それでも、海はある~未来へつなぐ 大好きな景色~
海とまちを隔てる巨大な防潮堤。宮城県石巻市の海岸線に広がる新しい景色。人口は震災前から激減し、集落を維持できるのか、漁業を続けていけるのか、不安は絶えない。それでも、ここで生きていくと決めた漁師の一家。大好きな海の景色を未来につなぐために。
◇
あの日の大地震。そして黒く高い波は、故郷を一瞬で奪っていきました。
海と共に生きてきた町は、無機質な防潮堤に囲まれました。宮城県石巻市雄勝町で生まれた私、伊藤有里(24)。今はミヤギテレビの記者としてこの町へ通っています。
同級生の佐藤和弥さん(25)
「でも変わんないね。海が」
私たちが小学6年生の時に起きた東日本大震災。家を流された200世帯以上の住民は集団移転。私たちも移り住みました。今は、故郷から遠く離れた町で自動車整備士をしています。
伊藤記者
「故郷どこですかって聞かれた時、どう答える?」
佐藤さん
「それは雄勝でしょ。俺、震災がなかったら整備士してないと思う。たぶん漁師してると思う。この町に住む仕事してるはずだから」
あの震災がなかったら、どんな人生だったんだろう。
◇
海と暮らしてきた町の景色は、すっかり変わりました。
「よーいスタート!」
2022年9月、巨大な防潮堤に色を塗るイベントが開かれました。ごつごつした壁も、触れてみると案外あたたかい。
大和千恵さん
「一気に無機質な壁に色が加えられて、もうすでにきれいだなと思ってみていました」
防潮堤に描かれたのは、今も昔も変わらない雄勝の海です。高さ7.5メートル、幅54.6メートルの巨大な壁画は今、観光客が集まる「新しい景色」になっています。
◇
震災後も、この海辺の町に暮らす人たちがいます。私たちが震災から1年後に出会った大和千恵さん。
大和さん
「父も夫もここで仕事を続けていくっていう想いがあって、私もそれを応援したいっていう気持ちもあるし、人口が減って病院とか学校もない状態で、不安がないっていえばやっぱり…子どものこととか考えると不安もあるんですけど」
多くの人が町を離れる選択をしました。それでも大和さん一家は、海の近くで生きることを選びました。
夫の恵一郎さん(40)は、この地区で一番若い漁師です。
恵一郎さん
「結婚して震災があって子どもができて。やっていくしかないなっていうのはあって」
震災にあったのは、長男・恵士郎くんの妊娠がわかった日でした。
恵一郎さん
「そのタイミングでここにいて、ここで仕事していたっていうのが、きっと何か意味があるっていうか。その時はすぐ奥さんにも話をして『ここでやるから』っていうので、『わかった』って言ってもらえたので」
ここ三陸・名振湾では、昔からの海との暮らしが根付いています。1年を通して様々な魚が揚がります。豊かな海は親から子へ、代々受け継がれてきました。
大和家の3人の子どもは、集落で唯一の子どもたちです。
恵一郎さん
「ここで育って、家業だから選べるというのはあるので、その選択肢は残してあげたい」
いつも、海へ向かう父や祖父の背中を見て育ってきました。
伊藤記者
「将来なにやりたいの?」
二男・恵信くん(小4)
「漁師! お父さんとかじいちゃんがやっぱりかっこいいから。立ち姿」
伊藤記者
「海のお仕事を恵士郎くんもやりたいなって思う?」
長男・恵士郎くん(小6)
「はい、よくあります」
私たちの故郷には、いつも、海があります。震災で変わってしまっても…それでも、海はある。
2023年7月16日放送 NNNドキュメント’23『それでも、海はある~未来へつなぐ 大好きな景色~』をダイジェスト版にしました。
海と共に生きてきた町は、無機質な防潮堤に囲まれました。宮城県石巻市雄勝町で生まれた私、伊藤有里(24)。今はミヤギテレビの記者としてこの町へ通っています。
同級生の佐藤和弥さん(25)
「でも変わんないね。海が」
私たちが小学6年生の時に起きた東日本大震災。家を流された200世帯以上の住民は集団移転。私たちも移り住みました。今は、故郷から遠く離れた町で自動車整備士をしています。
伊藤記者
「故郷どこですかって聞かれた時、どう答える?」
佐藤さん
「それは雄勝でしょ。俺、震災がなかったら整備士してないと思う。たぶん漁師してると思う。この町に住む仕事してるはずだから」
あの震災がなかったら、どんな人生だったんだろう。
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海と暮らしてきた町の景色は、すっかり変わりました。
「よーいスタート!」
2022年9月、巨大な防潮堤に色を塗るイベントが開かれました。ごつごつした壁も、触れてみると案外あたたかい。
大和千恵さん
「一気に無機質な壁に色が加えられて、もうすでにきれいだなと思ってみていました」
防潮堤に描かれたのは、今も昔も変わらない雄勝の海です。高さ7.5メートル、幅54.6メートルの巨大な壁画は今、観光客が集まる「新しい景色」になっています。
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震災後も、この海辺の町に暮らす人たちがいます。私たちが震災から1年後に出会った大和千恵さん。
大和さん
「父も夫もここで仕事を続けていくっていう想いがあって、私もそれを応援したいっていう気持ちもあるし、人口が減って病院とか学校もない状態で、不安がないっていえばやっぱり…子どものこととか考えると不安もあるんですけど」
多くの人が町を離れる選択をしました。それでも大和さん一家は、海の近くで生きることを選びました。
夫の恵一郎さん(40)は、この地区で一番若い漁師です。
恵一郎さん
「結婚して震災があって子どもができて。やっていくしかないなっていうのはあって」
震災にあったのは、長男・恵士郎くんの妊娠がわかった日でした。
恵一郎さん
「そのタイミングでここにいて、ここで仕事していたっていうのが、きっと何か意味があるっていうか。その時はすぐ奥さんにも話をして『ここでやるから』っていうので、『わかった』って言ってもらえたので」
ここ三陸・名振湾では、昔からの海との暮らしが根付いています。1年を通して様々な魚が揚がります。豊かな海は親から子へ、代々受け継がれてきました。
大和家の3人の子どもは、集落で唯一の子どもたちです。
恵一郎さん
「ここで育って、家業だから選べるというのはあるので、その選択肢は残してあげたい」
いつも、海へ向かう父や祖父の背中を見て育ってきました。
伊藤記者
「将来なにやりたいの?」
二男・恵信くん(小4)
「漁師! お父さんとかじいちゃんがやっぱりかっこいいから。立ち姿」
伊藤記者
「海のお仕事を恵士郎くんもやりたいなって思う?」
長男・恵士郎くん(小6)
「はい、よくあります」
私たちの故郷には、いつも、海があります。震災で変わってしまっても…それでも、海はある。
2023年7月16日放送 NNNドキュメント’23『それでも、海はある~未来へつなぐ 大好きな景色~』をダイジェスト版にしました。