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「余命2年」宣告 緩和ケア医の生きる勇気

2021年2月8日 18:14
「余命2年」宣告 緩和ケア医の生きる勇気

「がん患者は『溺れる者』ではない。人生の最期まで泳ぎ切る力を持っている」――。緩和ケア医でステージ4のがん患者でもある関本剛医師(44)はそう語る。「余命2年」を告げられた医師は、残りの人生をどう生きようとしているのか。「死の恐怖」に向き合う上で支えとなった言葉とは。日本テレビの鈴江奈々アナウンサーが聞いた。

◇◇◇

■ステージ4のがん「頭が真っ白に」

――がんが見つかった経緯は?

神戸市で主に訪問診療でがん患者の在宅の緩和ケア、看取りのお手伝いをしています。2019年10月に肺がんとわかりました。すぐに精密検査をして脳転移があることもわかった。遠隔転移があると現在の医学では根治手術はできないので、10月末から延命を目的とした抗がん剤治療をスタートしました。今は、脳転移による神経症状もなく、在宅ケアの業務も滞りなくできています。

見つかった時は43歳。緩和ケア医として、もっと若いがん患者の看取りの手伝いもしてきましたが、この年でがんになる確率は低いと思っていました。もともと小児ぜんそくがあり季節の変わり目にせき込むことがあったので、その年もそれがちょっとひどいな…くらいで、人間ドックのつもりでCTを受けました。

しかし、どかんと4センチの腫瘍が映っていて、頭が真っ白になりました。自分の画像ではないのではと、画像の名前を確認しました。3日後に拠点病院で精密検査を受けました。肺がんは脳に転移しやすいがんと言われ、転移していないかセットに調べることになっています。

その時、頭痛も麻痺(まひ)もなかったので、まさか頭に転移しているとは思っていなかったんです。検査結果は妻と一緒に見ました。妻に「ごめん」と。妻も「ごめん」と言い、二人で謝り続けていました。

■働くことが「生きる勇気」に

――がんとわかった後、働く選択をしたのは?

まさに人生は、選択の連続。私には子供が二人いて、長女は4年生、長男は幼稚園の年長。自分がいなくなった後、家族が路頭に迷うことがないようにと、わずかばかりでも自分の預貯金に手を付けてはいけない。これからの自分たちの生活費と治療費を自分で稼ぐぞと思いました。

――がん当事者となって、患者への接し方に変化は?

緩和ケア医として先人たちから教えてもらった、困った方への接し方、声掛けは基本的に変わらない、間違っていなかったなと思います。サポーティブに、横に座って同じ方向を見ながら接する。 “対面式”ではなく、精神的に「一緒に歩いてきましょう」というスタイルです。

私自身も診断された直後、入院している時など、仲間の緩和ケア医が伴走してくれている感じがしてうれしかったですね。一方で、当事者になると、それ以上の感覚がある。意識していないけれど、患者さんの治療の結果が良かったら、自然と心から「良かったですね」と自分のことのように思えるんです。

同じ言葉でも、知らず知らずに自分の気持ちが乗っかっているんだと思います。患者さんのほとんどが私のリアクションにポジティブな反応を示してくださる。これは当初予想していなかったことでした。今は、自分が患者さんから、生きる勇気や元気をもらっている感じです。この仕事を続けて良かったと思っています。

■チャンピオンの治療が「標準治療」

――専門医として知識がある中で、ご自身の治療の選択は?

手術、抗がん剤、放射線治療といった今世界で認められている治療方法「標準治療」を、病院ではお勧めされるわけですが、私は、標準治療一本のみ。主治医に勧められた治療を続けてきています。確かに自分の患者さんの中には、代替療法と呼ばれる保険適用外のもの、例えばビタミン注射、免疫療法など、同時にやりたいという方もいらっしゃいます。

私は2019年10月に標準治療をスタートした時は、こんなふうに生活できていると思っていませんでした。しかし、特別な民間療法や代替治療をすることなく標準治療のみで、これだけ、病気の勢いを制御できていることを知っていただきたい。「標準」と聞くとさらにグレードアップしたスペシャルな治療があるのでは、と思うかもしれないけれど、標準治療はチャンピオンの治療です。新しい治療が出てきても、ガチンコ勝負をして勝ち残ってきた治療が、今の標準治療。自分がこうして今日話せていることをもって、社会に還元したいですね。

――健康診断や検査については、どのようにお考えですか?

定期健康診断や検査は受けておくべきです。2015年に勤めていた病院を辞めた後、忙しさにかまけて、3年間、健康診断を受けていなかった。勤務医の時は、健康診断は自動的に受けていました。フリーランスの方は特に自分で健康を管理しないといけない。年に一回は定期健康診断を受けた方がいいと思います。100%検診で見つかるわけでもないからといって、「健康の人は受けても受けなくても一緒」ということにはならないと思います。

■子供と向き合うがんの現実

――幼いお子さんにがんの事実を伝えるかどうか、どう向き合っていますか?

子供が3歳であっても、コミュニケーションができるようになった子には伝えた方が良いと医師としてアドバイスしてきました。ですから当事者になった時、妻に伝えるのと同時に子供に伝えました。最初はショックが大きく、僕が寝ていたらベッドに入ってきて「死なないでほしい」と言ってきたこともありました。

でも子供達は親の気持ち、変化はわかるもの。親同士が泣いている光景を見ているのに、何も言わないで子供達が蚊帳の外にいるほうが、つらいはず。もちろんつらい出来事ではありますが、理由がわかっていることで立ち直りが早い。そう思いますね。伝えてから2か月後くらいに、小学3年生の娘が、「お父さんが死ぬ前にもう一回、温泉行きたい」と言ってきたので「もう一回ってなんやねん、何回でも行くわ!」といって笑い合ったことがあって。ちゃんと子供も自分なりに消化して「死んじゃうかもしれないから思い出作りたい」という気持ちにまで至っている、子供ってすごいなと思いました。

(後編へ続く)

(2月4日の「世界対がんデー」に合わせ6日に開かれたオンラインイベントでの対談を再構成した。イベントは一般社団法人CancerXが主催。)

▼関本剛(せきもと・ごう)
1976年兵庫県神戸市生まれ。関西医科大学卒業後、同大学附属病院、六甲病院緩和ケア内科勤務を経て、在宅ホスピス「関本クリニック」院長。緩和ケア医として1000人以上の「看取り」を経験する。2019年、ステージ4の肺がんと診断され、治療に取り組みながら医師としての仕事を続ける。