「さよなら! ドクターイエロー」“幸せの黄色い新幹線”のラストラン 沿線に詰めかけた鉄道ファンは“感謝の言葉” 別れに涙する人も…
最後まで走行ダイヤは非公開でしたが、各地で多くの人が見守ったラストラン。その様子を総力取材しました!
安全運行を支えた「新幹線のお医者さん」
1964年の東海道新幹線開業の年に走り始めたドクターイエロー。「新幹線のお医者さん」とも呼ばれていますが、その理由は車両の中に…。
電気を供給する「架線」をカメラで撮影したり、特殊なパンタグラフを使って異常がないかをチェック。
さらに、線路のゆがみを確認するため、先頭車両のカメラや床下のセンサーで数ミリ単位の測定。
こうして新幹線の安全運行を支えてきたのです。
特製ランチも楽しめるドクターイエローの撮影スポット
引退前日の1月28日、愛知県豊川市にある料理旅館「呑龍」の屋上に、多くの人が集まっていました。
屋上から見えたのは、さっそうと走り抜けるドクターイエローの姿。実は、この日の走行は“下り”のラストラン。それを見届けようと、鉄道ファンが集まっていたのです。
この旅館は、「三河湾を背に車両が撮影できる」という、鉄道ファンの間ではひそかな人気スポット。女将の波多野さんも今では大の鉄道好きになり、この日のために服もイエローにしたといいます。
呑龍 女将 波多野千恵さん:
「10日に1回くらい(ドクターイエローが)走っていたので好きになりました」
さらに、旅館で提供している「御所車ランチ」を、2月末までの間、ドクターイエローをイメージした特別仕様に変更。アワビや車エビなど豪華なおかずの下には、ドクターイエローの姿が! 卵で車体を作り窓はシイタケ、車輪はレンコンを使って見事に再現。
ランチの後は、部屋からドクターイエローを堪能することもできます。
20年来のファンがラストランを撮影!
1月28日は、名古屋駅にもドクターイエローを撮影しようという多くのファンの姿がありました。
20年ほど前からドクターイエローを撮影しているという小島三郎さんは、ドクターイエローと風景をコラボして撮影することにはまっているそう。
”下り”のラストランの写真には、どうしても名古屋駅の看板を入れたいと話していましたが、はたしてうまく撮れたのでしょうか…?
約20年前からドクターイエローを撮影 小島三郎 さん:
「撮れました! ばっちり撮れた!」
写真を見せてもらうと、ドクターイエローと駅の看板がしっかりと写っていました。窓の「ありがとう」という文字もはっきり見えます。
「プロじゃないからアレでいいんだよ(笑)」と、小島さんも満足げな笑顔を浮かべていました。
河川敷でドクターイエローを笑顔で見送る親子
引退当日の1月29日午後3時半ごろ。“上り”のラストランを見ようと、名古屋市中村区の河川敷では多くのファンが待ち構えていました。
人だかりの中、ドクターイエローを待っていたのは岩井さん親子。実は、ドクターイエローを見るために、先週もこの場所に駆けつけていたのです。
上りのラストラン、その時を待ちます…。
そして午後4時ごろ、ついにドクターイエローが東海地方に姿を見せました! 岐阜羽島を通過し…岩井さん親子が待つ河川敷に。
ラストランを無事に見届けられた岩井さん親子。通り過ぎるドクターイエローに向かって「ありがとう!」と叫んでいました。
ラストランを見届けたファンが口にした“感謝の言葉”
1月29日の午後4時過ぎ。「4番線に到着の列車は回送列車です」という駅のアナウンスとともに、ドクターイエローが名古屋駅に到着しました。
わずか1分ほどの停車時間で、詰めかけた鉄道ファンが、この場所で“最後の撮影”に。そして、多くの人が別れを惜しむ中、東京に向け出発しました。
午後4時半すぎに静岡県の浜名湖、午後5時20分には神奈川県の小田原駅付近を通過し、午後5時50分ごろに東京駅に到着。
ラストランを見届けたファンたちが口にしたのは「かっこよかった。バイバイ!」「長年線路を安全にしてくれて、本当に感謝です」「泣いちゃいましたね、最後は。やっぱりずっと見てきた車両だったので。お疲れ様でした」「T4編成ありがとう!」という感謝の言葉。
“見ると幸せになれる”。その言葉の通り、最後まで多くの人を笑顔にしてくれました。
今回、引退したのは、JR東海が所有するドクターイエロー。車両の一部は6月ごろから「リニア・鉄道館」で展示されます。そして、JR西日本が所有しているドクターイエローは2027年ごろまで走るので、またどこかで見られるかもしれません。