出会いから生まれた革製品とは?東京から美波町に移住してきた革職人の男性【徳島】
■お遍路さんの宿だった古民家で店を構える男性
雨の降る美波町をひとり歩く男性。
薬王寺の門前町でお店を営む藤原 拡さん37歳です。
ここは以前、お遍路さんの宿だったという築110年の古民家。
2階にあがるとそこに藤原さんの仕事場があります。
(河野将明記者)
「これは今、何の作業をしている?」
(革職人 藤原 拡さん)
「これは縫い穴を開けているところ。ミシンは穴を空けながら、糸が通るじゃないですか。だけど、手縫いだと穴を空けて糸を通さないといけないので、一個一個空けていく感じ。丈夫だと思います。ミシンに比べて糸の通り方が違うから、そこから一気に広がることもないし、ここだけミシンでやってもいいんだろうけど、いいものだし、きれいなものがいいかなとその方が大事にできるかな」
藤原さんの仕事は革職人。
財布やカバンなど一点、一点、革のカタをとり、基本的には手縫い仕立てで、時間をかけてゆっくり丁寧に仕上げるのが藤原さんのやり方です。
既製品も扱いますが、メインはオーダーメイドの一点もの。
二つ折りの財布で5万円からと決して安くはありません。
それでも、この丁寧な仕事に価値を見出す人は多く、納品は半年待ちの状態です。
おととし、オープンしたショールーム兼工房でどの革を使うか、どんな形にするか、使ううちに変わる色合いも想像しながらお客さんとじっくり話して作り始めます。
■東京から美波町へ
(革職人 藤原 拡さん)
「前、量産品やってたんで、その時に何百個とか作ってても滅茶苦茶たいへんだけど、とりあえず、お店に卸す。だけど、その先は分からないからだれの為にこれは何をやっているんだろうみたいな。で、売れなかったら、そのお店のサイト見たらセールになっているとか。なんか、意味なくない?と思って。だったら、欲しい人のためだけに作っていけるような体制を作れたらそれがいいなと思って今に至るという感じですかね」
生まれは千葉県。東京で革製品を作っていましたが、3年前に美波町へ移住しました。
(革職人 藤原 拡さん)
「あんまり東京にいる理由ないなと思って。どこ行っても、やりたいモノ作りとかができる環境が自分で生み出せれば、多分どこ行ってもいいよなというのがあって、移住したいなというのを思い出した。地図見てて徳島が目についたんで徳島いいかもなと思って、移住フェアに行って。美波町は完全にたまたまですね。多分、違う町紹介されて、良い物件に出会っていたらそっちに行っていただろうし、その中で一番最初に見つかったのがここだった。お祭り参加させてもらったり、近所に同い年くらいの子たちが住んでいたりとか、向かいでお店やってたりするので一緒に飲みに行ったり、サーフィン始めたりとかして」
藤原さんが移住して来てからというもの、何かと世話を焼いてくれるという隣の酒店の大将。
商売の、ときには人生のよき相談相手になってくれます。
(酒店経営 島 哲昭さん)
「この前もちょっと本音みたいなん聞いたけど、何年おれるんかって。ここにまだ結婚もしてないしどないするんだろうって」
(革職人 藤原 拡さん)
「流れ次第ですね」
■徳島での生活で生まれた商品も
藍で染めた阿波踊りの団扇です。
(河野将明記者)
「これ、紙でなく、皮なんですか?」
(革職人 藤原 拡さん)
「皮ですね。革を薄くすいて、0.3mmくらいにして合わせて作っている。徳島っぽいもの、阿波踊りと藍染とでいうのでストーリーとして良いかなと思ったんで、形にしてみた。商売は全然まだまだ売れてないですよ。まだまだ、これからなんで。ちょっと頑張らないとな。最終的には、お客さんを引っ張ってこれるような場所が作れたら、そしたら、町にも人が来るように多少なるかもしれないし」
美波町のゆっくり流れる時間の中で、藤原さんはこれからもゆっくりと丁寧なモノづくりを続けていきます。