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「鳥肌が立つ、確定申告がある。」知的障害のある息子と歩んだでこぼこ道

2024年8月2日 17:04
「鳥肌が立つ、確定申告がある。」知的障害のある息子と歩んだでこぼこ道
東京・千代田区霞ケ関駅に貼られたポスター
知的障害のある作家と契約してアート作品の企画・商品化を行っている企業「ヘラルボニー」が、2023年1月、東京・千代田区の霞ケ関駅などにポスターを掲載した。大きく書かれたのは「鳥肌が立つ、確定申告がある。」の文字。

ヘラルボニー契約作家、小林覚(こばやし さとる)さんにまつわる実話を元に制作されたものだ。

■音楽と絵が大好きな幼少期──自閉症は「わがままに育てた結果」と思われて…

覚さんは1989年に岩手県で生まれた。歌の歌詞をモチーフにした作品などを発表している覚さん。母親の眞喜子さんによると、幼いころから音楽と絵が大好きだったという。

母・小林眞喜子さん
「少しも落ち着きがなくて、絵を描いているか、ものを食べている時以外は走り回っていました。だから、『ほら描きなさい描きなさい』って、いつも鉛筆やクレヨンを与えていました」
「NHKの『みんなのうた』が大好きで、アルファベットの歌とかを歌いながら描いていました」

多動症と自閉症があると診断され、「今ほど自閉症に対する理解がなかったので、わがままに育てた結果だと思われていて、外に行くのが大変でした」と眞喜子さんは言う。

学校生活でも、周囲の理解が得られず苦労した。特別支援学級がある小学校は自宅から8キロ離れていたため、覚さんひとりで通えない。そこで、校長先生と相談して近所の小学校に入学し、知的障害のない子どもと一緒のクラスで過ごすことを選んだ。

同級生は7人しかいない地元の小学校。子ども同士、親同士もよく知っている間柄だったので、理解されていると思っていた。
しかし、2年生になったとき、思わぬ出来事が起きた。

母・小林眞喜子さん
「4月の保護者会で、『覚とうちの子どもを一緒に学ばせたくない』という文句が出て。保護者が一人ずつ『覚くんは、こういう悪いところがあるから、悪影響だから一緒に学ばせたくない』と。担任の先生が『はい、次の人どうぞ』『はい、次の人どうぞ』ってみんなに言わせて」

「通えないんだなもう…って思って、うちから見える小学校に通うのを諦めました」

■「お願いだから普通に書いて」…文字や数字をアレンジする“くせ”が“作品”に

学校が大好きだった覚さん。「学校を休ませるよ」と叱ると「ごめんなさい!」と謝るくらいだったという。8キロ先の特別支援学級がある小学校への送り迎えのため、眞喜子さんは運転免許を取った。

母・小林眞喜子さん
「釜石でも1、2を争う厳しい道路を初心者の私が毎日送り迎え。覚は元気に通っていましたが、うちの窓から見える小学校を見て『覚くんあの学校に行きたい』って私に言ったことが1回だけありました。『覚はあの学校に通えないんだよ』って時間をかけて話して聞かせて、それ以後は言いませんでした」

しかし、転校は悪いことばかりではなかった。小学4年生になったとき、今の覚さんの原点とも言える出会いがあったのだ。

母・小林眞喜子さん
「覚は1年生の時から夏休みや冬休みの宿題を全くできなくて。なのでスケッチブックに絵日記を描かせて、それを学校に提出していたんですね。それまで先生たちから反応はあんまりなかったんですけれども、4年生の時の先生が褒めてくれて。『楽しい』『素敵だ』『覚くんの優しさとか、何を楽しいって思ったのかわかる』って。『これを続けたほうがいい』って、先生が褒めてくれたんです」

「なんか生まれて初めて褒められたような感じで。すごく嬉しかったです」

先生の言葉を受けて、眞喜子さんは覚さんに毎日絵日記を描かせることにした。それは高校3年生まで続いたという。

覚さんのアート作品は、文字や数字をアレンジしたデザインが特徴的だが、そのスタイルを伸ばせたのも、学校の先生との出会いがあったからだった。

養護学校(当時)に通い、中学2年生になったころ、国語の時間に「こばやし さとる」とひらがなで名前を書く練習をした。そのとき、なぜか覚さんは「ば」の濁点を4つ打ったのだ。父親の小林俊輔さんによると、このころから文字をアレンジして書くことが増えていったという。

