピアノです。17歳で被爆したカズコさんという女性から矢川さんが譲り受け修復しました。
■矢川光則さん
「このピアノを持って帰るときが 非常につらかったんです。持ち主(カズコさん)の方がすごく号泣されるんですね。その方にとってはこのピアノと共に被爆されてい るわけですし、カズコさんにとってはこのピアノは自分の分身のようなものだったと思う」
爆風の傷跡が残るピアノ・・・。その音色におよそ80人が耳を傾けました。
■演奏を聞いた人
「正直、80年という期間で、本当に戦争があったのかどうか印象が薄れている。過去を見ることはできないけど、過去の音に触れることができるというのは、今わかったので、今後もあって欲しい」
過ちを繰り返さないために、音楽で伝える平和です。
■矢川光則さん
「被爆者は80年ということで, 高齢で語り継ぐ人は減少していると思うんですよね。後世にどう伝えるかが課題になってくるが、この被爆ピアノが果たす役目は ますます大きくなると思う。」
【スタジオ】
広島市の慰霊碑の数は市が認定しているものだけで207あります。
広島市中心部以外にも多く、負傷して運ばれてきたり、救護所で亡くなった方を慰霊する碑などです。
80年経って存在を知らなかった人も、自分の身近で亡くなった方がたくさんいたと知ることで、原爆は決して他人事ではないと考えるきっかけになります。
矢川さんは今年の原爆の日まで、各地の慰霊碑での被爆ピアノ演奏を続けます。