【伝統の成島和紙に魅せられて】地域おこし協力隊の想い 東京から岩手に移住
地域おこし協力隊の特集です。担い手不足など様々な問題を抱える和紙づくり。その中、伝統の成島和紙に魅せられ岩手県花巻市東和町に移住した女性に密着しました。
赤津有美さん
「物づくりをする、和紙を作る、それを世に広めるというのは、協力隊を終えた4年目以降も変わらないなと思っています」
花巻市東和町で受け継がれてきた成島和紙。この成島和紙を普及させようと地域おこし協力隊として活動している赤津有美さんです。元々福岡県出身の赤津さんは東京で20年、ゲームや漫画の出版社など、エンタメ関係の仕事をしていました。 転機になったのは新型コロナウイルスでした。
赤津さん
「もう会社で打ち合わせしなくていいよと言うか、社員さん皆さん自宅でオンラインで打ち合わせだったりやり取りをするってなった時に、私東京にいる意味なくなっちゃったかもしれないって思っちゃったんですよね」
将来は田舎暮らしをしながら脚本家の活動をする、という自身の夢も叶えられると、赤津さんは地域おこし協力隊に応募し、おととしからここ花巻市東和町に移住しました。
赤津さん
「物語を書く仕事をすっとしていて、源氏物語の紫式部が何に書いていたのかと考えたら和紙。そこにロマン性を感じて和紙を作りたいとなった」
赤津さんは去年から農作業にもチャレンジし始めました。
赤津さん
「あぁ~、も~。獣ですきっと。この畑では、伝統工芸に使われるような色んな工芸作物、原料になるものを育てています」
紅花や藍の花などを育て、和紙の染料として活用できないかと考えています。そこには成島和紙へのある思いがありました。
赤津さん
「何か商品化だとか何か付加価値を付けて和紙を世に送り出す所までいけていないという現状がありまして、その次のステップに繋がるようなきっかけだったりヒントだったり、いろんな掛け合わせができたらいいなという実験の意味も込めてこの畑をやっています」
赤津さんが情熱を注ぐ一方で、成島和紙のみならず、和紙業界が直面している深刻な問題も抱えていました。
「ここだけの問題じゃなくて結局ぶっちゃけ採算が取れない。そうなれば後継者が育たない。それが現実。一番大きい問題が紙を作る時に使う道具が手に入らない。
業界全体の担い手不足。そして和紙の需要低下。そんな現状を打開するべく奮闘する赤津さんの姿は、どのように映っているのでしょうか?
「最初はどこまでできるのかなっていう感じ。とりあえず紙を使う事を考えてくださいという事で紙を使った作品展をがんばっていた。他の産地に行って勉強もしてるしその点は真面目にやってるなと言う感じ」
全国泣き相撲大会でも有名な三熊野神社。赤津さんが作った製品を販売しています。
赤津さん
「大々的に作っていただきました。初めて今こういうことになっていると知ったが素直にうれしいです。やってきたことが間違ってなかった」
宮司の伊藤さんにとっても、赤津さんとの出会いは大きかったといいます。
伊藤さん
「どうやれば人が来るかなとか何をどうすればいいのかとか、古いものをおこさなければと葛藤していた。そんな時に赤津さんが来て何かやろうとなった」
ご朱印を成島和紙に変え、去年の冬には展示会も開催しました。赤津さんはそれだけにとどまらず、成島和紙の原料の一つ、ノリウツギの栽培を協力者の宮川さんと共に行っています。
宮川さん
「ノリウツギの里みたいにきれいな花が咲くという事で実際に材料として使えるのは30年、50年後だと言われている。次の世代にバトンタッチするお手伝いをしている。赤津さんは熱意もあるし地域の伝統工芸に出会って芽が少しずつ成長しているということ。素晴らしいこと」
人と出会い、興味を持ち、行動する。赤津さんが長い道のりの先に抱く思いとは。
赤津さん
「私の育てているノリウツギを使うのはたぶん私じゃないかもしれないけれど、それでもこの成島和紙が次の世代、その次の世代に繋げていけるならもう私は協力隊としてここに来た意味はあったかなと思っています。やり遂げた感がなぜか今ある」
地域おこし協力隊として移住し、今年3年目。しかし赤津さんの成島和紙への情熱はこれからも続いていくことでしょう。