父・小林俊輔さん
「学校から持ち帰ってきたプリントの名前の欄に『小林覚』って漢字で書いてあったんですけれども、その『林』が『木』を“縦に”2つ並べていたんですよ。『困ったもんだな』って思ったのが、私が気づいた漢字のアレンジの始まりでした」

母・小林眞喜子さん
「それまでは絵も字も上手に普通にかいていたんです。それが絵は人を描くとお猿さんのような顔になって、字は縦横に伸びて変化させて書いて、『覚の心の中で何が起きているのか?』と不安になって…覚に『お願いだから普通に書いてちょうだい』って何度も頼みました」

はじめは両親も、先生も、文字や数字をアレンジして描く“くせ”を直そうと指導したが、直らない。そのうち、養護学校内外から「不思議な字だけど、これはアートだ」「すごい子どもと出会った」と注目を浴びるようになった。

眞喜子さんは、覚さんのことで褒められたのは絵日記以来2度目と感じ、心境の変化が生まれたという。

母・小林眞喜子さん
「半信半疑だったんだけど、作品に仕上げられるような子どもになれば良いな。これでいいのかなと思いました」

■人気作家へ──忘れられないポストカードと高級ネクタイ

覚さんの“作品”が初めて商品化されたのは、2012年のこと。障害のあるアーティストの作品をポストカードにし、全国のゆうちょ銀行や郵便局で無料配布するという企画に、覚さんの作品が選ばれたのだ。

覚さんの作品は好評で、2013年にかけて、2年連続でポストカードに起用された。

母・小林眞喜子さん
「娘たちや親戚や兄弟に配ったけど、『大事に使う』と言ってくれて。絵の商品化がこんなにうれしいかと思って。小さい頃の苦しみがあって現在があるけど、あのときの喜びは本当に忘れられないです」

ヘラルボニーとの出会いは、2016年。
ヘラルボニーの前身となる会社から、「ネクタイなどを手がける銀座の老舗テーラーで、覚さんの作品をデザインしたネクタイを作り、アート使用料を支払いたい」という打診があった。

当時の覚さんはすでに岩手県で個展を開催するなどアーティストとして活動していたが、この提案に俊輔さんは驚いたという。

父・小林俊輔さん
「知的障害者の稚拙な絵をネクタイにして、私の買えないような高い値段で売るって…大丈夫なのか?買う人がいるんだろうか?と思いました」

しかし、完成したネクタイを見て、両親の不安は吹き飛んだ。

母・小林眞喜子さん
「ネクタイのすてきさに驚いた。手に持ってみた時に、こんなすてきなネクタイにしてもらって本当に感動しましたね。これだったら高くても買ってくれる人もいるんじゃないかって」

2万2000円(税抜き)で販売したネクタイは完売。これをきっかけとして、現在までに覚さんの作品を起用したヘラルボニーの商品は約50点にのぼる。大企業からの指名で作品を制作することもあるほどの人気作家となったのだ。

そして2021年分の所得から、覚さんは俊輔さんの扶養を外れ、確定申告をすることになった。

母・小林眞喜子さん
「覚のちょっとした収入でご飯を食べに行って『覚くんごちそうさまでした』『どうもありがとうございます』なんて言って幸せを感じていたんです」

父・小林俊輔さん
「(扶養の)基準を超えたり下がったり、その度に私の扶養に入れたり外したりしなきゃいけなくなるんで、なんか意外と煩わしいなっていうふうなことは思ったんですけれども、それ以降はもう割り切って、覚を独立させてしまって、私の扶養からは外しています」

2023年、岩手県の盛岡駅や、国税庁に近い霞ケ関駅などに「鳥肌が立つ、確定申告がある。」としてポスターが掲載された。そこには、こんな文章が書かれていた。



「息子が扶養の基準を超えて、確定申告することになりました」
重度の知的障害がある方のご両親からの連絡だった。

(中略)

確定申告の連絡を受けた時、思わず鳥肌が立った。
これは、ただの確定申告じゃない。
世界の前進を教えてくれる、確定申告だから。

年収が103万円を超える場合、家族の扶養から外れて所得税を納める必要がある。厚生労働省によると、障害があり、雇用契約に基づいて働くことが困難な人たちを事業所で職業訓練するしくみ「就労継続支援B型」で働く人たちの平均賃金は、月1万7031円(令和4年度)。103万円には遠く及ばない金額だ。

企業に定められた、従業員にしめる障害者の割合の下限「障害者の法定雇用率」は、2024年4月から引き上げられた。多様な人の可能性を伸ばせる社会のあり方がますます問われている。