独裁政権崩壊シリア“解放に沸く街” 市民はいま…内戦の爪痕も【バンキシャ!】
独裁的なアサド政権が崩壊したシリアの首都ダマスカス。街では支配から解放された市民が日常を取り戻そうとしている一方、行方不明となった家族を捜す人々も。独裁政権が残した傷に苦しめられる市民の姿がありました。NNNの現地取材です。【バンキシャ!】
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14日。NNNの取材班はシリアとレバノンの国境にいた。
平山晃一 記者 NNNシリア国境付近
「いま国境検問所を越えて、シリア側の街の方に入りました。左側は壊れた車がそのまま放置されていますね」
街に残る内戦の爪痕。
平山記者
「あちらにはアサド元大統領親子の肖像があるんですが、顔が黒く塗り潰されていますね」
約50年にわたりシリアを統治してきたアサド親子。秘密警察を使い市民を監視、拷問を行うなどして、親子2代で築いた独裁体制が12月8日、崩壊した。
14日、バンキシャが話を聞いたのは、日本在住でシリア出身のアルマンスールさん。
バンキシャ
「最初に(政権崩壊の)ニュースを聞いたとき率直にどう思いましたか?」
日本在住 シリア出身 アルマンスール アフマドさん(60)
「ジャンプして喜んでダンスをしました。夢か現実かって、疑ったんです。でも本当でした」
9年前まではシリアの大学で勤務。しかしアサド政権に抵抗する学生をかばううちに、自らも目をつけられ脅迫されるようになったという。
アルマンスールさん
「私は脅迫されて殺されると心配して。来日する前にはしばらくの間は、自宅には泊まることはなかった。逃げていました」
肌で感じた命の危機。アルマンスールさんは子供2人と妻を連れ、留学経験のあった日本に来るしかなかった。いまシリアに戻り、やりたいことがあるという。
アルマンスールさん
「父は(私が)来日して4日後に亡くなった。母は2年前に亡くなった。全く会わずに本当に残念でした。会いたかったです。お墓参りにいって報告します」
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シリアでは、反体制派としてアサド政権に投獄されていた人たちが解放される動きが。
アサド政権崩壊直後 サイドナヤ刑務所(ADMSPのXより)
「怖がらないで。外に出て。怖がらないで」
街では、行方がわからない家族を捜す人たちの姿も。混迷が深まるシリア。その現状を取材した。
シリアのアサド独裁政権が崩壊して1週間。13日、街には“支配からの解放”を祝う市民の姿が。14日、シリアの首都ダマスカスに、私たちNNNのカメラが入った。市場に行ってみると…
平山晃一 記者 NNNダマスカス
「ほとんどのお店が開いていて大勢の人でにぎわっています」
中には、きらびやかなアクセサリーを真剣な目つきで選ぶ人も。
洋服店 店員
「ご覧の通りです。状況は混乱していましたが、少しずつ回復しています」
「もともと経済はよくありませんが、これから状況がよくなることを期待しています」
市民の生活は日常を取り戻しつつあるように見えた。一方で、街の中心部にある広場では…
平山記者
「こちらのモニュメントの土台には、たくさんの顔写真が貼られています。これらはアサド政権下で行方不明になった人たちだということです」
政権崩壊から1週間たった今も、新たに貼り続けられる行方不明者の顔写真。
さらに病院を訪ねてみると、隣接する遺体安置所にも行方不明になった家族を捜すたくさんの人たちが。
家族を捜す人
「アサド政権に逮捕された二十歳の息子が行方不明なんです」
運び込まれていたのは、刑務所などで見つかった遺体。政権に異論をとなえたとして収容されたとみられている。
反政府活動に参加していた息子が行方不明だという人は…
息子を捜す母親
「刑務所にも捜しに行きましたが、書類は全てなくなったと言われてしまい、何の手がかりもありません」
これは政権が崩壊した直後に撮影された、ダマスカス近郊にある刑務所内の映像。
反政府勢力
「怖がらないで。外に出て。怖がらないで。」
頑丈な扉の向こうには、たくさんの女性の姿が。さらに、まだ小さな子どもまで。
反政府勢力
「かわいそうに。誰の子だろう」
人権団体によると、サイドナヤ刑務所では毎週数十人が処刑され、2011年からの5年間で最大1万3000人の市民らが殺されたと推測されている。
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刑務所の中で、いったい何が行われていたのか──。
バンキシャが話を聞いたのは、シリアの刑務所に収容されたことがあるというムスタファさん。
過去 シリアの刑務所に収容 ムスタファさん(44)
「私が刑務所に収容されていたのは、2011年5月から2012年8月までのおよそ1年3か月です。私の車の中から黒いスプレー缶が見つかりました。それだけで私が反アサド運動に関係していると疑われたのです」
ムスタファさんが収容されたのは、横2メートル、奥行き1メートルの独房。枕も毛布もなく、冷たい床に転がって眠るしかなかったという。
ムスタファさん
「刑務所にいたときに食べていた朝ご飯はこれです」
わずか7粒のオリーブ。自殺防止のため、種は回収されるなど、厳しく管理されたという。独房で90日ほど過ごしたあと、次に移された場所は、さらに劣悪な環境だった。
ムスタファさん
「集団部屋に入りました。横6メートル、奥行き4.5メートルの部屋で、120人ほどが入っていました。寝るときは60人が横になり、60人が立つという生活です。その部屋にはおよそ7か月間収容されました」
およそ4時間つるされ、むち打ちを100回受けるなど、激しい拷問も受けたという。刑務所から解放されたのは収容から1年3か月後のこと。体重は50キロ近く落ちてしまっていた。
いまは妻と子ども5人と一緒に暮らしている。シリアの未来を担う、子どもたちに望むことは…
ムスタファさん
「子どもたちには私たちが生きた人生と違う人生を送ってほしいです。子どものために血を流して、命を犠牲にしてきました。シリアを再建してほしいです」
今後シリアはどうなっていくのか。専門家は…
防衛研究所 西野 正巳 研究室長
「“恐怖の政権”のようなものはなくなったということになります。その点においては、国民はいま幸せを感じているであろうと思われます」
「恐怖が消えたことと、国家の再建なり安定的発展というのは、すぐにつながっていくものではないので、その点ではまだ厳しい道があると思われます」
*12月15日放送「真相報道バンキシャ!」より