3・11大震災シリーズ 悔い~震災12年 あなたを想うとき①~
宮城県気仙沼市で家族と酒店を営んでいた女性。あの日、夫は差し出した手をすり抜け、目の前で津波に消えていった。救うことはできなかったのか…。振り返り、そう思い悩むこともある。東日本大震災から12年。それでも、“生かされた者"としての意味を噛み締める。
あの日から12年たった今も、家族を失った「悔い」は、消えません。
菅原文子さん
「助けられなかった思いっつうかさ、自分だけ生きてしまったっていう思いがさ。何ていうことしたんだろう…」
宮城県気仙沼市。菅原文子さんは鹿折(ししおり)地区で家族と100年以上続く、酒店を営んでいました。いつも優しく、気遣ってくれた夫・豊和さん(当時62)。目の前で津波に消えました。
2011年3月11日。
「え~、夢じゃないよね…」
県内有数の港町・気仙沼市は、大津波に襲われました。
菅原文子さん
「大きな大きな波が来て、すっぽり主人が波の中に飲まれた瞬間は、もちろん忘れられないけれども」
店に津波が押し寄せたその時、菅原さんが差し伸べた手にかすかに触れたあと、豊和さんは津波に消えました。かろうじて屋根の上に逃れた菅原さんは、その後、救助されました。
夫が、津波から守ろうとしていた店。その跡地はかさ上げされ、道路になります。
2012年6月5日。
『夫の遺体が見つかった…』
震災から1年3か月後のことでした。見慣れた服、写真入りの免許証。
菅原文子さん
「主人にはつらい思いをさせたけれども。私たちも本当に十分にね、今までずっと待ち焦がれて、苦しんで待っていたし。ようやく主人を迎えることができて、本当に安心しました」
菅原文子さん
「すみません、ここでしょうか」
豊和さんが見つかった場所は、店からわずか200mの市営アパートでした。
菅原文子さん
「お父さん、ここにいたんだ…。なんか守ってくれたんだね、ここ」
目の前で、津波に消えた夫。あの日、自分の手に残ったぬくもりを確かめました。
待ち焦がれた夫は、家族の元へ。
2016年12月。
菅原文子さん
「おかげさまで、ようやく帰ってこられました~」
場所を転々としながら、仮店舗で営業を続けてきた「すがとよ酒店」が、鹿折の地に帰ってきました。
知人の紹介で借りたこの場所は、夫の遺体が見つかった市営アパートの跡地でした。夫を救うことはできなかったのか…。あの日を振り返り、思い悩むこともあるといいます。
菅原文子さん
「震災後にね、『何で旦那さんの手離したのさ』って面と向かって言われた時にさ、言葉でなかったのさ。でも、あのものすごい大きな船が流れてきたりさ、家が流されていくあの津波の威力…。そんな、『手を離すわけないじゃないか』って。ある方が『旦那さんが、手を握ってるとあんたも巻き込むから、旦那さんが手を離したんだ』って言ってくれることもあった」
東日本大震災から12年。豊和さんの十三回忌を迎えました。“生かされた者"としての意味を今、噛み締めます。
菅原文子さん
「やっぱり残された者は生きなくちゃいけない。災害に遭ったら、どうやってみんなでつらい日々を乗り越えていくかとか、何かそういうことも私たちが体験した者として、次の世代に伝えなきゃいけないかなとも思うしね」
いつも、あなたを想う…
2023年3月5日放送 NNNドキュメント’23『3・11大震災シリーズ(102) 悔い~震災12年 あなたを想うとき~』をダイジェスト版にしました。
あの日から12年たった今も、家族を失った「悔い」は、消えません。
菅原文子さん
「助けられなかった思いっつうかさ、自分だけ生きてしまったっていう思いがさ。何ていうことしたんだろう…」
宮城県気仙沼市。菅原文子さんは鹿折(ししおり)地区で家族と100年以上続く、酒店を営んでいました。いつも優しく、気遣ってくれた夫・豊和さん(当時62)。目の前で津波に消えました。
2011年3月11日。
「え~、夢じゃないよね…」
県内有数の港町・気仙沼市は、大津波に襲われました。
菅原文子さん
「大きな大きな波が来て、すっぽり主人が波の中に飲まれた瞬間は、もちろん忘れられないけれども」
店に津波が押し寄せたその時、菅原さんが差し伸べた手にかすかに触れたあと、豊和さんは津波に消えました。かろうじて屋根の上に逃れた菅原さんは、その後、救助されました。
夫が、津波から守ろうとしていた店。その跡地はかさ上げされ、道路になります。
2012年6月5日。
『夫の遺体が見つかった…』
震災から1年3か月後のことでした。見慣れた服、写真入りの免許証。
菅原文子さん
「主人にはつらい思いをさせたけれども。私たちも本当に十分にね、今までずっと待ち焦がれて、苦しんで待っていたし。ようやく主人を迎えることができて、本当に安心しました」
菅原文子さん
「すみません、ここでしょうか」
豊和さんが見つかった場所は、店からわずか200mの市営アパートでした。
菅原文子さん
「お父さん、ここにいたんだ…。なんか守ってくれたんだね、ここ」
目の前で、津波に消えた夫。あの日、自分の手に残ったぬくもりを確かめました。
待ち焦がれた夫は、家族の元へ。
2016年12月。
菅原文子さん
「おかげさまで、ようやく帰ってこられました~」
場所を転々としながら、仮店舗で営業を続けてきた「すがとよ酒店」が、鹿折の地に帰ってきました。
知人の紹介で借りたこの場所は、夫の遺体が見つかった市営アパートの跡地でした。夫を救うことはできなかったのか…。あの日を振り返り、思い悩むこともあるといいます。
菅原文子さん
「震災後にね、『何で旦那さんの手離したのさ』って面と向かって言われた時にさ、言葉でなかったのさ。でも、あのものすごい大きな船が流れてきたりさ、家が流されていくあの津波の威力…。そんな、『手を離すわけないじゃないか』って。ある方が『旦那さんが、手を握ってるとあんたも巻き込むから、旦那さんが手を離したんだ』って言ってくれることもあった」
東日本大震災から12年。豊和さんの十三回忌を迎えました。“生かされた者"としての意味を今、噛み締めます。
菅原文子さん
「やっぱり残された者は生きなくちゃいけない。災害に遭ったら、どうやってみんなでつらい日々を乗り越えていくかとか、何かそういうことも私たちが体験した者として、次の世代に伝えなきゃいけないかなとも思うしね」
いつも、あなたを想う…
2023年3月5日放送 NNNドキュメント’23『3・11大震災シリーズ(102) 悔い~震災12年 あなたを想うとき~』をダイジェスト版にしました。