日テレ菅谷大介アナ すい臓がん公表 「僕の生きる道はこういう道なんだ」
日本テレビの菅谷大介アナウンサー(50)が、今年1月「すい臓がん」と診断され、手術していたことを公表しました。診断からおよそ7カ月。病名を告げられた時の心境やこれまでの治療、「すい臓がん」という病気を経験した今の思いを聞きました。
■「箱根駅伝」直前の人間ドックで異常 今年1月11日に「すい臓がん」の告知
――病気についてどのように分かったのですか。
昨年11月に受けた人間ドックの結果が悪く、「膵管(すいかん)拡張」があると。「膵管拡張」という言葉はこの時に初めて聞き、「何なんだろう」と思いました。
ただ、時期は12月。担当する箱根駅伝の準備もあったので、駅伝後の1月4日に検査をすることになりました。その時、「明日また、再検査しましょう」と言われて、結果的に、1月11日にすい臓がんという診断をされました。
――それまでなにか体調の変化は感じていましたか。
全くありませんでした。自覚症状がなく、体調は悪くないのに僕の中で何が起きているのか全然わからない、という状況で。人間ドックで「膵管拡張」を指摘されなければ、そのまま何もすることなく時間を経過させていたと思うので、本当に見つかってよかったです。
――「すい臓がん」その病名を医師から聞いたときは。
僕の場合、検査を何度か重ねるにつれ、徐々に「すい臓がんかもしれない」と心構えができる状況だったので、実際すい臓がんだと宣告されたとき「やっぱりそうなんですね」と。その時はまだ、怖さをあんまり理解していなかったのもあります。がんと自分は無縁だと思っていたので。
診断を受けてから、すい臓がんについてネットで調べると「5年生存率は低く、予後が悪い」「難治性のがん」などといわれていて、ネガティブな情報しか入ってこず、その日の夜は眠れなかった。
情報を集めていく中で、大変なことになったのだと現実のものとして分かってきて、なぜこんなことになってしまったのか、原因はなんだったのか……など深刻度が増していきました。
――ご家族や周囲にはどう伝えましたか。
全ての検査に妻が同行してくれていました。診断結果も一緒に聞いたので、僕から直接話すということはなく、その瞬間から妻は支えてくれる存在になった。
検査入院をしなければならないことも、妻が子供たちに話をしてくれていたので、子供たちも理解をし、協力的になってくれました。
――治療を進めていくにあたって、医師とはどのような話をしましたか。
僕は担当医師にも恵まれていたんだと思います。実際に手術をしてもらった病院の先生に、私の5年生存率を尋ねた時です。
「菅谷さん、聞きたいですか? 菅谷さんがそこに入れば、それが菅谷さんの100%なんです」と。
生存率としては、決して高くない病気に対して、正面からまっすぐ鼓舞するというより、じんわり勇気になっていく言葉を、節目節目でかけていただいていたと思います。
■「早く見つかって、早く治療できた」 手術での出血量は約3cc
――その後はどのように治療を進めたのでしょうか。
手術に向けてまずは抗がん剤治療をしました。3月になると、手術に備えて休薬期間に入って副作用も収まり、4月8日に入院、そして11日に手術。
僕の場合、診断としては(病状は)手術ができる状況と聞いていましたが、妻はいろいろなケースを想像していたようで、「手術室に入ったものの、すぐに先生が手術室から出てきたらどうしよう」と、不安に思いながら待合室で祈っていたそうです。
――術後、目が覚めたときは。
手術は腹腔鏡でおよそ4時間。術後、強い痛みや吐き気なども想像していましたが、ある程度薬などでコントロールされていて、「今の医療って進歩しているんだな」と思いましたね。
手術での出血量は約3ccでした。がんの手術ってすごくダメージを負ってしまうイメージだったのに、そうじゃなかった。僕の場合は早く見つかって、早く治療ができたので、こういう手術で済んだというのがあるかもしれません。
■小橋建太さんに相談 「勇気をもらえる人は絶対いるから」
――今回、公表することは怖くありませんでしたか。
今後、僕をテレビで見たときに、「すい臓がんの人だよね」と見られて、本来、アナウンサーとして伝えるべきことが、ストレートに伝わらないのではないか、という不安はあります。
また、今後、僕に何かがあった時に「やっぱりすい臓がんって怖い病気なんだ」と思われてしまうことも不安に思います。
――不安や怖さもあるなか、それでも伝えようと思ったのは。
元プロレスラーで、がんサバイバーの小橋建太さんに相談したんです。「菅谷くんが公表することによって勇気をもらえる人は絶対いるから」と言ってもらって。
実際に小橋さんが病気から立ち上がってリングに立つ姿から、僕自身が勇気をもらっていたので、僕がすい臓がんでも、テレビでアナウンサーとして頑張れることを示していきたいと思いました。
■がんについて伝えたい 「僕の生きる道はこういう道なんだ」
――告知から約7か月。考え方など変化はありましたか。
すい臓がんになったことで、命に限りがあることを、改めて実感しました。でも、よくよく考えれば、誰しもが同じ。
これまでは、命に限りがあることを、特に意識せずに生活していたけれど、この病気になったことで、僕は意識をさせられることになりました。だからこそ、時間を無駄にしたくないと思います。
自分にとって、今年4月に119歳で亡くなった田中カ子(かね)さんの存在も大きいです。亡くなったときの記事を見ると45歳のときに、すい臓がんを患っていたと書かれていました。それから70年以上も生きていらっしゃったというのは、僕にとっては大きなモチベーションになっています。
命の有限性をしっかり意識して、色濃く生きられるようになったのが、がん告知前後で自分自身が変わった部分ですね。
――アナウンサーとしての仕事にはどう影響を与えると感じていますか。
「がんは一つの個性」という当事者の方の言葉に共感して、「僕はがんっていう個性を持っている人間なんだ」と思えるようになりました。
がんになったときに、「僕の生きる道はこういう道なんだ」って思ったんですよね。がんについて伝えるためにアナウンサーになったのかな、と。
自分のなかではリボーン(reborn)と思っているんですけど、今までとは違うアナウンサー人生が始まるんだろうなと思っています。
――今後の目標は。
医師からは5年がひとつの区切りといわれています。5年って長いんですけど、先を考えて生きるのではなくて、1日1日しっかり生きたい。その積み重ねが5年になったらいいな、と。だから、目標は、『しっかり生きる』。
公表した以上、5年以内に何かあると、「やっぱりすい臓がんはそうか」と思われてしまうので、長生きしたいと思っています。
僕自身が長生きすればするほど、僕にとっての田中カ子さんみたいに、すい臓がんサバイバーにとってより勇気を与えられる存在となると思うので。
めざせ120歳、あと70年生きなきゃいけないですね。
(取材・文 日本テレビアナウンサー 岩本乃蒼)
菅谷大介(50) 1971年生まれ
日本テレビアナウンス部担当部次長 97年に入社後、これまで「news every.サタデー」や「バゲット」など担当。スポーツでは箱根駅伝、プロレスやゴルフなど多岐にわたる。2018年には平昌五輪で女子パシュート金メダル実況。現在、管理職としてアナウンサーのマネジメントに従事しながら、自身のがん経験を番組やSNSで発信していく。