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小橋建太 止められたプロレス復帰「まずは生きよう」 【菅谷大介、がんを知る】シリーズ 第1回

2023年2月3日 19:05
小橋建太 止められたプロレス復帰「まずは生きよう」 【菅谷大介、がんを知る】シリーズ 第1回
自身のがん経験を語った小橋建太さんと菅谷大介アナウンサー
毎年2月4日は、がんに関する意識を高め、行動を起こすことを目的としてさまざまな取り組みを行う『世界対がんデー』です。

2022年にすい臓がんを公表した、日本テレビの菅谷大介アナウンサー(51)が、がんを経験した様々な人と対談し、本音で語り合う『菅谷大介、がんを知る』。第1回の対談相手は、2006年に腎臓がんと診断され、右腎臓の摘出手術を受けた元プロレスラーの小橋建太さん(55)です。

長年プロレス実況を務めた菅谷アナは、小橋さんと親交が深く、がんの公表について事前に相談していました。

■「人から見られる仕事である以上、公表すべきなんじゃないか」

菅谷:公表しようとは思っていたんですけど、どうしたらいいのか、どう影響があるのかっていうのは怖さもあったので、小橋さんに背中を押してもらえたというのは良かったと思うんですよね。

小橋:(僕は)公表すべきだと。その時も言ったと思うけど、人から見られる仕事である以上、みんなに“僕はこういうがんになったけども、こうやって頑張っているからみんなも頑張ろうよ”という存在なわけだから、そうやって公表すべきなんじゃないかなと思って。

菅谷:正直、会社の人以外で自分がすい臓がんであると言ったのは、小橋さんが最初かもしれないです。それくらい自分の中では秘めていたので。

小橋:いや、それはほんとにわかる。それはね、秘めるというか言いたくない。口に出したくもないし、まず自分の場合は信じられなかった。だって自分はあの時(2006年)、2週間前に札幌でタッグチャンピオンになって、“さあこれからまた時代を取り戻す”となった時に、2週間後にがんだから。ほんとに天国から地獄に突き落とされたみたいな感じだったので、ほんとに苦しかったのは覚えていますね。

■止められたプロレス復帰 「まずは“生きよう”」

菅谷:(がんを告知されて)小橋さんは、なにで自分を立て直していったんですか。

小橋:手術をしたらそのあと絶対復帰すると言ったんですけど。手術の前の日の夜に先生が「話があります」って病室に来たんですよ。先生が「小橋さん、もうプロレスに復帰するって言わないでください。僕も調べましたけども、プロスポーツの選手、アスリートで腎臓がんの手術をして復帰した人はいません」と。「もうプロレスじゃなくてもいいじゃないですか。生きましょう。生きることを目標に頑張りましょう」と言われたんですね。がんというのがどんな病気かというのをやっぱりなめていたんでしょうね。他の病気と同じように考えていたというのがあって。やはり自分は絶対に復帰できるんだと。そんな簡単なものではなかった。

菅谷:復帰するというのが一つのモチベーションだったんですか?

小橋:いや、“生きる”っていう。もうその時に、復帰っていうのは心の奥にしまい込みました。しまい込んで“まず生きよう”と。どうしてもいきなりがんで手術だったじゃないですか。だから自分の中で、“自分のプロレスに対するけじめをつけたい”っていう思いと、“これまで応援してくれたファンのみんなにけじめをつけたい”という思いで、一度でいいからリングに上がりたいと思ったんですね。それで半年くらいたって、「復帰していいですか」と先生に言ったら、「一緒に頑張りましょう」と言ってくれました。

実は、毎月の検査で言っていたんです、「復帰していいですか」って。それはほんとに復帰するっていう意味じゃなくて、ジャイアント馬場さんに教えられた、“プロレスラーは怪物であれ”というその思いを強く持ってプロレスやってきたわけじゃないですか。実際に復帰することはできないけど、言葉でプロレスラーだという思いでいたかったっていうそういう感じですね。

やっとトップを手に入れたわけじゃないですか。そのトップを奪われたのは、後輩でもなくライバルたちでもなくがんだったわけですよ。それが悔しかったですよね。たしかに悔しかったけど、なんで俺だけそうなるんだという思いはなかった。「前へ進まないといけないな」と思ってたので。もうなってしまったものはどうしようもないじゃないですか。

■毎回の検査、再発の恐怖 「怖がっていたら何もできない」

菅谷:僕は検査のたびにブルーになるんですけど、どうやって乗り越えるんですか?

