「どうして勉強しなきゃいけないの?」~2人の“女王”とお受験にみる「学ぶ理由」【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】
「どうして勉強なんかしなきゃいけないの?」と子どもに聞かれたら、あなたはどう答えますか? イギリスで拡大し続ける「反移民」の暴動とイギリス流"お受験"から、「学ぶ理由」をひもときます。
(NNNロンドン支局 鈴木あづさ)
■イギリスで“デマ”きっかけに移民排斥デモ拡大
イギリスで暴動が拡大している。元々は7月29日に起きた、サウスポートというイングランド北西部の町で女児3人が刃物で殺害された事件が発端だ。容疑者のイギリス出身の少年について“イスラム教徒で、小型ボートに乗ってイギリスに渡ってきた移民だ”とするウソの情報がSNSで拡散した。30日にはサウスポートのモスク周辺で暴動が起き、極右団体の支持者らの扇動とあいまって、またたくまに各地で反イスラム、反移民の暴動が全土に広がった。難民申請者が暮らすホテルが襲撃されるなど、ヘイトデモはますます激しくなる一方だ。スターマー首相が緊急会見し「必ず法の裁きを受けさせる」と強い口調でけん制した。
こうした事態を見ていて、思い出したことがある。2005年に放送されて大ヒットしたドラマ『女王の教室』だ。天海祐希さん演じるところの冷酷な鬼教師が小学校に降臨。小学校6年生を相手に、社会の非情な現実を突きつけながら、その本質を教えていく。第1話にこんなセリフがある。「日本という国は、特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです」――鬼教師は学びの本質を説くため、あえて扇情的な言葉を使っているのだが、この「誰かがトクをしている」という考え方は、今、社会のあちこちに澱(おり)のように積もっているのではないか、と思う。
今回の暴動の背景にあるものも、たまりにたまったイギリス労働者たちの鬱憤だ。市場のグローバル化が進んで貧富の差が拡大し、「勝者」と「敗者」が生まれた。敗者は勝者から「トクをしているやつらに見下されている」と感じている。アメリカでトランプ氏が白人の貧困層を支持者に取り込んだ背景には、同じ考え方がある。
ヨーロッパも同じだ。EU(ヨーロッパ連合)はそもそも特権階級のエリートと思われているから、不満のはけ口になりやすい。「EUが移民を増やしたから、こっちの生活が脅かされているんだ!」とポピュリズム政党が移民排斥を訴えて台頭し、多くの人が無意識に抱えている不公平感や不平不満というものを巧みに利用した。それが今回の暴動の根っこにある、ぬぐいようのない報われない労働者たちのルサンチマンのような気がするのだ。いま、気候が良くなったロンドンでは、カラフルなサマードレスに身を包んだ人々の陰で、かつてないほど路上生活者があふれ返っている。
■まさかの“お受験”に右往左往
イギリスに来たばかりの頃、もっとも驚いたこととして「ホームレスの多さ」と作文に書いていた息子は、現在12歳、日本では小学6年生である。「イギリスにいる限り塾とは無縁」とほくそえんでいた息子を襲ったのが、まぎれもない「お受験」であった。シングルマザーという特性上、息子は寮付きの学校に入れられている。「Prep Boarding」という種別で、12歳が最終学年のため、13歳になったら次の学校に進まなければならない。そこで訪れたのが「受験」である。息子は“もう時すでに遅し”、共通一次にあたるISEBなる共通試験がすでに終わっていて選択の余地がなかったため、小学校が指定した学校を受けるしかない。
むしろ楽で良かった…などとのんびりしていたら、ある日、学校から「先生方が研修で出払っていて息子さんを連れて行けないので、お母さん、受験当日の引率をお願いします」と厳命された。あわてふためくも仕方がない。ハラを決めて現地に赴く。こちらのボーディングスクールでは「ハウス」といわれる寮ごとに面接と試験が行われる仕組みで、親は息子の順番がくるまで応接間で待たされる。
ガチガチに固まっているわれわれ親子を尻目に、みなさんは出されたクッキーと紅茶を片手に「ハウス」の先生方と楽しそうに雑談している。私も仕方なく、隣に座った先生と会話することに…。白シャツが似合う若い男性教師に何を聞いて良いのかわからず、「ここのお仕事は楽しいですか?」などとお門違いな質問を繰り出してしまった。彼は嫌な顔ひとつせず、「僕はここに来る前、問題児を更生させる仕事をしていたんです。まず彼らは大人を信じない。何度会っても、心を開かない。だから、ここの子たちはみんな素直すぎて怖いくらいですよ」と言った。
「大人を信じない子どもたちと、どう向き合うんですか?」と聞くと、「一に忍耐、二に忍耐、あとは『好奇心』…かな。“この人、ちょっと面白そう”って思ってもらうために、僕はマジックのワザを覚えました」と真っ白な歯を見せて笑った。そこから、イギリスの少年犯罪やシチズンシップ教育について話が盛り上がっているうちに、息子は名前を呼ばれて他の少年たちと出て行った。
約3時間後、学校に戻って息子の試験内容を聞くと、ハウス長との面談で、彼は「将来、何になりたいか?」と聞かれ、「首相になってホームレスをなくしたい」と答えたのだそうだ。
