トランスジェンダーの“吹き替え”どうする?…報道局員が考える「多様性」の伝え方
企画の主人公は、生まれた時の体の性別が男性で、女性として暮らしているギャビー・スミスさん(16)。ギャビーさんの住むアイオワ州は、性別適合ケアは若者へ及ぼす影響がわかっていないとして、18歳未満の性別適合ケアを法律で禁止した。
一方、トランスジェンダーの若者の5人に1人が自殺を試みたことがあるというデータもあるため、アメリカの主要な医療団体は、性別適合ケアの禁止は「命に関わる問題」だと指摘している。
この企画の放送にあたり、ギャビーさんを取材した国際部とnews every.は、ひとつの難題にぶちあたることになる。それは…
トランスジェンダーの“吹き替え”って…どうすればいいんだっけ?
■トランスジェンダーの“吹き替え”する?しない?
◯ファシリテーター・白川大介:
まず、今回の企画をどのような思いで提案したのか、提案者の末岡さんに伺います。
◯NY支局長・末岡寛雄:
そもそも6月がプライド月間ということもあってLGBTQ+の企画をやりたいなと思っていました。LGBTQ+の中でも、アメリカで今年ホットな話題になっているのはトランスジェンダーで…アメリカではLGBTQ+への理解が進んでいると思われがちなんですが、トランスジェンダーの当事者には今、生きることすら厳しくなっている状況があるんだよということを伝えたかった。
さらに言えば、アメリカで起こったことは数年後に日本でも起きるというのがよくあるパターンなので、彼ら彼女らの“生きづらさ”を伝えたいなと思って、トランスジェンダーの「命の問題」に焦点を当てた企画を提案したという形です。
◯ファシリテーター・白川大介:
今回この座談会のきっかけになったのは、企画の主人公であるトランスジェンダーの方のインタビューについて、“吹き替え”をするかどうかが大きな問題となったことでしたね。
◯NY支局長・末岡寛雄:
実は最初は、夕方のニュースでの放送だから、通常通り吹き替えだろうなと単純に思っていたんです。そうしたらニューヨーク支局のプロデューサーが「末岡さん、これは吹き替えじゃないネタです。その方が良いと思います」って言ってくれて。「なぜですか?」って聞くと、「トランスジェンダーでホルモン治療をした人は、声が変わる。それも一つの情報なので、吹き替え無しにできませんかね?せめて主人公だけでも…」というふうに言われて、そこでハッと気づいたんです。
それですぐevery.側との調整にあたっていた、本社の国際部・近野デスクに連絡しました。今回の企画はホルモン治療による性別適合ケアを禁止される人の話で、治療が止まれば自分が望まない「声」に戻ってしまう。「声」は彼ら彼女らを表現するものでもあるので、吹き替えなしでやらせてほしい、と。
◯国際部デスク・近野宏明:
そうですね。それで私も、なるほど確かにそうだなと。私も正直、吹き替えの問題点については自発的には思い至らなかったんです。なので、末岡さんからの要望を受けて、改めてevery.側に「今回はこういう案件なので、少なくとも主人公である人物に関しては吹き替えをせずに、字幕で処理したい」という希望を伝えました。
で、伝えてすぐには議論にならなかったんだけれども、放送日の前日の夜かな?たぶんevery.の中で議論をした結果だと思いますが、「主人公の声だけを吹き替えにするのはどうなんだろう?逆に特別扱いしすぎじゃないのか?企画では他にもトランスジェンダーの方が登場するのに」…というevery.側の疑問も出て来て。それで「取材した主人公の声に、実際と近い声での吹き替えをあてるっていうのはどうだろうか?」というような提案がありました。
■「世の中に伝えること」と「当事者の想い」とのせめぎ合い
◯news every.プロデューサー・片田やよい:
私は放送日の朝に、前夜、国際部とこういうやり取りが展開されましたというのを共有してもらったんですが、前夜の番組側の考え方を代弁すると、国際部の皆さんが言っていることは良く分かるんだけれども、番組側としては「とは言え、伝わらなかったら意味がないでしょ」っていう…どうしても「伝えること」を大切にする立場だということなんですよね。
今回、非常に貴重なインタビューなので、VTRの中でも長く使われる構成になっていました。every.は通常、各国首脳らを除いて、企画の場合は原則、外国語を吹き替えにしています。それはなぜかと言うと、every.の視聴者の立場に立って考えると、夕方ってテレビの前に座って、ニュースをじっくり字幕を読みながら見られる環境にある人は、あまりいない時間帯なんですよ。大体なにかをしながら視聴している。
そうすると、せっかくのインタビューなのに、耳だけで聞いていて、英語だから分からないと思って見るのをやめてしまう。で、見て貰えないと、取材を受けてくださった当事者の方の思いとか、その企画をやる意味とかが伝わらない、いわばゼロになっちゃうじゃないですか。
だから、吹き替えは当事者の方の希望とややズレがあるのは承知の上なんだけれども、でも伝わることを優先するっていう考え方はないでしょうか?ということを、国際部に投げかけた、ということだと思います。
◯国際部デスク・近野宏明:
その番組側の考えもよく分かるからこそ、難しかったよね。私は前夜のうちにすぐ返事をしたんだけれども、似ている声のナレーターを探したとしても、再現しようとすればするほど、どうしても作為とか色づけみたいなものが出てくる。吹き替えが不必要に女性っぽいとか、わざとらしく男性っぽさが残っていた時に、視聴者に「これは日テレが良いと思ってこういう吹き替えにしているんだな」と思われるのは避けるべきではないですかと。それと同時に、ゲイの当事者である白川さんと、トランスジェンダーであることを公表している日テレの谷生俊美さんにも意見を求めたんですよね。
■“吹き替え”するならナレーターは女性?男性?
◯ファシリテーター・白川大介:
そうでしたね。その時私は、大原則としては字幕の方がいいと回答しました。それは、その時点で自分として“正解”を思いつかなかったから。吹き替えた方が視聴者に伝わりやすいというのは分かっているんですけれども、これ正解が無いなと思って。本人の意思を尊重するなら、字幕にするしか現状、方法が無いんじゃないかなと思って、そう答えました。
で、セカンドベストというか、字幕以外でマシな選択肢は何なのか。私はゲイで、トランスジェンダー当事者の思いの深い部分は自分ではわからないので、谷生さんにもお聞きしてみたんです。そうしたら谷生さんは、原則として今女性として生きている人であれば、女性の声。今男性として生きている人であれば、男性の声。本人が望んでいる性別の声で吹き替えることが望ましいだろうと。
一方で谷生さんからは「例えばトランスジェンダー女性の声を吹き替えるのに、男性のナレーターさんが真似してやってしまうと、“男性の声帯を持っている人が無理して出している女性の声”という印象を与えかねず、結果として当事者を攻撃することにもなりかねないので、そこは絶対に避けた方が良い。やっぱり字幕が一番いいんじゃないか」みたいな返答もあったので、それも合わせて末岡さんと近野さんにはお戻しをしました。それで結局、最終的な結論が出たのが放送日の朝でしたっけ?
◯国際部デスク・近野宏明:
昼前ですね。every.からの11時20分のメールで。「今回はテーマが性別適合ケアで、取材対象者の希望も確認しているということなので、主人公の方は吹き替えなし。でもその代わり、英語のコメントをフォローする字幕については、初見で必ず内容がわかるように工夫をしてください」と。字幕の文字数を極力少なくするとか、難しい言葉を入れ込まないとか、そういうお願いが来ました。さらにその後の調整で、主人公ではないトランスジェンダーの方も吹き替えなしとなりました。
◯ファシリテーター・白川大介:
この結論は、「分かりやすく伝える」ことに一生懸命になっている、番組側の皆さんにも納得できるものだったんですか?
