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【コラム】かつてはジャズ黄金時代の中心地…「ニューヨーク52番街」の今をたどる

2023年2月1日 18:00
【コラム】かつてはジャズ黄金時代の中心地…「ニューヨーク52番街」の今をたどる
“スイングストリート”の別名を持つ「ニューヨーク52番街」

「ニューヨーク52番街」と聞いてピンと来る人は音楽好きだと思う。ビリー・ジョエルが1978年に発売したアルバムのタイトルは「ニューヨーク52番街」。ジャズピアニスト、セロニアス・モンクのスタンダードナンバーにも「52番街のテーマ」という曲があり音楽ファンにとっては、想像を駆り立てられる響きを持つ場所である。
アメリカ音楽の歴史を刻んできた通りを、往時をしのんで歩いてみた。
(日本テレビ ニューヨーク支局長 末岡寛雄)

■“スイングストリート”の別名を持つ「ニューヨーク52番街」

ニューヨーク・マンハッタンは京都や札幌と同じように道路が碁盤の目状になって、縦の通りがアベニュー(番街)、横の通りがストリート(丁目)と呼ばれている。“52番街”と訳されているが、一般的に日本語では52丁目と表記されることが多い。
マンハッタン・ミッドタウンのオフィス街のど真ん中にある交差点に掲げられている52丁目の看板表示には「スイングストリート」という別名が並記されている。かつては52丁目がジャズの中心地であった名残をうっすらと感じることができる。

■「ザ・ストリート」と呼ばれた52丁目…かつてはジャズの中心地

現在の52丁目はミッドタウンの高層ビルが建ち並ぶオフィス街だが、かつての写真を見ると、ナイトクラブのネオンがきらめく夜の猥雑な雰囲気が映し出されている。
ジャズクラブに掲げられた看板に目をこらすと「ミスティ」を作曲したことで有名なエロール・ガーナーの名前を認めることができ、ジャズの黄金時代の一端を一枚の写真から感じることができる。

52丁目は1930年代から50年代まで、ジャズの中心地として殷賑を極めた。イエローキャブの運転手に、「ザ・ストリート」へ行ってくれと告げると、52番街のジャズクラブがひしめくエリアへ車を走らせてくれたという。
ビリー・ホリデイ、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、セロニアス・モンクやマイルス・デイビスらがこの場所で夜な夜なセッションし、ビバップ黄金時代のサウンドが形作られた。
冒頭にあげたセロニアス・モンクのビバップの代表曲「52番街のテーマ」は、52丁目に立ち並ぶジャズクラブのオープニングとクロージングのテーマ曲だったという。

■名盤が録音された「バードランド」…今ではストリップ劇場に

また、ジャズの有名スタンダード曲、「バードランドの子守歌」は、当時52丁目にあったジャズクラブ「バードランド」のテーマソングとしてジョージ・シアリングが作曲した。今に至るまで多くの歌手やミュージシャンにより演奏が継がれている。

その「バードランド」は52丁目で最も有名なジャズクラブの一つ。チャーリー・パーカーのあだ名“バード”を冠したクラブで、戦後間もない1949年にオープンした。アート・ブレイキーの「バードランドの夜」をはじめ、カウント・ベイシーなど往年の有名ミュージシャンによって数々のアルバムが録音され、ジャズファンにとっては“聖地”のような場所である。
マイルス・デイビスがニューヨーク市の白人警察官に正当な理由もなく殴られて流血騒動となったのも52丁目にあった「バードランド」の前だった。

だが「バードランド」も時代の変化のあおりを受けて経営破綻し、1965年に52丁目の店舗を閉鎖。
数々の名盤が録音されたジャズの“聖地”は今どうなっているのか訪ねてみた。

52丁目とブロードウェイの角に立つ建物は当時のまま残されていたが、かつて「バードランド」があった場所で、今はストリップクラブが営業していた。クリスマスシーズンが終わった通りは閑散としていて、現代風に改装された銀色のドアにとりつけられた青いネオンが路上をこうこうと照らしているのみで往年の賑わいを感じることはできなかった。
(現在は同名の「バードランド」がタイムズスクエア近くの44丁目で営業を続けている)

■ナイトクラブが立ち並んだ夜の町はオフィス街に変貌

また、ビリー・ジョエルの6枚目のアルバム「ニューヨーク52番街」というタイトルは52丁目と7番街との交差点に音楽スタジオがあったことから名付けられた。
ビリー・ジョエルの若かりし頃のジャケット写真は、スタジオが入るビルの前で撮影されたものだが、当時の建物は近代的な高層ビルに建てかえられ、ミュージックシーンで賑わった52丁目をしのぶことは今では難しい。
2023年現在、52丁目は高層オフィスビルが建ち並び、昼どきはフードトラックが所狭しと並び、昼食を買い求めるニューヨーカーが行き交うオフィス街となっている。

■禁酒法時代からあるレストランにもパンデミックの波が

その52丁目に当時の雰囲気を残した数少ない建物がある。
「21クラブ」と名付けられたレストランは、禁酒法時代に“もぐり”の酒場としオープンし、1930年に今の場所に移転。90年以上経つ今もアールデコ調の鉄扉とバルコニーなどは当時の姿のままオフィスビルが建ち並ぶ52丁目で異彩を放っている。

この店には作家・スタインベックやヘミングウェイが通い、禁酒法時代には酒の取り締まりから逃れるため作られた、回転扉や秘密のワインセラーなど様々な仕掛けが店の名物となっていた。
歴代大統領や有名人が通い、フォード大統領やエリザベス・テイラーらの個人コレクションを含む大量のワインが保管されていたという。

そんなニューヨークを代表する店も2020年に新型コロナウイルスのパンデミックのあおりを受けて営業停止に追い込まれた。日中訪れたところ、エントランスの鉄扉は固く閉ざされ、ドア付近には段ボールが捨てられ荒れ放題となっていた。
しかし、ランプには明かりが灯されたままになっていて店名の「21」の数字が今も淡い光に照らし出されていた。

■筆者プロフィール

末岡寛雄:
日本テレビニューヨーク支局長 気象予報士 
学生時代はジャズバンドでピアノを担当。趣味は音楽鑑賞。好きなミュージシャンは、デューク・エリントン、バド・パウエル、オスカー・ピーターソン、エラ・フィッツジェラルド、サム・クック、アレサ・フランクリンなど。

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