ハウス長はおもむろに「それはとても良い夢だ」と答え、そのためには絶対に「歴史、哲学、文学、ディベート、それから様々な人の話を聞くこと」が必要だ、と説いたのだそうだ。中でも一番大切なのは、人の話を聞くことだ、と。「できるだけ様々な人の意見に耳を傾けなさい。そうすれば『探究心』が生まれる。それが人を成長させる最も大切なものだ」ということを、とくとくと話してくれたらしい。
「好奇心」と「探究心」という2つの言葉を聞いて、最近、取材したある授業を思い出した。
■日本人も読めない!?“遊女大安売り”のチラシ
みなさんはこの画面に映されている縦書きの文字、なんと書いてあるか読めるだろうか? 「おそれながら、口上書(こうじょうがき)をもって申し上げたてまつりそうろう」と読むらしい。
英語では「I humbly present you with this written statement.」。ケンブリッジ大学でおこなわれたサマースクールでは、世界各国から生徒が集まって、日本のくずし字を学んでいる。
こちらは吉原の「大和屋」という置屋が配った「現金『遊女大安売り』引手なし(置屋への支払いなし)」というチラシとして配られた「ひきふだ(引札)」がすべて候文(そうろうぶん)で書かれている。越後屋(今の三越)が出したチラシに似せてつくったものらしく、これを全員でひもとき、声に出して読む。
「御懇意様方江も御風聴
ごこんいさまがたへもごふうちょう
被成下候様、
なしくだされそうろうよう、
(友達にもお聞かせくださいますよう)
偏二奉願上候以上
ひとえにねがいあげたてまつりそうろう いじょう
(ひたすらにお願い申し上げます 以上)」
といった具合である。
度肝を抜かれた。指導するラウラ・モレッティ教授は一字一字解説しながら、当時の社会状況や風俗を交えながら身ぶり手ぶりをまじえて情熱的に教える。生徒は日本の近世文学の研究者から、大名庭園の研究をしている学生、タイの大学で日本語を教えている先生など、年齢も国籍もさまざまな総勢34人。一生懸命、くずし字や候文と格闘している姿に圧倒される。オランダから来た学生は、もともと将棋が好きで日本に興味を持ち、ラテン語とギリシャ語を学ぶかたわら、村上春樹から谷崎潤一郎や三島由紀夫、夏目漱石も原語で読むようになったと話した。聞けばこの12日間に及ぶサマースクール、2014年から11年間にわたって続いているのだという。毎回60人の応募があり、指導しやすい30数人にまで絞っているとのこと。
■人は何のために学ぶのか?
モレッティ教授は授業の意義を、こう語った。「AIが台頭し、こうした文字をAIがある程度、判読できるようになっても、人間には『自分で読みたい』という欲求があるんです。その『好奇心』や『探究心』がある限り、人間の進化は止まらない。私は人間として、次の人間に何かを託していきたいんです」
終了後は、各国から来た参加者が思い思いにドレスアップしてディナーの席に集まった。食前の祈りはラテン語でささげられる。仏教徒もイスラム教徒も、誰もがしばし目を閉じた。祈りを終えると、誰もが笑顔でグラスを合わせる。人種や国籍の違いを超え、境遇を超え、ただ「好奇心と探究心」という共通のもので結ばれた人たち。学ぶ、ということの本質を見た気がした。
指導教授のモレッティ先生は、イタリアからケンブリッジに来て日本の近世文学を研究している。隣の名誉教授に、多くの候補者の中からモレッティ先生を採用した理由をたずねると、教授はこう笑いながら答えた。
「採用の際の模擬授業でね、僕はわざと間違えて見せたんだよ。『古文の“いぬ”は否定だ』ってね。そうしたら彼女、血相を変えて、『否定じゃありません! “いぬ”は、立ち去る、とか、行ってしまった、という意味です。これは大事なところですよ!!』って必死で説明するんだよ。いいなあ、と思ってね。生徒の『学びたい』って気持ちに火をつけるには、教師はそれぐらい熱血じゃないとね」
ドラマ『女王の教室』第10話で、小学校6年生の女子生徒が“女王”たる教師にこう尋ねる。「この前、先生は言いましたよね、『いくら勉強して良い大学や良い会社に入ったって、そんなの何の意味もない』って。じゃあ、どうして勉強しなきゃいけないんですか?」
すると、彼女はこう答えるのである。「いいかげん、目覚めなさい。まだそんなことも分からないの? 勉強は“しなきゃいけないもの”じゃありません。“したいと思うもの”です。これから、あなたたちは知らないものや理解できないものにたくさん出会います。美しいな、とか、楽しいな、とか、不思議だな、と思うものにたくさん出会います。そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したい、と自然に思うから人間なんです。好奇心や探究心のない人間は人間じゃありません」
日本とイギリス、2人の“女王”にみる学ぶことの本質。「好奇心」と「探究心」、誰かの扇動に惑わされない強い若者を育むには、どうやらこの2つがキーワードになりそうだ。
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鈴木あづさ
NNNロンドン支局長。警視庁や皇室などを取材し、社会部デスクを経て中国特派員、国際部デスク。ドキュメンタリー番組のディレクター・プロデューサー、系列の新聞社で編集委員をつとめ、経済部デスク、報道番組「深層NEWS」の金曜キャスターを経て現職。「水野梓」のペンネームで作家としても活動中。最新作は「金融破綻列島」。