◯news every.プロデューサー・片田やよい:
実はこの企画の放送は16時台を予定していたんですが、11時を過ぎてしまって、いいかげんに決めなきゃいけないタイミングが来ていたんです。その中で、じゃあやっぱり吹き替えにするんだと言っても、男性の声で女性っぽく吹き替えるのか、女性のナレーターさんにお願いするのかというところも、まだ全く答えが出ていない状態でした。
それで、今ある選択肢の中で取りうるのは、「字幕を分かりやすくする」っていうことなんだろうねと。ただ「トランスジェンダーの企画では常に吹き替えはしません」とは決めきれないので、まあ今回は議論の結果、企画をきちんと放送するためにこれで走るけれども、今後も都度、議論していった方がいいですよね、みたいな感じでした。
◯ファシリテーター・白川大介:
LGBTQ+だけではなく色々な取材対象者がいますけれども、特に神経を使わなければいけないポイントっていうのが違うと思うんです。例えばステップファミリー(再婚などによる、血縁のない人を含む家族形態)の話だったら、子どもが親をどのように呼んでいるかとかね。それがトランスジェンダーの人に関して言うと、「声」っていうのが特に気にすべきポイントで、その人たちにとってのデリケートなところなんだっていうことが今回分かった。これが今回の私たちの学びなのかなというふうに思います。
■5秒で読める「一行16文字」との戦い
◯NY支局長・末岡寛雄:
私も昔、番組側にいたから、every.からの指摘は痛いほどわかるんですよね。それでも今回、伝えるための努力こそ原点というか、番組側はそこまで気を使っているということに改めて気付かされました。
それから、番組側から「じゃあ絶対分かりやすい字幕を出してくれよ」って言われたときにも、読みやすいとされる一行16文字で収まる日本語訳を出せているのか、5秒で読めるのか、みたいなところを、普段からもっと気を付けていかなきゃいけないなと、改めて考えるきっかけを頂いたと思っています。
◯ファシリテーター・白川大介:
実際、その字幕はVTRの編集にあたった鈴木さんが考えたと思いますが、どうだった?
◯国際部・鈴木しおり:
一行16文字を意識すると、「だ・である調」にする方が短くできるんですけれども、なんか偉そうに見えちゃうっていうのがいやだなと思って。編集にあたったもうひとりの記者と話しながら「です・ます調」にしようと決めて、すごく苦しみながら作業していました。
後から見返してみて、もうちょっと頑張ればよかったなと思ったのは、最後に主人公のギャビーさんが「皆さんが基本的人権を持つのであれば、私たちも人権を持てるべきではないのでしょうか?」というニュアンスでお話しされているカットがあるんですよ。英語では全く押しつけがましく聞こえない言い回しでしたし、字幕も「持てるべきではないのでしょうか?」にしたかったんですけれども、文字数との兼ね合いで「私たちも人権を持てるべきでは」で終わらせてしまった。それがやっぱり後から見返した時に、ニュアンスが違う気がして。もうちょっと工夫すれば良かったなと思った点ではありました。
■「性別に違和感」の表現に、トランスジェンダーは…
◯ファシリテーター・白川大介:
企画作成にあたって、他にも気をつけたことはありますか?
◯NY支局長・末岡寛雄:
まず、LGBTQ+の当事者の人から見てもポイントを外していないかどうか、企画立案の段階、そして一度原稿を仕上げた時点で、アメリカの当事者と、本社の白川さん、谷生さんにアドバイスを貰いました。
すごく気を付けて原稿を書いたつもりだったんだけれども、例えば谷生さんから指摘されたのが「性別に違和感をおぼえた」っていう表現。主人公のギャビーさんは男性から女性に性別移行した若者ですが、谷生さんは「男性でいることに対して耐えられなくて、ホルモン治療を始めた方だと思います」と。だからその「違和感」くらいのレベルで子どもにホルモン治療をすると「虐待だ」みたいな意見も出るかもしれないから、例えば「男性でいることに耐えられなかった」みたいなナレーションにした方が良いのでは、というアドバイスをもらいました。で、なるほどなー!と。彼女の思いは取材で確認出来ていたし、その方が彼女の思いが表現されるので、そうしました。
あとは白川さんから言われたのは、「生まれた時の性別」っていう表現。「そこは物心ついた時から自分はもう男だ、女だって認識する人もいる。だから生まれた時の“体の”性別って言ったほうがいいですよ」みたいなアドバイスを頂きました。
それから日本語に訳すときの語尾ですよね。なんとか「だわ」とか、なんとか「だぜ」とか、海外映画の吹き替えみたいな語尾ってすごく気になりませんか?翻訳する時にはどういう日本語が適切か、極力フラットな日本語にするようニューヨーク支局内でも議論しました。
◯ファシリテーター・白川大介:
