小橋建太 止められたプロレス復帰「まずは生きよう」 【菅谷大介、がんを知る】シリーズ 第1回

■「人から見られる仕事である以上、公表すべきなんじゃないか」
菅谷:公表しようとは思っていたんですけど、どうしたらいいのか、どう影響があるのかっていうのは怖さもあったので、小橋さんに背中を押してもらえたというのは良かったと思うんですよね。
小橋:(僕は)公表すべきだと。その時も言ったと思うけど、人から見られる仕事である以上、みんなに“僕はこういうがんになったけども、こうやって頑張っているからみんなも頑張ろうよ”という存在なわけだから、そうやって公表すべきなんじゃないかなと思って。
菅谷:正直、会社の人以外で自分がすい臓がんであると言ったのは、小橋さんが最初かもしれないです。それくらい自分の中では秘めていたので。
小橋:いや、それはほんとにわかる。それはね、秘めるというか言いたくない。口に出したくもないし、まず自分の場合は信じられなかった。だって自分はあの時(2006年)、2週間前に札幌でタッグチャンピオンになって、“さあこれからまた時代を取り戻す”となった時に、2週間後にがんだから。ほんとに天国から地獄に突き落とされたみたいな感じだったので、ほんとに苦しかったのは覚えていますね。
■止められたプロレス復帰 「まずは“生きよう”」
菅谷:(がんを告知されて)小橋さんは、なにで自分を立て直していったんですか。
小橋:手術をしたらそのあと絶対復帰すると言ったんですけど。手術の前の日の夜に先生が「話があります」って病室に来たんですよ。先生が「小橋さん、もうプロレスに復帰するって言わないでください。僕も調べましたけども、プロスポーツの選手、アスリートで腎臓がんの手術をして復帰した人はいません」と。「もうプロレスじゃなくてもいいじゃないですか。生きましょう。生きることを目標に頑張りましょう」と言われたんですね。がんというのがどんな病気かというのをやっぱりなめていたんでしょうね。他の病気と同じように考えていたというのがあって。やはり自分は絶対に復帰できるんだと。そんな簡単なものではなかった。
菅谷:復帰するというのが一つのモチベーションだったんですか?
小橋:いや、“生きる”っていう。もうその時に、復帰っていうのは心の奥にしまい込みました。しまい込んで“まず生きよう”と。どうしてもいきなりがんで手術だったじゃないですか。だから自分の中で、“自分のプロレスに対するけじめをつけたい”っていう思いと、“これまで応援してくれたファンのみんなにけじめをつけたい”という思いで、一度でいいからリングに上がりたいと思ったんですね。それで半年くらいたって、「復帰していいですか」と先生に言ったら、「一緒に頑張りましょう」と言ってくれました。
実は、毎月の検査で言っていたんです、「復帰していいですか」って。それはほんとに復帰するっていう意味じゃなくて、ジャイアント馬場さんに教えられた、“プロレスラーは怪物であれ”というその思いを強く持ってプロレスやってきたわけじゃないですか。実際に復帰することはできないけど、言葉でプロレスラーだという思いでいたかったっていうそういう感じですね。
やっとトップを手に入れたわけじゃないですか。そのトップを奪われたのは、後輩でもなくライバルたちでもなくがんだったわけですよ。それが悔しかったですよね。たしかに悔しかったけど、なんで俺だけそうなるんだという思いはなかった。「前へ進まないといけないな」と思ってたので。もうなってしまったものはどうしようもないじゃないですか。

