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キャンベル氏に聞く“若者×選挙” 1

2019年7月19日 18:30
キャンベル氏に聞く“若者×選挙” 1

この夏の参議院議員選挙を控え「the SOCIAL」では、「若者が投票に参加する意義について」ロバート・キャンベル氏に聞いた。


Q:最近、若者が選挙に行っていないということが問題になっています。そこでキャンベルさんにお伺いしたいです。若者は選挙に行くべきですか?

キャンベル氏:行くべきです。なぜかというと当事者になるには、やっぱり選挙で1票を投じるということが一番手っ取り早い方法だと思うんですね。“自分にとって周りがどういう社会になっているか”ということは、日常の中であんまり気にするというか、気になるということはないかもしれませんけれども、今の若者たちが5年先10年先、年金がどうなるのか、自分の家族はどうなるのか、それから社会そのもののインフラというものがどういうふうになっているのかということが、今回のこの選挙に直結しているんですよね。

だから、今日は明日の自分は何を食べるのか、誰と出会うのか、どういう仕事をするのかというものにはちょっと直結はしないように見えて、実は少し先の自分を考えたとき、例えば勉強するとか資格を取るのはみんなすごく積極的だと思うんだけれど、それと同じぐらいのウエートを持っているわけですね。

僕はやっぱり「当事者」になれるかどうかということは、人生を送る上ではまずは感覚としてすごく大事なことだと思うんです。よく公職違反であるとか腐敗とかスキャンダルがいろいろ起きてあの政治家はダメだったねっていうふうにみんながやっぱりニュースとして見て、とにかく目の前を駆け抜けていくような毎日のような事件・事象があるわけですね。だけれども、その政治家にその政党に自分が一票を投じたのか、つまり投資したかどうかということによってニュースがやっぱり意味を持つことになるわけです。

だからまずは自分の今もそうだけれども、5年先、10年先ひょっとして30年先の自分を想像したときに今の政治の人達がやっぱり我々の払っている税金のがま口を握っているわけですね。自分のお金がどういうふうに使われるのか、この日本の社会の一員として、その社会が世界に対してどういう働きかけをするのか、人災・天災が起きたときにどういう風に動けたのか動かなかったのかということはやっぱり選挙の時にしか接点を持ち得ないですよね。

特に日本の場合は、トップは直接選挙ではないので、自分たちが選んだ人たちが話し合っていろんな過程を経てリーダーが決まるわけです。ですから、そういうところから積み木を何か一つ一つ積み上げていくような、日常とはあんまり関係ないように感じながらでも、それがやっぱり強いものか弱いものか、自分と自分の家族をこれから守れるか守れないのかということを、自分の責任として早いうちからやっぱり感じ取って投票所に行くべきと思いますね。


Q:そのような「当事者」になるためのとても大事な関わり方ができる選挙というものを、高齢者の方々と比べて比較的若者の投票率が低いのが現状ですけれども、キャンベルさんはなぜ日本の若者は選挙に行かないと思われますか。

キャンベル氏:1つはやっぱり結果が見えないことですよね。私たちは何か自分が投資したことについて、例えば通販でモノを買おうとか誰かと繋がるとか、資格を取ってそれが何になるのかということを10年前20年前よりは早く結果がわかるようになっているんですね。世の中はもうどんどん加速していて自分が努力をつぎ込んだことがイエスかノーかのどちらかということが結構早く来るようになっている。

期待値がすごく高まっていると思うんだけれども、選挙はどこでもそうだけど、日本は特に総理大臣を自分で直接選ぶわけではない。県議会の議員を選んでも、それが自分にとってどういうふうにリターンが来るのかということがスピーディーにはよく見えない、分からないということがあるわけです。

もう1つは日本の政治に、若い人たちが例えば有権者になる前の年齢で関わっていくというポータル(入り口)というか扉がすごく少ないですよね。選挙運動に、僕は小学校の頃からあんまり深くも考えずに参加していた。小さいときにベトナム戦争があり、戦争は絶対にいけないと8歳・9歳ぐらいの時から思っていて、戦争はやっぱりやめようというマニフェストを出して立候補をしていた当時のある党の立候補者のチラシをバスの中で配ったり、仲間と一緒にお手伝いをしたんですね。

それはもちろん土曜日・日曜日だったけれども、そういうことが何かできるというか、普通に子どもでも、子どもの思い・子どもの行動半径なりに政治に関わるということができるんですね。

僕は先週、ロンドンとパリに行ったのだけれども、ロンドンのバスに乗っている時、後ろで高校生たちが「Brexit(英国のEU離脱)」のことについて話をしているんですね。「自分はこれからヨーロッパに行って就職するとか何かをする時、僕はできなくなるかもしれない。どうしよう」というふうに、やっぱり政治のことを普通に喋っているんですね。

もう一つ、バス停に大手銀行が広告を打っていたんですね。全部文字のポスターで、その広告の1行目は「We are not Island. 我々は島じゃない」と書かれていて、アルゼンチンのストライカーを応援するし、韓国のタブレットを使っているし、オランダのビールで乾杯をするし、私たちは島ではなくて、素晴らしい塊としてみんなと、他の人たちとつながっているっていうすごい文字が書かれているんですね。

それって銀行の広告だけどBrexitですよね。EU離脱をしたらどうなるのか。孤立してこの国は大丈夫なのか、みんなで考えようじゃないかというような一種の風刺ですね。みんなに何か政治のことを少し自分のこととして考えるように、一般企業が社会に結構発信をしているんです。

日本は政治そのものもそうだし、メディアもそうだと思うし、商業放送で広告をうつときに、何かそこが政治に関わるようなことっていうのは結構NGだったり、それは避けたいとか、みんなで仲良くしようっていうことはわかるんだけど、どうやってシステムを変えるかというメッセージは、日常の中にはあんまりないですね。

それはやっぱり日本の政治文化のひとつの特徴であり、今までは性善説というか、みんなで話し合えば解決ができること。どんどん時代が速くなっていくし、周りから取り残されていくでしょうし、しかし、これからは機敏に動かないと一人一人がやっぱり損するっていう、そういうことに君たちの世代が直面していてますますそれが深まっていく、広がっていく世界だと思うと、今までのままでは大丈夫かな、いや大丈夫なわけないんだよね。

まずは、自分はこの人を信じる、この人はどうなのかということを自分の頭で考えて調べてその人が言っている言葉を頼りにして1票を投じる。そしてその言葉が本当にそうだったのか、嘘だったのか、途中で変わったのかということを選挙後に見続ける、そういうことを自分のライフリズムの中にはもっともっと盛り込んでくるということが当事者としてこれからアクティブに能動的に生きるために絶対必要だと思う。