小橋:いやもう健康診断に行っていると、血液検査とかもするでしょ。だから他の悪いところもわかるじゃないですか。それで数値をみて、あ、コレステロール高くなってるなとか、よし今度行くときにはこれをさげようとか、そう思って。よくなるように、前向きにいくしか。もうなってしまったものはしょうがないわけで。

菅谷:再発とか転移とか(の可能性を)常に思ってるじゃないですか。それはどう乗り越えるんですか?

小橋:乗り越えるというか、それを怖がっていたら何もできないじゃないですか。がんにまたなってしまうかもしれないけど、でも精いっぱいやっていれば、別にもうそういう寿命がきても後悔のないようにするしかないじゃないですか。

菅谷:たしかに。自分の物の見方というか、価値観や人生観はものすごく変わって、1日1日大事に過ごしたいなって思うようになりました。小橋さんもそういうふうに変わりましたか?

小橋:俺はそんなに変わったことはなかったけど。ただ、がんになって命の大切さを余計に知ったというか。余計にいつも後悔したくない。やっぱ悔いが残らない人って絶対いないわけで、みんな後悔があるから次は後悔しないようにしようとするわけじゃないですか。もしかしたら復帰もうまいこと出来ないかもしれない。でもやってもいないことを諦めるのは嫌だと思って、「やろう」と。

■復帰へ向けて力になった応援 「待ってるぞという声に応えなくちゃいけない」

菅谷:リングに復帰するまでの間にファンの声とかもすごくあったと思うんですけど、やっぱりそれはすごく力になりますよね?

小橋:なりましたね。みんなの応援というのは一番力になりましたよね。

菅谷:僕も実はアナウンス部員から、手術の前、入院する前に寄せ書きみたいなものをもらったんですけど、そこに“待ってます”とか“戻ってきてください”とか書かれているのを見て、ものすごく力になったなと思って。そういうのも小橋さんの場合だと何倍もそう感じてらっしゃったんだろうなと思って。

小橋:もうほんとにありがたいですよ。自分がこれまでやってきたことが間違いじゃなかったんだなと思えたことでもあるんですけど、うれしかったですね。みんなが頑張れ、待ってるぞというそういう声に応えなくちゃいけない。応えなくちゃいけないというか、応えようというそういう気持ちがやっぱりもっと元気にしてくれる。

■がんをきっかけに“第二の青春”へ

小橋:いま自分のジムでトレーニングしたりするでしょ、そうしたら疲れが早い。歳をとったせいなのか、腎臓が一個ないのが影響してるのかわからないですけど、疲れるのが早くて。歳をとったせいだけじゃないかもしれないけども、いつまでも(がんになったからだと)それを理由にしているのも格好悪い。これからは“カッコイイおじさん”になっていかないといけないなと自分自身思っているので。がんになったことを一つのきっかけとして、次の人生、第二の青春を走っていけたらカッコイイおじさんに一歩近づけるのかなと。

菅谷:私もカッコイイおじさんを目指して頑張ります。小橋さんについていきますんで。

小橋:菅谷君が頑張ってくれる姿を見ると、ほんとチョップしたくなりますよ(笑)

菅谷:それはおかしいでしょ(笑) お互いがん経験者で

小橋:もうちょっと(傷痕の)痛みがとれたらね。今はまだマズいけど、元気になったらね。

菅谷:小橋さんの話を聞かせていただいて、すごくやっぱり前向きで常にいるのがどれだけ大事かわかりましたし、第二の青春って話もありましたけど、カッコイイおじさんに向けて、現役時代の“青春の握り拳”は未だに続いてるんだなということを実感しましたので、私もついて行きたいと思います。

■菅谷アナの取材後記 「人生というリングで、前を向いて闘い続けている」

「前へ進まないといけない」「やってもいないことを諦めるのは…」小橋建太さんにお話を伺い、小橋さんの「前を向く強さ」を目の当たりにしました。特に、定期検査のたびに不安に思っていた私にとって、「その検査で体の状態が分かるのだから、それを受け止めればいいのでは」という言葉は衝撃的でした。

 インタビューの中で、小橋さんは「がんになっても、人生観が変わったということはない」という話をされていましたが、それは、それまでも、さまざまな覚悟をしながらプロレスの戦いをしてきたから、変わることがなかったのかもしれませんし、その戦いの中で培われた強さが、今の前向きな姿につながっているのかもしれません。 

小橋さんは、2013年に引退をしてプロレスのリングから降りました。でも、小橋さんは今も、人生というリングで、前を向いて闘い続けているのだと思います。プロレスラー小橋建太は今も健在。それを強く実感しました。