谷生さんがおっしゃった、性別に違和感をおぼえたっていうところですけれども、やっぱり「違和感」っていう表現が、なんかまだ我慢できそうな感覚であるようにも聞こえるじゃないですか。そうではなくてトランスジェンダーの方は本当に切実に、もう無理だと。私はこのままの性別では生きていけないっていうくらいのものがあって、性別移行に踏み切るんだっていう。やっぱり谷生さんご自身が体験していらっしゃるからこそ、リアリティーがあるし、そういう指摘が出てきたんだなと思いました。
◯国際部デスク・近野宏明:
私としては、こちらで何か意味を持たせてしまうような加工や編集は避けたほうがいいだろうなと。こういう企画こそエモーショナルにならずに冷静に粛々と伝える方が、事の本質が伝わりやすいのではないかと思って…でもそこはたぶん、関わっている人たちみんな、似た思いを持っていたのではないかと思います。
■「女性ホルモン」の字幕はピンク色で良いのか
◯国際部・鈴木しおり:
そうですね。例えば「女性ホルモン」「男性ホルモン」などの字幕の色も、ピンクとかブルーとかは、今回はあまりにもステレオタイプな色だから使うのをやめようと。それで、じゃあニュートラルな色ってなんだろうねと。結局オレンジや緑で対応したんですけれども、まだこういう議論が進んでない中で、そういう色すらも私たちのステレオタイプが反映されている可能性がある。逆に、例えば当事者の人はピンクを使ってほしいとか水色を使ってほしいとかいう希望もあるかもしれないじゃないですか。なので、やっぱり一度、色の問題については当事者の方の意見を聞きたいなと思いました。
◯国際部デスク・近野宏明:
今回とても心強かったのは、鈴木さんたち若い記者が自発的にそこにちゃんと気がついて、「こういう風にしたいと思うんですけど、どうですか」って言ってきてくれて、これはなんというか、記者を長くやってりゃいいっていうものでもないんだなって(苦笑)。若い皆さんの感性の方が、自然にそれを提案してくるっていうことが、とてもいいというか。
◯国際部・鈴木しおり:
これは別のニュースの話なんですけれども、先日、日本に住む同性カップルの取材をしたんですね。で、お2人が顔出し不可だったので、顔にモザイクをかけることになったんですけれども、じゃあモザイクの色どうしよう?って。これは私が取材をして、国際部のまた別の記者が編集してくれたんですが、それこそピンクとか水色にするのはいやだし、どうしようねって話をしていた時に、その子が「じゃあ服の色に合わせてモザイクをかけるね」と言ってくれて、こういう方法もあるんだ!って思いました。
◯news every.プロデューサー・片田やよい:
今、まだ報道局としては統一基準みたいなものが無いじゃないですか。逆に言えば男性は青で女性は赤みたいなステレオタイプの色合いも、もうやめようって決めたわけでもない。でもそのステレオタイピングな伝え方に違和感を持たれる時代になっているのは確かだから、すごく一つ一つの判断が難しくなっていると思うんですけれど。そういう中で、いま鈴木さんが言ったように、比較的若い子たちの中ではもう、対応するのが普通になっていますよね。
例えばevery.でも先週、容疑者が男で被害者が女性っていう事件のVTRを作ったんですよ。で、その事件の状況を説明するためのCGを作った時に、このニュースを担当したディレクターたちは、男の容疑者の動きに一番注目してほしいから赤色の人型。被害者の女性はグレーの人型で作ったんですね。こういう風にちゃんと自分たちで考えて、自分たちなりのロジックを持って放送することが、今求められているんじゃないかなと思うし、ケースバイケースになってしまうかもしれませんが、なにか画一的な基準を作るよりも実は健全なのかなっていう気もしています。
■「多様性を伝える」ということ
◯NY支局長・末岡寛雄:
まだ正解は分からないんだけれども、「多様性は意思決定の精度を上げる」と誰かが話していた言葉がすごく心に残っているんです。議論した上で出す結論と、ひとりが何も考えずに出す結論って、そこは絶対違うと思うので、こういった議論を今後も続けていきたいなと思います。
◯ファシリテーター・白川大介:
私は今回の吹き替え問題を、「意義のある議論だから」って言って、こうして座談会としてコンテンツ化していること自体が、多様性との向き合いの中で、すごく大きな変化だなと思っています。これまでって、我々はあまり身内の議論を表に出すことはしてこなかったじゃないですか。でも表に出すことによって、それこそ鈴木さんが、5秒しか表示されない字幕を、今も後悔するほど悩んで考えて作っていたこととかを、世の中の人に知ってもらえるかもしれない。そうしたら、視聴者の皆さんとの距離も変わるんじゃないかって思うんです。
「私たちはこんな風に考えているんですけど、視聴者の皆さんも一緒に考えてくれませんか?皆さんはどう思いますか?」っていうスタンスになっていけたら、「新しいニュースの作り方」になるんじゃないか。今、ワクワクしながら、そうなるように期待しています。