武漢封鎖4年「真実解明を…」失った家族への思い今も
世界で初めて新型コロナウイルスの感染拡大が確認され、“コロナの震源地”とも言われた中国湖北省・武漢市。その都市封鎖(=ロックダウン)が始まってから23日で丸4年となる。中国政府は2022年12月、市民に厳しい行動制限を強いてきたゼロコロナ政策を突然撤廃。その後、市民生活は日常を取り戻し、コロナ禍の日々はすっかり忘れ去られたかのように見えるが、今も忘れられない傷を抱えた人々も少なくない。
■最愛の娘を失った上、当局抑圧で国外脱出
楊敏さんの一人娘、田雨曦さん(当時24歳)は4年前、乳がん治療のため武漢の病院に入院したが、病院内でコロナに感染し、亡くなった。その当時、中国政府は病院で感染が拡大していることを周知していなかった。楊敏さんは「当局が情報を隠蔽(いんぺい)したため、娘は犠牲になった」と責任を追及して抗議を続けた。
しかし、当局は楊敏さんの訴えに耳を貸すことはなく、逆に徹底した監視や尾行で徐々に楊敏さんを追い詰めた。拘束の危険が迫っていると感じた楊敏さんは、ついに国外脱出を決意。東南アジアを経由して欧州に逃れ、去年6月からオランダで生活している。楊敏さんは、こう振り返る。
「私にとって、この4年は、あっという間で困難な道のりだった。娘が亡くなってからの4年であり、正義を求める4年でもあった。政府は人や金を駆使して国民を監視し、暴力で鎮圧して屈服させた。問題を解決しようとはしなかった」
さらに中国政府が2022年、ゼロコロナ政策を突然放棄した直後に起きた急速な感染拡大の際にも、多くの悲劇を目撃したと語った。
「(ゼロコロナ撤廃直後の)感染により、親戚や知人だけでも一度に4人も亡くなった。最大の原因は中国当局がウイルスに関する本当のデータやウイルスが変異してきた経路を隠したためだ。言論や情報統制がますます厳しくなっているのは、当局が真実が明らかになるのを恐れているからだ」
中国当局の隠蔽体質は、コロナ禍を経て一層ひどくなっていると楊敏さんは感じている。
■情報隠し批判した男性は今も拘束続く
一方、遺族の中には当局に拘束された人もいる。楊敏さんと同様、コロナをめぐる当局の情報隠しを追及していた張海さんだ。張海さんの父親は2020年2月、骨折治療のため武漢の病院に入院した後、新型コロナに感染し、亡くなった。張さんは、その後「父親が死亡したのは当局の情報隠しが原因だ」として、およそ3年にわたり抗議を続けてきた。
しかし去年2月、中国当局は張さんを拘束。拘束は張さんが武漢で起きた医療手当の削減に抗議するデモの動画をSNSで発信したのがきっかけで、張さんはその後、警察に逮捕・起訴された。張さんの知人によると、張さんは去年11月、裁判所から1年3か月の有罪判決を言い渡されたという。
中国政府が一時、新型コロナとの闘いの勝利を象徴する「英雄都市」として宣伝してきた武漢。今では過酷なゼロコロナ政策で市民を翻弄(ほんろう)したことを忘れたように、その宣伝もなりを潜めている。その一方で、情報統制と監視は厳しさを増していて、市民たちの苦境は続いている。
(NNN中国総局 森葉月)